第十七話 眠れぬ夜に貴方を想う
幽鬼のように青褪めた表情で、ふらつきながら森を進み、村へと辿り着いたダグラスは、なけなしの魔力を使った土魔法で柵の穴を塞ぐ。
(……あと……少し……)
突き刺すような頭の痛みと霞む視界。あと少しで家に着くと言うのに、意識が朦朧としているせいか、何もないところで躓き、地面へ倒れ込む。
(……ヤバい……今倒れたら……)
限界の身体に鞭打って、無理やり動いていたダグラスは、倒れ込んだ身体を起こす力など残っていなかった。立ち上がろうと地面に手を突き立てるも、体重を支えることすら出来ず、顔面から再び地面に衝突する。
「——ラス君!」
自身へ呼び掛ける少女の声が届いた瞬間、ダグラスは完全に意識を失った。
◇ ◇ ◇
「……眠れないなぁ……」
ベッドに入ってから三時間以上経過しているというのに、一向に眠気の来ないルーシアは、天井に向かって愚痴を零した。
上体を起こし、ベッドから降りたルーシアは、月明りの差し込む窓から外の景色を眺める。
(今日は色々あったな……)
イメルダから追い出されるようにダグラスの家へと赴き、ダグラスに自身の負っている怪我がバレてしまったのを思い出す。
ルーシアはおもむろに自身の服を捲り上げると、青黒い痣があった筈の脇腹が、何事も無かったかのように治っているのを確認した。
(ダグラス君、一体どうやって治してくれたんだろう……? それに、私のことをすごく心配してくれてた……)
行方不明になった後、村へ帰還したダグラスは、何処か様子がおかしかった。
いつもルーシアの胸に下卑た視線を向ける傍若無人なダグラスが、しっかり彼女の顔を見て会話をしたり、彼女の怪我や家庭環境を心配したりと、別人のようになっていたのだ。
(ダーズさんとあんな約束まで交わして……)
成人前に『上級職』を取得したら、直ぐに新居を建てて貰うという、ダグラスとダーズが交わした約束を思い出し、顔を綻ばせる。
(無理だって分かってても……嬉しかったなぁ……)
ダグラスは自信に満ちた声で安心しろと宣言していたが、ルーシアは成人前に『上級職』を取得することが、どれ程無謀な事なのか良く理解していた。
精鋭の護衛と共に、幼い頃からダンジョンで『天職』を育てる貴族でさえ、成人前に『上級職』を取得するのは稀なのだ。こんな辺境の村で、成人前に『上級職』を取得できる訳が無い。
しかし、ルーシアはその約束の成就に拘らず、ダグラスが彼女を助ける為に動いてくれたこと自体が嬉しかった。
(今のダグラス君となら……結婚、嫌じゃないかも……)
ダグラスの姿を思い出しながら、月明りの降り注ぐ閑静な村の様子を眺める。
「ダグラス君……あれ? ダグラス君……?」
おもむろにダグラスの名を呟いたルーシアは、静まり返った深夜の村に、ダグラスが歩いている姿を発見した。
ダグラスの事を考えすぎて幻覚が見えたのかと、目を擦るルーシアだったが、それでも消えないダグラスの姿に本物なのだと理解する。
「こんな夜中に何してるんだろ……? ——えっ⁉︎」
首を傾げながら、村の中を歩くダグラスを観察していたルーシアは、彼が突然倒れ込むのを目にして、驚愕の声を漏らす。必死に立ち上がろうとするも、再び地面に崩れ落ちるダグラスを見て、ルーシアは自室を飛び出した。
「——ダグラス君!」
名前を呼びながら、道端で倒れ込むダグラスへ駆け寄るルーシア。
「ダグラス君! 大丈夫っ⁉︎」
ダグラスの元に駆け付けたルーシアは、その場にしゃがみ込むと、うつ伏せのダグラスを反転させ、肩を揺する。意識の戻らないダグラスに焦ったルーシアは、彼の身体に大きな外傷が無いか急いで確認する。
「怪我はッ……あれ、特にない?」
目立った外傷が一切ないダグラスに、困惑した表情を浮かべるルーシア。
「……とりあえず、ダーズさんを呼ばなきゃ」
自分の力ではダグラスを運ぶことは出来ない為、ルーシアはダーズを呼びに行くのだった。
◇ ◇ ◇
「……ぅ……ん……?」
目が覚めたダグラスは、ベッドから上体を起こして瞼を擦る。その後、ピントが合い始めた視界に、見慣れない何かが映り込んだ。
「……へ?」
椅子に座りながら、ベッドの端に頭を乗せて眠るルーシアを見て、腑抜けた声が漏れる。
「……分かった、これは夢だな」
そう結論付けると、再びベッドに倒れ込み、二度寝を試みる。
「……ん……ダグラス君……? ッ⁉︎ 目が覚めたのッ⁉︎」
ベッドに倒れ込んだ衝撃で、ルーシアが目覚めてしまい、椅子から立ち上がった彼女が声を掛けてくる。
「目は覚めてない。いま、夢の真っ最中」
「何言ってるの! 心配したんだよ? 昨日の夜、突然道端で倒れちゃったから」
ルーシアの言葉を聞いて、ダグラスの頭に昨日の出来事が蘇る。
(あれ……そう言えば、村の道端で倒れたような……)
『上級職』の取得後、自宅へ戻る最中に力尽きた事を思い出し、何故自分がベッドに寝ているのか分からず、困惑するダグラス。
「……何で夜中に倒れた事を知ってるんだ? というか、何で俺は自分のベッドで寝てるんだ?」
「昨日、寝つきが悪くて、窓から外を眺めてたら偶々ダグラス君が倒れるのを見かけたの。その後、ダーズさんを呼びに行って……あっ、ダグラス君の目が覚めたって、ダーズさんに教えてくるねッ!」
「え? あっ、おい!」
そう告げるなり、部屋を飛び出していくルーシア。慌ただしい様子のルーシアに呆然としつつも、とりあえずベッドから降りるダグラス。身体を伸ばしながら、昨日感じていた頭痛や倦怠感が、すっかり消えているのを確認していると……。
「ダグラァァァアアアスッ!」
「——グヘェッ!?」
ダグラスの名前を呼びながら、凄まじい勢いでダーズが飛びついてきた。
「おぉ、ダグラスよッ! 大丈夫か? 痛いところは無いか?」
「無かったけど、今ちょうど出来たところだわッ!」
自身に飛びついてきたダーズへ、批判的な視線を向けたダグラスが苦言を呈する。ダーズは身長一八〇センチを超える巨漢であり、齢十二歳の子供に全力で飛びついて良い体格じゃないのだ。
「ふむ、元気そうで良かったわいっ! ……さて、ここからは真剣な話じゃ」
ダグラスにじゃれついていたダーズが距離を取り、真剣な眼差しを送ってくる。
「ダグラス。お主は一体何をしておったのじゃ? 何故、夜道で倒れておったのじゃ?」
「……」
森へ熟練度上げに行ってました、などと馬鹿正直に話す訳にも行かず、ダーズの質問に押し黙った。そんなダグラスへ追撃するかのように、ルーシアが口を開く。
「私も気になるよ……。道端で倒れ込んじゃうなんて、一体何をしてたの……?」
(さて……どう答えたものか……)
ダーズに引き続き、ルーシアからも行われた当然の質問に、腕組みしながら思考を巡らせる。しかし、意識を失う状態に陥るような、上手い言い訳は思いつかず、結局本当の事を口にした。
「……ちょっと修行へ」
「「修行?」」
ダグラスの言葉がいまいち理解出来ないといった様子で、ルーシアとダーズは揃って首を傾げた。
「修行とはなんじゃ? もっと詳しく説明せい」
ダグラスの濁すような物言いに、鋭い視線を向けたダーズが、詳細な説明を要求してくる。観念しましたと言わんばかりに両手を頭の高さまで掲げたダグラスは、昨夜倒れた経緯を話始める。
「魔法の修行をしてたら、思った以上に疲弊して、意識を失っちまった。以上」
「ほほう? 夜中の『火魔法』は、さぞ目立つじゃろうに、村の住人が気付かない筈なかろう。……本当の事を言うのじゃ」
ダグラスの言葉を嘘だと考えたのか、ダーズは威圧するように低い声で追及してきた。
「いや、本当だし。村の人が気づかなかったのは、俺様が森で修行してたか——」
「——森じゃと?」
「あ……」
ダグラスが森に行くのを禁止していた張本人であるダーズへ、森に行っていた事を口走ってしまい、顔を引き攣らせる。
「……ダグラスよ。儂は言ったじゃろ? ——森に行ってはならんと」
「お、おう……」
憤怒を宿したダーズの瞳から視線を逸らし、気まずい表情を浮かべたまま頬をかく。すると、逸らした視線の先で、ダーズに勝るとも劣らない不機嫌な表情を浮かべたルーシアが、こちらを睨んでいた。
「な、何でルーシアまで、そんなに睨んで来るんだよ……」
「だって、森なんて只でさえ危ないのに……。夜中に、それも一人で行くなんてッ!」
「う……」
ゲームでは殆ど見ることの無かった、温和なルーシアの怒る姿に動揺しながら、ダグラスは一歩後ずさった。
「ルーシアちゃんの言う通りじゃ。……何故、真夜中に危険な森へ入るなんて真似をしたんじゃ?」
ダーズの責め立てるような質問に、ダグラスはバツの悪い表情を浮かべて返答する。
「……少しでも早く『上級職』を取得する為だよ」
「「⁉︎」」
森に行った理由が意外だったのか、ルーシアとダーズは目を剥いて驚愕していた。そして、ルーシアは自身の口元を手で覆い、たじろぎながら言葉を漏らす。
「……わ、私……ダグラス君がそんな無理するの……望んで無いよ……」
ダグラスが危険な行動を起こした原因は自分にある、と責任を感じた様子で、声を震わせるルーシアへ、ダグラスは即座に反論する。
「——ルーシアは関係ねぇよ。俺様は、俺様が強くなる為に森へ修行に行ったんだ。勘違いすんなッ!」
「儂とあんな約束を交わしておいて、その言い訳は無理があるぞ?」
ルーシアが責任を感じてしまわないよう反論したダグラスへ、ダーズから呆れた視線が向けられた。確かに、約束を交わした日の晩に修行へ出かけたのだから、ルーシアが無関係だと言い張るのは無理がある。
(……無理があるとは理解してるけど、ルーシアに責任を感じて欲しくない)
「平民が成人前に『上級職』を取得するなんて、かなりの偉業だろ? 俺様の凄さを周囲へ知らしめるのに、『上級職』の取得は丁度良い手段なんだよ」
「……ダグラス君……」
ダグラスの発言を一切信じた様子の無いルーシアは、暗い表情を浮かべて、ダグラスを見つめてくる。
(……あぁもう……そんな顔をさせない為に行動した筈なのに……)
「……ハァー、お主の言い分は分かった。じゃがなぁ、ダグラス。こんな無理を続けておれば、『上級職』を取得する前に死んでしまうぞ?」
「そうだよダグラス君。『上級職』の取得なんて、どうでも良いから……もう二度と、こんな無理はしないで?」
心からダグラスの身を案じてくれている二人に、申し訳なさを感じつつも、『上級職』の取得を無理だと告げる二人へ、いたずら心が芽生える。
「——二人とも、ちょっとツラ貸してくれ」