第51話 令和12年初場所①(2030年)
年末年始関係なくこの横綱は部屋にいた。ちゃんこ長もほとんどの力士達が里帰りして、部屋にいない為、コシはちゃんこ長にお願いして解凍して食べられる冷凍ちゃんこをコシ自ら温め孤食していた。
帰省したい気持ちは山々だが、年が明けてから直ぐに初場所がある為、コシはもう何年も故郷新潟に帰省していない。もちろん電話やメールは頻繁にしてはいる。ぶつかる相手もいないので、ひたすら怪我をしない様に四股・摺り足・鉄砲を繰り返していた。
時津川親方もコシに帰省してはどうかと、毎年話をしているのであるが、コシはかたくなに「自分には相撲しかないので。」と、場所直前の帰省には乗り気では無かった。
ちゃんこ長が帰って来る来たのは1月4日の事であった。ゆたかや中村(時天山)が帰って来たのは1月5日の事であった。
「コシ関、マジで1週間冷凍ちゃんこでしのいでたんですか?」
「あぁ。」
「少し痩せたのでは?」
「まぁ、少し痩せたかったし。」
「ここまでストイックだから、毎場所優勝してるんすね?」
「ひかり!」
「はい?何でしょう?」
「頼んでおいた例の物ある?」
「はい!温めておきます!」
「新潟県産の餅米でついたあんころ餅だ。お前等も食うか?」
「嫌々。禁欲してたコシ関が真っ先に食べて下さいよ!」
「どうぞ!」
「ひかりの家のあんころ餅は小豆も最上級なんだ。豪華な御節なんか無くても、このあんころ餅さえあれば、俺の正月はそれで終わりだ。今年も美味いぞ!ひかり。」
「ありがとうございます。母も喜びます。」
さて、令和12年初場所が始まると、やはり土俵の主役はコシだった。横綱24場所目のコシは数キロ体重を落としたが、その分スピードが増し突き押しや喉輪の威力が増した。初日から無傷の8連勝で、中日給金直しとなったコシ。と共について行ったのは、新大関の時天山であった。意外にも初の中日給金直しで、コシと優勝争いを盛り上げていた。他の横綱・大関陣も軒並み好調だった。ゆたかはいつも通り序盤での取りこぼしがあったが連敗はしなかった。コシの連勝は128(初場所中日終了時点)となり、自身の打ち立てた記録を更新していた。
横綱となり4年。優勝に絡めなかったのはその内の3場所だけ。自分の若さと比較しても、全盛期と言っても過言では無かった。まだ21歳で、それだけのキャリアを積んでいるのは凄い事であった。あまりにもコシ一辺倒なので、大相撲の人気は低迷しかけていた。とは言え、長い大相撲の歴史の中でこれだけ勝ち続ける負けない力士はいなかった。改めて、コシの凄さが浮き彫りになった。このまま順当に勝ち星を積み重ねて行けば、前人未到の通算1500勝と通算50回の幕の内最高優勝。も夢ではなかった。
「はっきり言って記録については特に意識していないです。1日1番の精神で、相撲を取ると言うどの力士も持っているメンタルの強さ、と言うよりどの力士よりも努力していると言う自負はあります。その努力の結果が、今の横綱と言う地位に自分がいられる要因でしょう。」
と、スポーツ新聞のインタビューで語っている。とは言え、コシも人間だ。研究はされるだろうし、負ける事もある。それをどうやって乗り越えるか?横綱越乃海の力量が試されている。