第1話 先代
悲しみは突然やって来た。元横綱時天山(本名山本一平)の時津川親方が心不全で他界したのだ。55歳、まだまだ教わる事は沢山あった。
先代の急逝に伴い、元小結豊の国の稲妻親方が39歳で時津川部屋を継承した。まだデビューして4場所目だが負け知らずで21連勝中の東幕下40枚目の山田太は並み居る強者を倒し7戦全勝で幕下優勝し令和6年秋場所を取り終え先代に良い報告が出来そうだ。
十両昇進が懸かった令和6年九州場所東幕下7枚目で臨んだ山田は中日に二代目大鵬に突き落としで敗れてデビューしてからの連勝が31でストップしたが、6勝1敗で十両昇進を決めた。わずか初土俵から所要6場所で関取の座を射止めた。
まだザンバラ髪の16歳は令和7年初場所で西十両10枚目に昇進。四股名も山田→越乃海に改めた。この四股名は先代のアイデアで、出来れば生きているうちに見せたかった。
「15日間は長いが一番一番大切に取っていればあっという間だ。」
と、新時津川親方には言われた。ちなみに16歳7ヶ月での十両昇進は史上最年少であり、平成の大横綱である貴乃花よりも早い。近年はモンゴル人を始めとする外国人力士の台頭により、中々日本人の活躍が見られなかったが、越乃海は若手のホープとして二代目大鵬と共に期待されていた。
怪我さえなければもう幕の内は目の前だ。令和7年初場所は初日から12連勝したが、またもや天敵二代目大鵬にすくい投げで敗れた。だが切り換えて連敗はせず14勝1敗で十両優勝を果たした。東十両筆頭で迎えた令和7年春場所は、中日と12日目に黒星を喫したが、初めて二代目大鵬に勝利。13勝2敗で十両を連覇。幕の内昇進を確実なものとした。
入門して1年。身長は190㎝に伸び、体重は150㎏と立派な体格に磨きがかかっていた。
「師匠?先代に良い報告が出来ますね。」
「まだまだお前はこんな所では終わらんぞ?」
「そうですね。」
余りにも成長速度が早いので、時津川親方は理解が追い付いていなかった。
令和7年夏場所、東前頭11枚目にジャンプアップ。16歳11ヶ月の史上最年少で幕の内力士となった。ちょんまげ(大銀杏)はまだ結えず、ザンバラ髪の越乃海は序盤から怯む事無く幕内で相撲を取ったが、幕の内の壁は厚く8勝7敗で勝ち越すのがやっとであった。初の3連敗を経験した越乃海は、時津川親方からはこう言われていた。
「まだまだ勉強のつもりでとれ。もちろん、勝ちに行ってだ。」
と、アドバイスを受けていた。ホープとして活躍が期待されていたのは越乃海や二代目大鵬だけではない。同期入門で三段目最下位格付け出しの照の山なども十両で切磋琢磨していた。だが高卒や大卒のルーキーには負けられない、中卒叩き上げの意地があったのである。