第二十話 名前も知らない貴方が
「ここが、私たちのお家……」
白を基調とした二階建ての新居を前で、ルーシアが感心したように呟き、その大きな桃色の瞳を輝かせていた。
(こんな立派な家を用意して貰ったのに、三年で使わなくなるのは申し訳なく感じるな……)
ゲームのストーリーでは、勇者として覚醒したユリウスが王都の学園に向かう際、ルーシアは彼に同行してこの村から去っていく。
その未来を知っているダグラスは、この立派な新居をたった三年で使わなくなる未来を憂い、バツの悪い表情で家を眺めていた。
「すごく素敵なお家だねっ! ダグラス君もそう思うで……ダグラス君?」
家を眺めるダグラスの表情が憂いを帯びている事に気づいたのか、ルーシアはダグラスを心配したように呼び掛けてくる。
「……私との同棲、本当は嫌だった?」
「はぁ? 何言ってんだよ、同棲はそもそも俺様が言い出したことだろ?」
「……だって、あんまり嬉しそうじゃないし。それに、さっきはお母さんを連れて行こうとしてたし……」
「……はぁー。ちょっと来い」
不安そうな表情を浮かべるルーシアを見かねたダグラスは、彼女の手首を掴み、家の中へと入って行った。
十畳ほどの居間に置かれた木製のテーブルを挟んで、椅子に腰掛けるダグラスとルーシア。ダグラスはルーシアの目を真っすぐ見ながら、口を開いた。
「この際だから、はっきり言っておく。俺はルーシアのことをめちゃくちゃ大切に思ってる」
「——」
目を見張り、声も出せないといった様子で口元を隠すルーシア。そんな様子に構うことなく、ダグラスは言葉を続けていく。
「だから、俺がルーシアとの同棲を嫌がるなんてことは、絶対にあり得ない。さっきルーシアの母親を代わりに連れ出そうとしたのは、そっちの方がルーシアは幸せだと思ったからなんだ」
「……良く、分かんないよ……それのどこに私の幸せがあるの……?」
イメルダを連れて行こうとした理由をルーシアの幸せの為だと話すダグラスへ、硬直していたルーシアが困惑の声を漏らした。
「暴力を振るわれる心配が無くなって、好きでもない男との同棲や結婚も無くなる。幸せだろ?」
「——幸せじゃないッ!」
ルーシアは力強くテーブルを叩きながら立ちあがり、前のめりに否定の言葉を口にした。
「な、何でだよ?」
「——ダグラス君のことが好きだからッ!」
「 」
ルーシアの発した言葉に頭が追いつかず、ただただ言葉を失う。
ゲーム内でのルーシアは、常に自分よりも他人を優先し、自身の欲など一度も口に出さなかった。そんなルーシアが、ダグラスの目の前で自身の欲を力強く口にする。
「だから、ダグラス君と結婚したいし、私の代わりにお母さんが結婚するなんて絶対許せないのッ!」
「……」
ルーシアの怒鳴るような主張が部屋に響き渡った後、沈黙を貫くダグラスはゆっくりその内容を飲み込んでいく。
(……ルーシアが俺を好き……? 傲岸不遜にして、厚顔無恥、セクハラ大魔神のダグラスだぞ? 好きになる要素なんて…………いや、まさかッ⁉︎)
ルーシアに好かれる要素など一つも無いと考えていたダグラスは、信じたくない、しかし、そうとしか考えられない結論に辿り着く。
「……ルーシア、お前。——マゾだったのか⁉︎」
「——何でそうなるのッ⁉︎」
ダグラスの辿り着いた結論に、悲鳴を上げるかのように驚くルーシア。ダグラスは腕組みをして、目を瞑ると、自身の推理をゆっくり口にし始めた。
「まず、借金の形として無理やり婚約者にさせられてる。その上、その婚約相手は横暴な態度を取り、弱い者を虐めるクソ野郎。借金のことで逆らえないのをいい事に、身体を触りまくる変態野郎でもある……そんな相手を好きになるとか、真正のマゾ以外あり得ないッ!」
「自分の事なのに、すごい言い様だねッ⁉︎ ……確かに、ダグラス君へ良い印象は持ってないよ? ——でも、それはあくまでダグラス君に対しての話」
「?」
ダグラスの事が好きなのに、ダグラスへ良い印象を持っていないというルーシア。その言葉の真意が分からず、ダグラスが首を傾げていると……。
「私の怪我を治してくれた。私の境遇を知って、自分事のように怒ってくれた。私を救うって言ってくれた。倒れてまで、私の為に頑張ってくれた。そして、本当に私をお母さんの元から救い出してくれた——」
「——ダグラス君じゃなくて、貴方が好きなの。私の事を大切に思ってると言ってくれた、名前も知らない貴方が」
「……な、何、言ってんだ……? 俺が好きってことは……ダグラスが好きってことだろ?」
ダグラスではなく、ダグラスの身体に転生した久我へ対して告白してくるルーシアに、動揺しながら取り繕った。しかし、そんな言葉は意味がないといった様子で、ルーシアは口を開く。
「気づいてる? さっきから自分の事を『俺』って言ってるよ?」
「ッ!?」
ルーシアの指摘に顔を強張らせ、自身の失態を悟るダグラス。ルーシアらしからぬ行動に動揺し、生前のダグラスを演じることまで頭が回っていなかった。
「本当の名前、聞いたら教えてくれる?」
「……何言ってんだよ? 俺様はダグラス・イニティウムだ」
「そっか……。演技するのも疲れるだろうし、この家の中では、素で話してくれて良いからねっ? 誰にも言わないから」
本当の名前を聞けなかったことに残念そうな表情を浮かべたルーシアだったが、直ぐに笑顔を作り、家の中では演技しなくて良いと言ってきた。
(もう誤魔化しようの無いほど、完全にバレたな……)
ルーシアの言葉に頭を抱えながら、机に倒れ込んだ。そんなダグラスへルーシアが弾んだ声音で告げる。
「不束者ですが、末永くよろしくお願いしますっ!」
(末永くって……ちゃんと三年後にはユリウスについて行ってくれるんだろうな?)
大きなストーリーの改変を予期しながら、ダグラスは大きな溜め息を吐くのだった。
◇ ◇ ◇
「——ちょっと出かけてくるわ」
「今日も帰りは夕方ごろ?」
居間の入口から声を掛けてくるダグラスに、ルーシアが帰宅時間を問い掛けた。
ダグラスと共に新居で暮らし始めてから一週間。朝食を食べ終わり、二時間ほど経つと、ダグラスは決まって何処かに出掛けていく。何処に行くのか聞いてもはぐらかされ、ついて行きたいと言っても、絶対ダメ、と拒否されていた。
「おう。日が沈む前には帰ってくる」
「うん、分かった。いってらっしゃいっ!」
ルーシアに送り出され、ダグラスは玄関へと歩いて行った。
(……今日という今日は、絶対ついて行くっ!)
ダグラスの生活を邪魔しないよう、彼が一人で出掛けて行くのも追及せず、理解のある妻を演じていたルーシア。しかし、せっかく好きな人と同棲を始めたというのに、殆ど一緒の時間を過ごせていないルーシアは不満が募っていた。
(朝から出かけて夕方まで帰ってこないし、一緒に寝るのも許してくれないし……)
ダグラスは日中殆ど何処かに出掛けている為、せめて夜だけでも、とルーシアは昨夜ダグラスの寝室へ赴き、一緒に寝たいと提案した。
『ダグラス君、一緒に寝よ?』
『は……? いやいや、駄目だろそれは⁉︎ そういうのは、成人の儀を終えてからじゃないと』
『ただ一緒に寝るだけでも駄目?』
『ただ一緒に寝るだけで済ませられないから駄目。何で一緒に寝て、手を出されないと思うんだよ? 自分の魅力を自覚しろっ!』
昼夜問わず、一つ屋根の下で暮らしているとは思えない程の接触頻度。同棲から一週間で、ルーシアの我慢は限界を迎えた。
「——! 行こう!」
玄関から扉の閉まる音が聞こえ、ルーシアは腰掛けていた木製の椅子から立ち上がる。そのまま、玄関へと移動し、慎重に家の外に出ると、遠ざかるダグラスを追跡し始めた。
(——え……? 何してるの?)
村の周囲を囲んでいる木の柵まで歩き進めたダグラスが、低木の茂みにしゃがみ込む姿を見て困惑するルーシア。
ダグラスと接触して、揺れ動いていたであろう低木の動きが止まると同時に、ルーシアはダグラスがしゃがみ込んでいた低木へと近づいていく。
「柵に、穴……? もしかして、森に行ったの?」
低木の茂みに隠れた柵の下部が、四角く切り取られているのを発見し、ダグラスの行先に当たりをつける。
ただ、ダグラスが出て行ったであろうその穴は、土の壁によって塞がれており、ルーシアは困惑の表情を浮かべることとなった。
「一体どうやって、穴を塞いだんだろう? こんなの、土属性の魔法じゃないと無理だよ……」
そう考えたルーシアは、イメルダによって負わされた怪我を、ダグラスが治してくれたのを思い出す。
「もしかして、色んな『天職』の力が使える……? そんな事より、早くダグラス君を追わなくちゃっ! ——『水槍』」
ダグラスの通ったであろう穴を塞ぐ土に、魔法を撃ち込んで通れるようにするルーシア。
「これで通れるっ! ……あっ、どうやって穴を塞ごう……」
ダグラスが土の壁を作ったのは、柵の穴から動物や魔物が侵入しないようにだろうと考え、ルーシアは穴を塞ぐ方法に頭を悩ませる。
「水魔法だと穴は塞げないし……とりあえず、葉っぱで隠そうっ」
ルーシアは穴から出た正面に落ちている枝や葉をかき集め、穴の前に積み上げた。
「ふぅ……。大きい枝がたくさん落ちてて助かったぁ」
誰かに切り落とされたように、森が一直線に切り開かれており、そこに多くの枝葉が落ちていた為、短時間で穴を塞ぐことが出来た。
「……この切り開かれてる道って、たぶんダグラス君が普段通ってる道だよね?」
ダグラスが歩いて行ったであろう森の中を見つめながら、緊張に唾を呑み込む。森に一人で入るなど、恐ろしくて堪らないのだが、それ以上にダグラスの事を知りたかった。
「……進もう」
ルーシアは顔を強張らせながらも、森の中に続く開かれた道を歩き始めた。
「——水の、音?」
森の中、ダグラスが切り開いたであろう道を十五分ほど歩き続けたルーシアに、水の音が聞こえ始める。
そして、森の開けた川原へ到着すると、川の手前に立っているダグラスを発見した。
(見つけたっ! いつも、こんな所にまで来てたんだ……)
ダグラスの姿を視認し、顔を綻ばせながら木陰に隠れるルーシア。ダグラスが何かを呟くと、彼がいつも身に付けている黒い腕輪が紫紺の光を発した。
(えっ⁉︎ 腕輪が剣になっちゃった……)
突如ダグラスの右手に出現した剣へ、目を丸くして驚くルーシア。しかし、次の瞬間、更に驚くべき光景を目の当たりにする。
「へ……?」
川の前に立っていたダグラスの隣に光が収束し、もう一人ダグラスが現れた。余りにも非現実的な光景に、ルーシアは思わず声を漏らして呆然としてしまう。
(ダグラス君が二人に……? そんな事出来るなら、私の為に一人家へ置いておいてよッ! じゃなかった……一体どうやって?)
ダグラスが増えるという現象に、欲望が頭を擡げるが、頭を数回横に振った後、どう考えても【焔魔法師】に不可能な現象へ思考を巡らせた。
そんな中、漆黒の長剣を携えた二人のダグラスが対峙し、斬り結び始める。
(かっこいい……剣まで使えるんだ……)
巧みに剣を操るダグラスを恍惚とした表情で見つめるルーシア。
「……え?」
自身が森の中に居ることも忘れ、完全にダグラスに見惚れていたルーシアは、突如自身の足に巻きついた木の蔓に呆けた声を上げた——。