第36話 令和10年名古屋場所①
横綱15場所目の越乃海は同部屋の大関豊山の綱取りがかかる、熱い熱い名古屋場所に挑む。
「コシ?分かっているよな?」
「何がすか?」
「ゆたかが綱取りなんだから優勝はゆたかに取らせてやれよ?」
「俺が気を使わなくても今のゆたかなら優勝位楽勝ですって。実際、稽古でも俺に勝ち越せる様になって来ましたし。」
「80%のコシにだろ?」
「俺が100%の力出したらゆたか怪我してまいますよ。」
「コシ?二十歳になったんだし、大人の事情位分かるよな?」
「そりゃあゆたかに横綱になってやりたいのは皆と同じですよ?」
「じゃあ2敗位してやれ。」
「何すか、それ?俺はもちろん優勝狙いに行きますよ。全力でね。それについて来れない様なら例えゆたかが横綱になったとしても俺の影に隠れるだけですよ?俺が欲するのは先場所の千秋楽の優勝決定戦の様な相撲ですよ。100%の俺に勝ち越せる様なら横綱になってもやって行けるでしょう。」
と、コシは熱弁していたが、あえてゆたかにはその事は伝えなかった。余計なプレッシャーをかけたくなかったからだ。
初日、特に波乱は無し。ゆたかもコシも格下の力士を問題にしなかった。関脇以下の力士とコシやゆたかの実力差は圧倒的であり、並の力士ではコシやゆたかのぶちかましやかち上げをまともにくらうと、気付けば土俵の外なんて事はザラにあった。ウィークポイントとされた立ち合いの変化も、臨機応変に対応する事を覚えたコシやゆたかには死角はほぼ無かった。それを可能にしたのが、圧倒的な稽古量だ。朝6時に起きて9時まで朝稽古。それからちゃんこを早めに取り、12時まで昼寝をする。12時からは夕方6時までひたすら四股と摺り足、鉄砲を行う。そこまでが全体の稽古であり、夕方6時からは夜9時まで自主トレとぶつかり稽古をする。力士の位に関わらず自分の力を上げたい若手がどんどん横綱や大関の胸を借りる。それが大体50番位であろうか?そこまでやって、ようやく風呂とちゃんこにありつける。自分の時間は就寝前の小一時間だけだが、強くなる為だ。仕方が無い。
本場所以外の日はほぼこのタイムスケジュールだ。本場所中は他の部屋と大差はない。こうして、相撲漬けの日々を送る事により、時津川部屋の力士達は強くなって行った。未だ金星無敗給のコシは中日給金直し8連勝と負ける素振りなど全く見せなかった。それに付いて行きたい大関豊山も中日給金直し8連勝とした。その2人を1敗で追うのが、横綱大鵬と大関安高等4人と優勝争いはかなり盛況であった。横綱豪昇龍は右肩を痛め、3日目から途中休場となっていた。普通はありえないのだが、珍しくコシが休場中の豪昇龍に見舞いの花を送った。同じ横綱として、何か察するものでもあったのだろうか?
前半戦は時津川部屋の横綱越乃海と大関豊山が、場所を引っ張る形となり、優勝争いは早くもコシVSゆたかの一騎討ちに成りそうな気配を見せていた。
「横綱越乃海としては壁になりたくない。」
「ってのが本音だろうな。」
「年上とは言え、可愛い後輩に花を持たせてやりたいだろ?」
「場所前も何度も何度も横綱越乃海の胸を借りていましたからね。」
「まぁ、それだけじゃ足らないのだがな…。」