第十四話 今、救いを求める君の為に
ルーシアが発した言葉に動揺し、瞳を激しく揺らすダグラス。
(……お、俺のせい? まさか、ダグラスがルーシアにこんな怪我を負わせたのか……?)
生前のダグラスがクズなのは分かっていたが、ルーシアに対し暴力を振るう人間だったのか、と頭が真っ白になる。そんなダグラスに対し、ルーシアは更に衝撃的な発言を口にした。
「ダグラス君がッ——もう来なくて良いなんて言うからッ!」
(……それを言ったのは昨日……つまり、怪我の原因は生前のダグラスでは無く——俺?)
ルーシアの言葉に、訳が分からないと、動揺しながら一歩後ずさるダグラス。
「……お、俺の言葉とルーシアの怪我に何の関係が?」
「……昨日、ダグラス君に追い返された後——」
◇ ◇ ◇
「やるべき事があるんだよ。俺様の貴重な時間を、お前なんかに割いてる余裕は無いんだ。——分かったら、ユリウスの所にでも行ってろッ!」
「——ま、待ってッ!」
ルーシアの静止も虚しく、ダグラスは家の中へと入ってしまった。
「……どうしよう。追い返されるなんて、今まで一度も無かったのに……」
ルーシアは行く当ても無く、とぼとぼと村の中を歩き始める。
(ダグラス君の家に言った筈の私が急に帰ってきたら、お母さんびっくりしちゃうよね……)
自分の家に帰ろうかとも考えたが、母親に帰ってきた理由を尋ねられたら、返答に困るな、としばらく時間を潰してから帰ることにしたルーシア。
(ダグラス君の言う通り、ユリウス君へ会いに行こうかな……?)
幼馴染の優しげな少年を思い浮かべつつ、村を歩くルーシアの背後から、彼女が人生で一番聞いているであろう声が届く。
「——ルーシア? アンタ、こんな所で何してるの?」
「お、お母さん⁉︎」
ルーシアは驚きの声を上げながら、背後を振り返る。そこには、桃色の髪を腰あたりまで伸ばしたルーシアの母——イメルダが首を傾げながら立っていた。
「ダグラス君の家にお邪魔してるんじゃなかったの?」
(どうしよう……何て説明すれば……)
家に帰るまでの時間で、ゆっくり説明を考えようとしていたルーシアは、母から問われた問いに対し、上手い説明が思いつかなかった。
「ダグラス君から帰ってくれって言われて……」
「あら、珍しい。あのダグラス君がルーシアを帰らせるなんて、今日はよっぽど大切な用事があったのね」
イメルダはルーシアの言葉に目を丸くして驚いた。ルーシアは数回首を横に振った後、言葉を続ける。
「今日だけじゃなくて……その……もう、来なくて良いって……」
「——は?」
「ヒッ……」
イメルダが発した底冷えする声に萎縮し、ルーシアは身体を小刻みに震わせた。イメルダは感情を削ぎ落とした顔でルーシアに近づき、彼女の腕を乱暴に掴み取る。
「痛っ! ……お母さん?」
「——詳しい話は家で聞くわ」
そう告げたイメルダに手を引かれ、ルーシアは帰宅するのだった。
「——それで? どうして『もう来なくて良い』なんて言われた訳?」
帰宅後、居間に入るなり、座ることもせずにイメルダがルーシアへ質問を投げ掛ける。
「やる事があるって言われて……私と会ってる時間はないって……」
「へぇー? アンタはそれに何て返したわけ?」
「その言葉の後、ダグラス君は直ぐ家の中に戻っちゃって……」
「……そう。ルーシア、こっちに来なさい?」
ルーシアの言葉を聞いたイメルダは、居間の入り口付近に立っていたルーシアを手招きし、自身の立つ部屋の中央辺りまで呼び寄せる。
「? どうしたの、お母さ……」
「——この愚図がッ!」
「——ァッ⁉︎」
左の脇腹を正面から蹴られたルーシアは、肺の空気を全て吐き出しながら身体を浮かせ、元の立っていた位置から二メートル以上離れた木の床へ叩きつけられた。
(痛い痛ぃイタいィダイ痛イイダィィダィ痛いッ——⁉︎)
痛みに悶絶し、呼吸もままならないルーシアへ、侮蔑の視線を向けたイメルダが口を開く。
「昔、アンタがダグラス君との結婚を嫌がった時も、私言ったわよね? 身体でも何でも使って、ダグラス君に取り入れって。散々私に殴られたアンタはなんて言ったか覚えてない? こう言ったのよ? 『ダグラス君と絶対結婚するから殴らないで』って。 ……それなのに、どうして『もう来なくて良い』なんて言われるわけ?」
「——グッ……ゲホゲホッ……カヒュッ……ゲホッ……オェ……」
「アンタとダグラス君が結婚すれば、この村に移住してきた時、村長に支援して貰った借金がチャラになるの。この村に移住した直後、早々に他の女を作って出て行ったあのクソ男。——アイツが返すべき借金を、血の繋がったアンタが清算するのは当たり前の事よね?」
「……ゲホッゲホッ……うぅ……」
苛ついた表情を浮かべるイメルダは、腹を抱えて蹲るルーシアから視線を外し、ソファーへと腰を下ろす。
「あのクソ男と血の繋がったアンタを育ててるのは、借金の形だからだって言うのに……。今日は何か用事があるのかも知れないから、明日もう一度ダグラス君の所に行きなさい。何としてでも、婚約破棄は回避するのよ? ——媚びを売って、身体を使って、必要なら靴でも舐めて来なさい」
「……ゲホッ……ひぐっ……うぅ……」
◇ ◇ ◇
「——お医者さんに行ったら、絶対お母さんが呼ばれる。もし、お母さんに迷惑が掛かったら……次はもっと酷い目に……」
「……」
ルーシアが涙を流しながら語った、医者へ行きたくない悲惨すぎる理由に、ダグラスは絶句し、石のように固まった。
(……何だよ、それ……何がどうなってるんだよ……ルーシアにそんな背景があるなんて、ゲームには一切出てこなかったのに……)
「——ごめんね、ダグラス君。ダグラス君は何も悪くないのに、八つ当たりしちゃって……」
ルーシアは涙を拭い、バツの悪そうな表情を浮かべると、ダグラスへ謝罪の言葉を口にした。
(……いや、生前のダグラスなら『もう来なくて良い』なんて、絶対口にしなかった。ルーシアが怪我を負う原因を作ったのは、——間違いなく俺だ)
自身の迂闊な発言に対する怒りで顔を俯かせ、爪が肉に食い込むほど強く拳を握りしめる。
(口調だけ真似て、上手く立ち回れてる気になって……何て浅はかなんだよッ、俺はッ!)
心の中で自分を罵倒するダグラスは、怒りで声が震えないよう気を付けながら、ルーシアへ問い掛ける。
「……普段から母親に暴力を振るわれてるのか?」
「え……? そ、それは……私が傷ついて見た目が悪くなると、ダグラス君からの印象も悪くなっちゃうから……」
普段は暴力を受けていないなら、そう言えば良い筈なのだが、歯切れの悪い返答をするルーシア。そんなルーシアの態度に、ダグラスは問い詰めるように言葉を発する。
「悪くなるから、何だよ?」
「ぅ……服で隠れる部分を……叩かれたりする、かな……。——で、でも! お母さんの機嫌が悪い時だけだし、こんな大怪我するのは初めてだよ?」
「大怪我って自覚はあるんだな?」
「……」
機嫌が悪い時のみ、こんな大怪我は初めてなど、何の擁護にもならない発言をするルーシアへ、鋭い視線を向けるダグラス。
「何でルーシアがそんな目に遭うんだよッ! おかしいだろッ!」
「私には、浮気をして消えたお父さんの血が流れてるから……お母さんが私を嫌うのもしょうがないよ……」
そう告げながら乾いた笑みを浮かべるルーシアは、見ていられないほど痛々しい。浮気して逃げた父親に対する恨みを、娘に向けて良い道理はない筈なのに、何もかも諦めた目で、イメルダの態度を当然の事だと受け入れるルーシア。
(クソッ……! ルーシアの怪我は、俺の勝手な行動が招いた結果だ。俺はもう何もすべきじゃ無いッ!)
「ダグラス、君……? その、唇から血が出てるよ……?」
悲惨なルーシアの現状を傍観する事しか出来ない自分の不甲斐なさに、唇を噛み締めていたダグラスは、ルーシアに指摘されて初めて、自身の唇が切れている事に気がつく。
(三年……あと三年の我慢だ。そうすれば、勇者に覚醒したユリウスが、ルーシアを王都へと連れ出してくれるッ)
ゲームのストーリーを思い出しながら、必死に自分へ言い聞かせる。
(ストーリーを改変する可能性のある行動は控えろッ! 俺がこの世界に来た目的を思い出せッ!)
【極越神】の力でも何でも使って、今すぐルーシアを救いたい、という気持ちに蓋をする。ラファリアを始めとする『救われなかった者への救済』という、この世界に来た目的を思い浮かべた瞬間……。
(……今まさに、目の前で救われていない少女が居るのに——この状況を見捨てて、本当に良いのか?)
ゲームでのルーシアは、ユリウスによってこの村から連れ出され、幸せに過ごしていた。だから、ここでストーリー改変のリスクを犯してまで、ルーシアを助ける必要はないのかも知れない。
「——ルーシア、目を瞑れ」
「え……?」
「良いから、目を瞑れ」
「う、うん……」
唐突なダグラスの要求に戸惑いながらも、おずおずと目を瞑るルーシア。その様子を確認したダグラスは、ルーシアが負傷している左脇腹の上へ右手を翳す。
「——『治癒』」
スキル名を口にすると、ダグラスが手を翳しているルーシアの左脇腹に、ダイヤモンドダストのように煌めく黄金の光が出現する。
「……すごく……あったかい……」
瞼を閉じた状態で、何をされるのか分からずに不安な表情をしていたルーシアは、ダグラスの『治癒』が発動すると、その表情を穏やかなものへ変化させた。
(……ルーシアが三年間我慢する? 母親からの暴行を受けるかも知れない家で、毎日怯えながら? ——冗談じゃないッ!)
三年後に救われる未来があったとしても、これから過ごすであろう悲痛な三年間を見過ごして良い訳が無い。
(今この瞬間、救われていないルーシアが居るッ! それだけで、俺が動くには十分過ぎる理由だッ! ——余さず全員救うと、そう誓っただろッ!)
【火魔法師】であるダグラスが、ルーシアの怪我を神官系統しか使えない聖法スキルを使って治療するという、言い訳しようの無い異常な行動。メインキャラであるルーシアに対するその行動は、今後のストーリー展開に影響する可能性が高かった。
(ストーリー改変が何だッ! 何があっても対応出来る強さを、俺が身に付ければ済む話だろッ!)
ダグラスの『治癒』が発動してから数十秒が経過し、治療が完了すると同時に黄金の光が霧散した。穏やかな表情を浮かべるルーシアを見て、ダグラスは決意する。
(ルーシアを母親から救い出すッ! ただ……虐待を誰かに訴えるなんて真似をすれば、母親の性格上、何が何でもルーシアに報復するだろうな)
ダグラスの要求へ愚直に従い、目を瞑り続けるルーシアの頭に手を乗せ、優しく撫でながら、彼女を救う方法に思考を馳せる。
「え……? えっと……ダグラス君……?」
(ルーシアを救う条件は、母親の住む家から連れ出すこと。ユリウスやミカエラの家に引き取って貰う? いや、虐待を訴えるのが危険な以上、ルーシアを連れ出す大義名分が無い……)
ルーシアをユリウスやミカエラの家に匿って貰う事を考えたが、イメルダが彼女を連れ戻しに来る光景が目に浮かんだ。
「……ど、どうして、頭を撫でてるの……?」
(ルーシアを連れ出しても、ルーシアの母親が納得する大義名分……借金の返済……ダグラスとの結婚……。——よし、これで行こうッ!)
ルーシアを家から連れ出すアイデアを思いついたダグラスは、ルーシアの頭を撫でていた手を下ろして口を開く。
「もう目を開けて良いぞ?」
「う、うん…………怪我が、治ってる……」
目を開いたルーシアは、痛みが引いたことを不思議がる様子で服を捲り上げると、自身の脇腹にあった大きな痣が消えている事に気付き、呆然していた。
「な、何で……? ダグラス君って、魔法系統の『天職』、それも【火魔法師】だよね? 一体どうやっ——」
「——そんな事よりッ! ちょっと一緒に来てくれ」
「え……?」
ルーシアの追及を遮り、ダグラスは彼女の手首を掴んで優しく引いていく。ルーシアは戸惑いながらも、特に抵抗はせず、ダグラスについて行くのだった——。