第72話 令和14年春場所①
横綱37場所目のコシは、先代のおかみさんであるトヨさんの訃報を受けて、時津川部屋の所属力士を代表してお別れの言葉を告別式で読む事になっていた。
「トヨさんには、特に可愛がって貰ってたもんなコシ関は。」
「第2の母親だよ。」
「先代が亡くなってからも、部屋に顔出してはコシ関の大好物のあんころ餅を時津川部屋の所属力士に振舞ってくれたもんな。」
「あの味はトヨさんにしか作れない。でもトヨさん、ゆいPにその味を伝授しようと必死だったみたい。なぁ?ゆいP?」
「うん。でも中々同じ味にはならなくて、トヨさんには苦労かけたわ。」
「まさか、このあんころ餅ゆいPが?」
「何とかしたくて、必死だったんだから。トヨさん、見かねてレシピを教えてくれてね。最終的には。門外不出だよって。」
「トヨさん、長年ありがとうございました。」
と、まぁ稽古に集中出来ない日も数日間、場所前にはあったが、そのブランクなど感じさせない動きを横綱越乃海は見せていた。
令和14年春場所3日目に小結猿飛に変化で苦杯を舐め、連勝が92で止まったが中日まで1敗をキープし全勝の横綱照の山と星の差一つで後半戦に入った。
「今場所はトヨさんの為の場所だ!優勝の為には、もう1敗も出来ない。」
「お別れの言葉、良かったですよ?」
「バッキャロー!俺とトヨさんが何年一緒に相撲を見て来て貰ったと、思っているんだ!」
「15のガキの頃からだぞ!トヨさんは目の肥えた人でな、先代も知らない俺の弱点を知っている数少ない人だった。」
「まぁ、詳しくは言えないが、とにかく弟子想いの人でな。関取じゃない力士にも細かくアドバイスしたり、とにかく相撲の事をよく知っているおかみさんだった。」
「思い出は、沢山あるけど、俺が横綱になるのを見せられたのが最大の親孝行だったな。」
「ゆいPにも将来的にはそんなおかみさんになって貰いたいな。」
「私なんか、あんころ餅のレシピ覚えるだけでアップアップしているんだから無理言わないで頂戴!」
「横綱越乃海関素晴らしいお別れの言葉ありがとうございました。」
「何、ちょっとだけ恩返ししただけです。大したものではありません。これ、おかみさんの好きだった日本酒。棺に入れてやって下さい。」
「ありがとう、おかみさん(トヨさん)。さよならまた会う日まで。」
「では火葬場に参ります。」
「では私達はここで失礼します。」
「稽古の邪魔をしてすみませんでした。」
「息子さん、そんな事言わないで下さい。トヨさんの愛した時津川部屋の力士達は誰一人そんな事思っていませんよ?」
「はい!ありがとうございました。失礼します。」
「さーて。コシ関?3番稽古と行きますか?」
「バッキャロー!振る舞いで食ったもん吐き散らす気か?」
「それは確かですね。」
「まず、風呂。そして今日はちゃんこ無しで寝る。以上。」
「時津川親方も大分飲んでますね?」
「もう、へべれけだよ。」
こうして、先代のおかみさんであるトヨの告別式は終わった。
「さぁ、春場所も後半戦。しっかり全部勝って優勝するぞ!」
「オー!」
コシが1敗した事で、誰が優勝力士になるかは、見通しが立っていなかった。