第73話 令和14年春場所②
「コシ!もっと強くぶちかませ!」
「ハッ!?先代?夢か。」
コシの代名詞である立ち合いの馬力は先代がコシに与えた最初で最後の武器であった。
「相撲の勝負の9割は立ち合いで決まる。」
それが現役時代猛虎と呼ばれた元横綱時天山(先代時津川親方)の真骨頂であり、それは弟子の横綱越乃海にも伝授されていた。さて、春場所も大詰め13日目を終えて、全勝はおらず、1敗でコシ、大鵬、照の山の3横綱がトップ。2敗以下の力士の優勝可能性は極めて低い情勢となった。14日目コシは、横綱大鵬戦が組まれた。この一戦に敗れれば両者優勝から遠ざかる痛恨の1敗となるだけに、過去の相性の良さは考えず、この一番この立ち合いに全神経を集中させた。
第41代木村庄之助の結びのふれで、大阪の相撲ファンも固唾を飲んで見守る。既に同じく1敗だった照の山は横綱豊山に突き落としで勝ち1敗を守っていた。横綱越乃海勝てば優勝回数2位タイの初代横綱大鵬に並ぶ32回に王手がかかる。最後の塩に分かれる両者。すると、照の山に敗れ3敗となり優勝可能性が完全に消滅した横綱豊山が東の控えから、こうコシを鼓舞した。
「トヨさんも見てますよ!」
と、一声。
「分かってらい。」
と2人の横綱のやりとりは大観衆の声にかき消されたが、タオルを断りありったけの塩を右手にチャージし、観衆のボルテージも最高潮となった。客受けを狙ったコシが数場所前からやっているパフォーマンスであった。
「まったなし。手をついて!」
「はっけよい!のこった、のこった!」
ガツンと音が聞こえてくる両横綱のぶちかまし。立ち合いは互角であった。しかし、ここから素早く突き押しに切り換えたコシは大鵬にまわしを与えず一気に押し出した。これにより、今場所もまた千秋楽横綱相星決戦となった。
「ゆたか?聞こえたがよ。」
「はい?」
「トヨさんが見ているよって。」
「あれは、つい調子に乗ってしまっただけで…。」
「それは良いが、せめて相撲で照の山に勝って援護射撃してくれよ。まぁ、どっちみち勝たなきゃ優勝は無いんだ。援護射撃があろうがなかろうが。」
「でも、気持ちは伝わったぞ?」
「あぁ、それなら良かった。」
「今日も勝てたしな。」
「さ、宿舎に帰るか?」
「はい。」
そして迎えた千秋楽。
「駄目だ。全然眠れなかった。何度体験しても横綱相星決戦のプレッシャーには勝てない。」
「まぁ、おかげで良い具合にギラついてますよ?」
「何だよ、それ?」
「コシ、結びの一番に集中しろ!余計な事は相撲が終わってから考えろ!」
「分かってますよ!」
「ゆたか?ちゃんこ食ったらコシと3番稽古だ!軽くな!」
「正気ですか親方?自分は良いすけど。」
「こう言う時はギリギリまで追い込むんだ。」
「はぁ…。」
と言われゆたかと3番稽古をするハメに。すると、見事に霧が晴れた様な気分になった。
「時津川親方?何か良い感じになりました。」
「だろ?さぁ、行って来い。今場所は泣いても笑っても、あと一番だ。」
と、送り出されたコシは、張出横綱の照の山との相星決戦を1分30秒の末右寄つに組み寄り切りで勝利し14勝1敗で制し6場所連続32回目の幕内最高優勝を達成した。
「トヨさんやりましたよ!」
優勝インタビューで口頭そう言うと、涙を流して、優勝の喜びを語った。大阪の相撲ファンもその横綱越乃海の様子を不思議そうに見ていた。