第十九話 昏き怨嗟の暴走
『上級魔法』を披露してから三日が経ち、ダーズから新居が完成したという報告を受けたダグラスは、ルーシアを迎えに、彼女の自宅前まで足を運んでいた。
「ルーシア、居るかー?」
家の戸をノックし、大きな声で呼び掛ける。すると、家の中から慌ただしい足音が聞こえ、家の戸が勢い良く開かれた。
「あらダグラス君、いらっしゃいっ! ルーシアを迎えに来たのよね?」
玄関には、ルーシアと同じ桃色の髪を腰まで伸ばしたイメルダが立っていた。
ゲームで登場しなかったイメルダの容姿が、ルーシアが成長したらこうなるだろう妖艶な美女だった為、少し面食らうダグラス。しかし、ルーシアに対するイメルダの仕打ちを思い出し、彼女への怒りが沸々と湧いてくる。
「そうっす」
こんなに冷たい声が出るのか、と自分でも驚愕するほど不機嫌な声が漏れ出た。ダグラスの機嫌が悪い事を察したイメルダは、引き攣った笑みを浮かべながら機嫌を取ろうとしてくる。
「聞いたわよ? 『上級職』を取得したんですってね? ルーシアと同い年だっていうのに、ホントに凄いわぁー」
「……」
ダグラスは分かりやすく煽ててくるイメルダへ冷たい視線を向けたまま、黙り込んだ。借金を気にしてのことか、イメルダは焦ったようにダグラスへ近づくと、彼の頭をその豊満な胸に抱き寄せる。
「『上級職』取得のご褒美に、ダグラス君がいっつも見てきてた胸を味わわせてあげる! こんなに凄いダグラス君と結婚出来るなんて、ルーシアが羨ましいわぁ~」
(チッ、好きじゃない男と結婚させられるルーシアの身にもなってみ…………待てよ? それってありじゃないか?)
イメルダの柔らかな胸に抱き寄せられるなど、生前のダグラスなら垂涎ものなのだろうが、現在のダグラスからすると嫌悪感しか抱けなかった。
ルーシアをイメルダから遠ざける為でなければ、彼女に好きでもない男との同棲なんて絶対させないのに、とダグラスがルーシアの境遇を嘆いていた時、とあるアイデアを思いつく。
(……ルーシアからイメルダを引き離すなら、イメルダを家から引き摺り出せば良いんだ! 何もルーシアが俺と暮らす必要は無いッ!)
ルーシアとの同棲を目前にして、天啓のように舞い降りたアイデアを口にすべく、イメルダの身体を押し退けた。身体を押し退けられ、一歩下がったイメルダの目を真っすぐ見つめて声を掛ける。
「……ルーシアが羨ましいって、本気で言ったんすか?」
「え……? そ、それは勿論! 何せ、十二歳で『上級職』よ? 輝かしい将来の約束されたダグラス君と結婚出来るなんて、誰もが羨むわ!」
ダグラスの問いかけに一瞬動揺したイメルダだったが、直ぐに彼を持ち上げる言葉を口にした。その言葉を受け、三日月のような笑みを浮かべたダグラスは、イメルダを指差しながら宣言する。
「——じゃあ、アンタで」
「え?」
告げられた言葉の意味が理解できないといった様子で、石のように固まるイメルダ。そんなイメルダの様子を気にも留めず、続けて言葉を告げる。
「俺様との結婚が羨ましいんだろ? だから、連れていくのはアンタにする。良かったな、今朝完成したばかりの新居で、誰もが羨む俺様との結婚生活が送れるぞ?」
「は、はぁ? 何を言って——」
顔を強張らせたイメルダが、反論の言葉を口に仕掛けた瞬間、彼女の背後で何かを落とすような音が聞こえ、その言葉を遮った。
「——なん、で……? どう……して……?」
イメルダの言葉を遮った音は、ダグラスがイメルダを連れていくと宣言した時、奥の部屋から出てきたルーシアが、同棲用の荷物であろう大きな鞄を床に落とした音だった。
ルーシアは鞄を落とした直後、崩れるようにその場で座り込み、玄関に立つダグラスたちを虚ろな目で見ながら、言葉を発していた。
「ル、ルーシア……さん? ど、どうされたんです……?」
いつもの優しげな瞳は何処へ行ったのか、一切の光を失った深淵のような瞳を向けてくるルーシアに底知れぬ恐怖を感じ、思わず敬語になってしまう。
「……私、いつも良く分かんなかったの……叩かれても、蹴られても、お母さんにやり返そうだなんて……暴力を振るうほど恨むって、どんな感じなのか。全然分かんなかった……」
「な、何言ってるのよルーシアッ⁉︎ い、嫌だわ、あの子ったらっ! ダグラス君との同棲が楽しみ過ぎて、おかしくなっちゃったのかしら? ダグラス君? 私、暴力なんて振るったことないからねっ?」
ルーシアに暴力を振るっていたことを暴露され、必死で取り繕うイメルダ。しかし、そんなイメルダの言い訳など心底どうでも良く、ダグラスの脳内は異様なルーシアへの心配に支配されていた。
(何があったんだ……? こんなルーシア、ゲームで一度も出てこなかったぞ……)
「……でも、やっと分かった気がする。お母さんは、いつも私にこんな気持ちを感じてたんだね……それは暴力も振りたくなるよ……」
「「え……?」」
ルーシアの発言に、ダグラスとイメルダは揃って困惑の声を漏らした。自分の気持ちよりも、常に相手の気持ちを優先してしまう心優しいルーシアが、暴力を振りたくなる、と発言したのだから無理も無い。
「ルーシア? アンタ今、私に何したいって言った?」
発言の内容に頭が追いついてきたのか、イメルダはダグラスが見ているのも忘れ、青筋を立てながらルーシアを睨みつける。
「……暴力振りたくなる気持ちが分かったのに、また一つ分からない事が増えちゃった。……ねぇ、何で?」
「はぁ? 何でって、何がよ?」
イメルダは、いまいち会話の成り立たないルーシアの返答に苛立ちを隠せず、不機嫌な声でルーシアへ聞き返す。
「何でお母さんは——」
「——私を殺さずにいられたの?」
「ッ⁉︎」
(……ルー、シア……?)
そこで初めて、何も映さない深淵のようなルーシアの瞳に、暗黒も昏い怨嗟の感情が渦巻いている事に気づいた。虚ろでありながら、明確な殺意を感じさせるルーシアの視線に怯み、イメルダは一歩後ずさる。
「な、何言ってんのよ……?」
「分かんないなぁ……私なら絶対こうしちゃうよ、——『水槍』」
「ア、アンタ、それ『中級魔法』じゃないッ⁉︎ どうしてッ⁉︎」
イメルダはルーシアの発動した『中級魔法』に、目を剥いて驚いていた。『中級職』の取得は、成人の十五歳が目安となっている為、イメルダはルーシアが『中級職』を取得しているとは、夢にも思わなかったのだろう。
「私、去年にはもう【水魔法師】を取得してたよ? ……ダグラス君の自尊心を傷つけないよう、隠してただけ」
(……だろうな。ルーシアの成長がダグラスより遅いなんて、才能階位から言ってあり得ない)
ゲームにおいて、メインヒロインの一人であるルーシアは、才能階位がSに設定されており、才能階位Bのダグラスより成長が遅い筈なかった。
「……まぁ、そんな事はどうでも良いでしょ? ——バイバイ、お母さん」
「——ひっ⁉︎」
呼吸をするかのような、さも当然といった雰囲気で魔法攻撃をイメルダに撃ち込むルーシア。恐怖に顔を歪めながら、短い悲鳴を上げて腰を抜かすイメルダの前へ、ダグラスは咄嗟に魔法を展開する。
「ッ⁉︎ 『火球』」
ダグラスの放った火の『最下級魔法』は、属性相性の最悪な水の『中級魔法』をいとも容易く相殺してみせる。
間一髪といった所で水の槍からイメルダを防ぎ切り、冷や汗を垂らすダグラス。廊下に漂う水蒸気が霧散した先には、悲壮な表情を浮かべるルーシアの姿があった。
「……なん、でよ? どうしてお母さんを庇うのッ⁉︎」
「目の前で人が死にそうになってたら、普通助けるだろ⁉︎ 何をそんなに怒ってんだよ⁉︎」
ダグラスは、今まで暴力を振るわれようと耐えてきたルーシアが、本気でイメルダを殺しに掛かっていることへ困惑していた。
「何をって、——私からダグラス君を奪ったことだよッ! お母さんさえ居なくなれば、予定通り私と結婚してくれるよね?」
「……は?」
ルーシアの蛮行が、彼女の代わりにイメルダを家から連れ出そうとした事に起因していると分かり、呆然としてしまう。
(……ますます分からん。俺がイメルダを連れてけば、暴力振るう奴は居なくなって、嫌な奴との結婚も解消される。……ルーシアに取っては、メリットしかないだろ?)
「——『水槍』」
(ヤバいッ! このままじゃマジでルーシアが殺人犯に……)
ダグラスがルーシアの態度に困惑する中、早くも第二射を準備し始めた彼女に、焦りを露わにして声を掛ける。
「わ、分かったッ! いや、本当は良く分かってないけど……とにかく、予定通りにルーシアと同棲するし、結婚もするッ! それで良いか?」
「……本当に?」
この場を収める事が最優先だと判断したダグラスは、ルーシアの怒る理由を理解出来ないまま、彼女が発した言葉の意に沿うよう提案した。ルーシアはその提案に対し、瞳孔の開いた瞳でダグラスを見つめながら首を傾げる。
「あぁ、本当だ(結婚と言っても、三年後にはユリウスがルーシアを連れて行くんだけどな……)」
「——良かったぁ……ダグラス君の気が変わらない内に、早く行こうっ?」
ダグラスの言葉を受けて一度俯いたルーシアが再び顔を上げると、先程までの様子が嘘だったかのように、いつも通りの優し気な表情に戻っていた。
ルーシアは床に落としていた荷物を拾い上げると、玄関に立つダグラスへと駆け寄ってくる。そのまま押し出すように、ダグラスを玄関の外へ連れ出し、ルーシアは家の中を振り返り、イメルダへ言葉を掛けた。
「お母さん、今までお世話になりました。——次、ダグラス君を誘惑するようなことがあれば……分かるよね?」
「わ、私は、別に誘惑してなんか……」
「……私が荷物を用意している時、『ご褒美に胸を味わわせてあげる』なんて戯言が聞こえたけど、あれは誘惑に入らないんだねっ? ——そんな思考しか出来ない頭なら、私の魔法で今すぐ吹き飛ばしてあげるよ?」
「ひぃっ!?」
明るい声音でとんでもない事を口走るルーシアを怖じ恐れたイメルダは、短い悲鳴を上げて、玄関で腰を抜かしまま失禁した。その余りにも情けなく、哀れな姿を見たダグラスは、ルーシアの両肩に後ろから手を置いて、声を掛ける。
「その辺にしといてやれよ。……え~っと、お義母さん? ルーシアは必ず幸せにする。ただ、その幸せの為に、アンタはもう二度と干渉しないでくれ」
「……」
放心状態のイメルダにそう告げたダグラスは、ルーシアの肩に乗せた手を使って、彼女の身体を家の外に向くよう反転させ、そのまま新居まで押し進めるのだった——。