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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

勇者村人Bのはなし

作者: みかか

残酷な描写があります。暗い復讐譚。魔王村娘Aの対で、終結のはなし。

 ばちん!と何かが切れるような、そんなかたちで青年は目を覚ました。

とたん鼻をつくのは血の臭い。

それと同時に体中が冷たいこと、冷たい、柔らかく硬い物に押しつぶされているような重量感に気づく。

それが何かを理解するより先に、彼は土をかき分けるように必死で周りをかきわけて『重量』の下からはい出た。


 すでに日は落ちて何も見えないような状態でも、彼には見えてしまった。

まるで押しつぶすように己の上にあったものが、己の家族であったことに。

家族だけではない。

村の人々が、まるで藁束を棄てるように無造作に放り出されている。


「……っ」


 ひゅ。思わず吸い込んだ空気も血の臭いしかしない。

知らず握りこんだ手の爪が手のひらを傷つけたのにすら、気付かない。


「俺の、せいなのか。あいつを、殺さなかった、俺の」



 青年には、かつて自分が勇者として魔物を率いていた魔王を倒した記憶があった。

幼い頃に聞かされた御伽噺の中の勇者と、自分の記憶の中の記憶での名前が違っていたり、王家が勇者の子孫であるという話の差異こそあったが……。

そして彼の二年後に生まれた女児には、かつての魔王の魂の気配があった。

だが見目も行動も常人の女児と変わるところは何一つなかった。

やや年齢よりも思慮深いようなところはあったが、大人しいと呼べる範囲に収まるもの。

十年をすぎるうちに、この娘は本当に魔王であったのかという疑いを彼が抱くに至るほど。

娘が十五になるころには当たり前の少女としか思えなくなり、ついには求婚してしまった。

ずっとそばで穏やかに過ごしていた年月が、青年にそれを決意させた。

こうなったら一生傍にいて、見張ってやろうと。

力を神によって封じられただの人間として生まれ変わった魔王を、ただの人間のまま死ぬまで見張れ、……このめぐりあわせには、そういう意味があるのだと彼は受け取った。

もちろんそれが、自分の建前であることを青年は重々理解はしていた。


 風向きがおかしくなったのは、結婚の申請を出した後のこと。

本来なら数日で降りるはずの許可がなかなか出ず、しかもそれが条件付きになっていた。

領主の息子が初夜権を要求した。

それを伝えられたのが父伝いで、しかも父も怒り狂っていたから青年は落ち着けたようなものの、それがなければ翌日と言わずその夜にでも、斧を片手に領主の館まで抗議に出ていたかもしれない。

初夜権の代わりとしての金銭も莫大な額で、最初から選択肢が無いも同然。

諦めて花嫁を差し出せというのは明らかだった。

領主の息子が少女に横恋慕していたことは青年も知っていたが、もとより貧しい土地の領主とはいえ貴族である。

近隣の同程度の領主の娘が縁付くことは決まっていたし、なにより今の領主はまっすぐな気質の真面目な男であったため、息子の暴走を許さないだろうという信頼のようなものがあった。

その信頼を、よりにもよって領主の留守中に息子がぶち壊したのだ。

当代もそろそろ任せても良いだろうと、長期間の留守中の代官にしたのだろうが……。

ひとまず一旦ふたりの結婚は取りやめ、村総出で金を稼ぐことでそれをクリアし、領主が戻ってから改めて彼へと訴えるという方法を取ったが……。


 ある朝、村は武装した神殿の騎士たちによって包囲された。

この村にもある神殿と同じ神を奉じているはずの男たちは、村人を前に宣言したのだ。

この村に魔王の因子が下った。魔王の因子が宿るものを捨ておけぬ。

検査をするゆえ、一家族ずつ陣幕へと出頭せよと。


 青年はきらきらしい鎧、揃いのサーコートの影に隠れる領主の息子を見つけた。

あれの差し金であることは間違いないだろう。

嫌がらせに神殿騎士たちまで呼ぶとは……。


「私が先に入って弁明しよう。まさかあの愚か者の戯言に、神殿を付き合わせるとは」

「ワシも行こう。もはや我慢ならん」


 ざわめく村人たちの中から、村に長くいた老神官と村長が真っ先に名乗り出た。

その言葉通り老神官が、そして村長の一家が村のはずれに作られた神殿騎士団の陣幕へと出向いたが、戻らぬまま次の家族が呼ばれた。

その家族もまた、戻らない。

その次も。その次も。

青年はつないだ手の先、幼馴染の少女を見た。

不安に血の気をうしない、スカートにしがみつく妹を守るように抱き寄せているその姿は、当たり前の、どこにでもいる無力な村娘でしかない。

彼らが口実とする魔王の魂を宿しているとは、とても思えない……。


 彼の視線に気づいた少女が顔を上げて、すがるようなまなざしが返される。

怯える目は、その感情にウソが無いことを教えている。

なにか返そうとする前に、彼の家族の名が呼ばれた。

元より村の人口は多くは無い。

何か騒ぎを起こして、村の周囲にいる兵士を引きつければ彼女くらいは逃がせられないだろうか……。

後ろ髪を引かれるような思いでそっと手を離して、青年は少女から離れた。

だが、青年の決意は洗練された悪意―――本人たちにとってはそうではないだろうが―――の前にはあまりに無力だった。

陣幕の中に入った瞬間、先頭に立っていた父、最後尾の母があっという間に捕らえられ、祖父母もまた同じく。そして怯んだところを弟と彼自身も囚われ口をふさがれた。


「因子有り」「有罪」


 何かを読み上げるような、単調な声に続けて父の喉が切られる。


「因子有り」「有罪」


 後ろから人の倒れる音がして、母もそうされたのだと青年は知った。

続けて祖父母も同じようにされたとき、青年は動いた。


「……っ、がああ!」


 一度青年は後ろへと頭を振り、背後にいた騎士の顔にぶつけて怯ませ、腕を緩めさせる。


「因子有り」「有罪っ」


 彼の行動に少し焦りが混ざるが、声は続く。

彼の足元に軽いものが倒れ掛かり、弟も始末されてしまったことを彼に教えた。

しかし、青年の抵抗もそこまで。

腹に熱を感じると同時に重い物が彼にぶつかってきた。

刺された、と青年が理解できたのは、自分の体から熱が流れていくのを感じた時。

熱をうしなっていく体からは、力もともに抜け、青年はがたりと床に倒れ込んだ。


「手間取らせやがって!」


 騎士らしからぬ罵声とともに、皮のブーツの先が青年の腹にある傷口にめり込み、彼の意識を刈り取った。

それが最後の記憶だ。



 目の前に無造作に捨てられた、両親、祖父母、弟、義父母と呼ぶはずだった人たち、義妹と呼ぶはずだった少女、村長、老神官、長老……顔を知らないもののいない、村中のひとびとの亡骸。

だがそこに、少女のものはない。

魔王云々というならば、その魂を宿している彼女の屍が必ずここにあるはずだというのに。

もしや骨も残さぬほど徹底的に消されたかと思いもしたが、そのような火力なり魔力なりの痕跡すらも残っていないのはおかしい。


 彼は己の左手で右手を掴んだ。

柔らかなぬくもりはとうに失せ、村人と己の血の赤がそこに残っているばかり。


「……」


 青年が発しようとした、妻になるはずだった幼馴染の名は声にならずに消えた。

負った傷がじりじりと身体を苛み、失った血が多すぎて思考もままならない。

倒れて目を閉じたくなるのを堪え、青年は己の家へと戻った。

家は荒らされ、弟の貯金箱さえも壊されているほどに金目のものが奪われていたが、残ったありったけの包帯、ありったけの清潔な布で止血をし、水を飲んだ。

椅子に座り込んで、彼は深くため息をつく。


 これから何をするかを考えながら、彼は無意識のうちに腹の傷を包帯の上から撫でる。

この村が襲われたのは、領主の息子が何かをした、それは間違いないだろう。

ならば……

その「手順」を考えているうちに、痛みが消えてしまっているのに気付いた青年は、包帯の下を見てみた。

内臓に達するほどに深く刺されていた、致命傷に近いはずの傷が消えてしまっていた。


「……」


 青年は己の手をまじまじと見た。

試みに、腕にあったあざにも手を当ててみれば、それもまた消えた。

勇者として魔王討伐に向かわせられたときのような、回復ができるようになっている……。

それは、村の生活の中ではあらわれなかったもの。

どうして、と口にしようとして青年は泣き笑いを浮かべた。

必要になってしまったからだろうと、すぐに思いついたからだ。

何に必要か。神を騙ったものに、その報いを。……いや、村の人々の復讐を許されたのだと、青年は思った。


 数日後。


「ひ、ひぃいい、たす、助けてくれ!」


 領主の館の一室で、青年は領主の息子に刃を向けていた。

こんな引きつった、命がけの叫びをあげれば兵がおっとり刀で駆け付けそうなものだが、そうやってきた者は青年に叩きのめされてその武器を奪われ、あるいは一睨みされるだけで縫い止められたように動けなくなってしまった。

青年の怒りの形相が恐ろしすぎたためでもあったが、なにより彼より発せられる怒気がそのまま金縛りの魔法じみて、兵士たちをしばりつけていた。


「こ、こんなこと、許されないぞ!」

「俺の家族や村に、お前は何をした」


 もうすでに青年は目の前の男から必要なことは聞きだしていた。


「許しなど知るか。逆に、俺がお前を許すと思っているのか?」


 だからこれは、この区切りでの後始末に過ぎない。


「あの村は魔王の因子に!」

「いいか、大事なのは」


 叫びにかぶさる青年の声が、領主の息子の声を止める。


「お前があれを引き起こした。その責任をとれ」

「父が」

「お前が俺の家族を殺させた。お前だけで済ませてやることを、ありがたく思え」


 冷たく淡々とした声に、脅しも命乞いも意味がないことを思い知らされた領主の息子は、泡を吹き白目をむいて気を失った。

大人しくなったその体の一か所にだけ刃を落とした彼は、壁際で凍り付いたようになっている兵士を一瞥した。

小さな悲鳴があがる。

青年は、単なる一人の村人にすぎない、そのはずだった。だが、そんなはずはないと兵士の本能が体の動きを止める。


「お前の主に、嘘偽りなく伝えろ。お前のバカ息子は、自分の身勝手で村一つ潰して、その結果ああなったとな」


 凍り付く兵士に近寄り、青年はぼそりとささやく。

真っ青になって頷く様子を見れば、青年は今自分がどのような存在になっているかを自覚できた。

かつての自分に近くなっている……。

かつて、魔王と単独で渡り合った、そうできるだけの実力を持った存在。

この力が、あの時にあれば。そう思いながら青年は領主の館を去った。



 青年はひっそりと身を潜め王都へと向かった。

次と定めたのは国と半ば同等以上の相手、国教そのもの。

いかに勇者の力がよみがえったといえど、愚直に正面から向かえば手も足も出ないだろうことを青年は理解していた。

それこそ魔王を倒したときのように、必要な情報を集める所からはじめなくてはならない。

悔しさと焦燥感を押さえつけて、彼は王都に遠回りで近づくことを考えた。

その道中で彼は自分たちに何が起きたかを知ろうとした。

少女の中の魔王の魂がわかっていてのものではなく、領主の息子の讒言によるものであることはわかっている。

だが、あまりにも神殿騎士たちの動きが慣れているように彼には思えてしまった。

一人たりとて逃がさない、その包囲の仕方。

まるで流れ作業のような人間の殺し方。

いわゆる戦いに慣れているのとはまったく違う行動。戦うものであったからこその違和感。

そしてその疑問は、あっけなく解決してしまった。


「お前さん、あの村に親戚がいたのかい? 気の毒にな」

「もう忘れたほうがいい」

「魔王の因子が宿ってしまったらね……」


 おそらく神殿の一団が必ず通るであろう道にある村でそれとなく尋ねたところ、返ってくるものの大半は「わからない」だったが、幾人かは声を潜めて青年に教えてくれた。

半年に一度程度の割合で、神殿はどこかの村を狩るのだという。

そしてその村が魔王の因子に侵されたため討伐が行われたと公表されるのだと。

青年の村は山村としてもあまりにも辺鄙な場所であったため、神殿の公表が届かなかったのに加え、魔王因子の討伐そのものがここ二十年で行われるようになったため、三十年山村から出ることの無かった村の老神官も知らなかったのだと推測できた。

半年に一度の経験を二十年も重ねれば、手慣れてくるのも当然か。

そしてまた誰ひとり逃げられなかったのも、経験によって「そうできる」ように効率化が図られていたのだろう。

数日前から村から離れでもしない限り生き残ることはできないし、それで生き残れたとしても領主の人別帳をもとに指名手配がされるのだという。

魔王の因子とやらを残さないためにだろう、徹底的な殲滅だ。

なるほど、神の名のもとの行動なのだから、半端なことは許されないということかと、彼は苦笑する。

それが間違った方向であったとしても……。

領主の息子から、少女が王都の大神殿へと連れ去られた情報は得ていたが、しかし彼女が魔王の魂を宿していることを知っているからこそ、青年は彼女の生存を絶望視した。

この厳重さであればおそらく神殿の誰かには見抜かれてしまったであろうと。


 そこまでを知って、彼は自分のような生き残りは他にはいないだろうと判断した。

ならばやはり魔王と対峙したときのように、忍び込んで暗殺していくだけだ。

忘れていた、閉じ込めていた能力が、己のうちで包みを開いたかのように彼には思いだすことができた。

いまや手持ちのカードと同じくらい、彼には自分ができることがわかる。

かの魔王は己の前にいる者すべてに威圧を与え、平伏させる能力を持っていた。

大軍がその前に立てば、心折れたものから伏して魔物に食われ殺され、あるいは隣にいる戦友を襲う。

そのような相手には大軍であればあるだけ、損耗が激しい。

ならばと孤児から仕立てられたのが、単独で挑む『勇者』。

幾百と送りだされたその中のたった一人の成功者、それが勇者としての青年の前世の正体。

ゆえに、戦闘能力にもまして、潜入や突破能力が優れていた。

神殿上層部を潰すという目的が生まれた今、勇者のころの経験を生かさない手はない。

腹をくくった彼にとって、かつての経験は最大にして唯一の武器だった。そしてその武器を活かすためには、実用的な情報を手に入れなくてはならない。


 王都へと向かった青年は、じわじわと情報を得始めた。

たとえば侵入できそうな場所、警備の人間やその練度。

大神殿に敬虔な信徒のふりをして入り込んで、あるいは街中でこまごまと働きながら。

風向きが変わったのは、わずか二カ月ののち。


 神殿ではなく王城の、普段使われていない大きな門から仰々しく騎士団が出陣した。

隣国を含め周囲の国とはなにも揉めていない。

あんなにわざとらしく出陣するということは、これから揉め事……他国への侵略を行うのではないか。青年を含めた王都の人々の疑問は、わずか二日後に戻ってきた騎士隊長の告知が解消した。

彼らは、魔王の因子が発現した村を滅ぼしたのだと、集まってきた人々に告知した。

「それ」は、神殿騎士たちが神の名のもとにおこなうもののはず……衝撃を受けたのが自分だけではなかったことに青年はほっとしながらも、新たな疑問が生まれる。

なぜ、王家の騎士団が?

その疑問もまた周囲と同じものだったようで、周りから口々に、そして小さく声があがる。

だがその声を気にする様子もなく、騎士団の先頭にいる男が声を張り上げた。


「神殿は魔王の因子の討伐を放棄した。だが魔王の因子は潰えるべきもの。よって、我らが王は神殿に変わり、この神聖なる討伐を引き継ぐことを決定なされた」


 要は、王家が神殿の代わりに因子の殲滅を引き継ぐと。

そこまで聞けば青年には充分だったが、彼は人目を引かないようにするため周囲の人間にあわせて動くことにした。

この手の人間が自分を馬鹿にする目を向けたものに対してどう反応するか、青年は今生ではない生でよくよく知っていた。

だから彼は、騎士たちが誇らし気に去ってから盛大にため息をついた。

神殿が、神の名のもとにやるからこそ、赦されること。なにを不遜なと。

だが、またそこで彼は考えを切り替えた。するべきことが増えた、と。


 そして彼は、滅ぼされた村へと赴いた。

予想通りというべきか。

屍が乱雑に放り出された村で、彼は絶望にすすり泣く村人たちを見つけることができた。


「大丈夫か? 何があったかは知っている。……俺も同じだ」


 そこにいたものたちは青年を見るなり怯えて逃げ出そうとしたが、落ち着いた声で呼びかけるとおずおずと出てきた。

年頃は青年と同じくらいで、木こりと猟師であり、山に入っている間に村を襲われたと。

二人に何が起きたかを説明しながら青年は考える。

やはり、と。

長年、魔王の因子を狩ることを繰り返してきた神殿は、いかに村から人間を逃がさないようにするかに長けていた。

だが王家の軍にそのノウハウはない。

だから必ず何人かは逃げのびているだろう……その目論見は当たっていた。

青年はまず二人を落ち着かせ、屍を弔い、必要なものをかき集めて村から連れ出した。


 王家が神殿に代わって、殲滅戦をおこなうことを聞いた時、青年はふたつの道を考えた。

ひとつはこのまま、単独で神殿に乗り込み復讐を遂げること。

自分の村を滅ぼしたのは神殿だから王家は放置する、最短の道のり。

もうひとつは仲間を増やし、王家をも倒すこと。

男たちを連れて王都へと戻りながら彼は思い出す。

考えてみれば、かつての彼は孤児として育ち、同様の生い立ちの子どもたちと対魔王の尖兵となるべく育てられた。

いったいどれほど『勇者』の同輩がいたかは知らないが、彼以外は死んだことだけは知っている。

そうさせた当時の王の、血統か家風かを今の王家は確実に継いでいる。

そして……王家も神殿の行う「魔王の因子を狩る」ことの正体を知っているだろう。

これを、断絶させねばならない。

ゆえに後者を選んだ。


 彼の中の勇者は、己に課されたものを忘れずにいた。

人体を鍛える方法、使えていた魔法、中には魔王の力に抗うために精神を高揚させるものもある。

もちろんいくら鍛えても先に救った二人の男では人手が足りようはずもない。

王に次ぐ地位と権力と人脈を持っている、もしくは辺境伯などの独立独歩の気質があり、そして一番大事なのはまともな倫理観の持ち主の貴族を複数引き入れねばならないだろう……。

王家を潰すとはそういうことだ。



 数年後、青年は同じような身の上の、同じような年頃の被害者たちとともに王都へと侵入した。

彼らの後見になったのは辺境伯とその派閥となった貴族たち。

王は、この数年の間嬉々として神殿の代行を続けていた。その頻度も半年に一度どころではなく……。

そのことに、元々神殿の所業にも疑いを持っていた辺境伯たちは苦々しい思いを持っていたのだという。

王家の騎士に襲われた村からは、そのたびに何人もが逃れ、青年は彼ら彼女らを助け出し続け……その復讐を後押しした。

あと一時間もすれば王宮に復讐者たちが踏み込むだろう。


 その熱狂の背をそっと推して、青年は大神殿へと足を向けた。

かの所業の生き残りたちは王の被害者であって、神殿の被害者は彼だけ。

ならば自分だけが行くべきだろうと。

それは彼なりの自分の復讐へのけじめだったのだが、改めて訪れた神殿には、人の気配がほとんどない。

その光景の中に、彼はあまりにも懐かしい、遠い気配に気づいた。

圧迫を覚えるそれは、魔王のもの。

耐えきれなかったすべてを跪かせるそれは、もはや魂をおさめた体ごと、この世には無いはずのものだった。


「……」


 彼は、呆然と婚約者の名を口にした。

思わず口を覆う仕草は、彼がすっかりと忘れていた迂闊さ……人間らしさの発露。


「お待ちしておりました」


 自分がとった行動に驚く彼を、背後からかけられた声がさらに驚かせた。

振りかえった先に居たのは、年老いた女性神官。

古びた、しかし清潔な服にこれも清潔感のある佇まい。

豪奢ではないが整っており、質素ではあるが粗末ではない。

そんな姿に、青年は村の老神官を思い出した。


「ここに至るとも膝を折らぬものを案内せよと申しつかっております」


 誰にとは言わず、女性神官は大神殿の中へ入っていく。

彼女に反論する理由も無かったため、青年はその後をついていった。


 王都に設けられた、この国最大の神殿。

本来であれば何人も何十人もすれ違うはずの人の姿はどこにもない。

気配も、声も、どこか遠いところにしかなく、息を潜めて隠れてでもいるかのよう。

進むうちに不意に空間が開けた。

どうやら広間として作られた空間のようだったが、そこここに転がっているのは、奇妙なほどにねじくれた男たちの死体……。


「罰を与えられたものたちです」


 思わず立ち止まった彼に掛けられた女性神官の声はいっそ穏やかですらあったが、その目は冷ややかだった。


「あれは大神官長。あれは神殿騎士長」


 彼女が一人一人を示して語る、その肩書からは死体が神殿の幹部であることは明らかであり、上層部が全滅したことを彼に教えた。

そしてその中には、見覚えのある顔もあった。

ああなるほどと、彼は人狩りが止まった理由を得心する。

命じるものがいなければ、実行するものがいなければ、あのようなことは起こせまい。


「教えに反し、私利私欲を満たした当然の末路と、私はそう思います」


 彼は、神殿のものたちが何をしてきたかを知っている。

だがその神殿のものたちをこうしたのは、誰か。


「さぁ、参りましょう」


 促されるまま、彼はその場を離れた。

おそらくはあの死体こそが、この神殿内に満ちる静寂の原因。

誰もああなりたくはないだろう。生き残りの幹部がいればの話だが。


 奥へ奥へと進む、その一歩ごとに強くなる圧迫は、かつての彼にとってはあまりに覚えがありすぎた。

気を抜けば膝を折り、頭を垂れてただ下知を待つものに変えられてしまいそうなそれは、魔王の威に他ならない。

そしてそれは、魔王によって神殿が掌握されたことをしめしている。

かつて乗り越えたそれと同一ではあるのだが、前に立つ女性神官は何もないかのように進む。


「あの方は私たちには力を及ぼさないようになさっておられます」


 何も尋ねていないのにかけられた声に、青年はぐっと唇を噛んだ。

うつうつと屋内の昏い中を進み、女性神官は行き止まりの扉を開いた。

扉の向こうの明るさに、外に出たと青年が思った瞬間、女性神官が声を上げる。


「お連れしました」

「……ちょうどよかった」


 少しの間が空いて、声が返る。

はたしてそこは庭のようになっており、その向こうにある建物の前の地面にいくつもの粗末な墓標が並んでいた。


「最後の一人を弔ったところだ」


 懐かしい声とともに立ち上がり、振りかえった懐かしい姿に青年はかつての婚約者の名を呼んだ。

数年前、彼が手を離した娘は、そのぶんの年月を重ねた姿でそこにいた。

彼女は目を見開き、そして柔らかく細めて笑った。


「……ああ、この体の名だな。で、あれば遅かったな。この娘の魂は、とうに私が喰らってしまった」


 だが仰々しい物言いは、青年には演技にしか見えなかった。


「生きていてくれたのか」


 女性神官はいつの間にか建物の中へ戻り、この場にはもう二人しかいない。

だから彼は迷わず前へ、彼女の前へと進んだ。

彼はそのまま、あの日離してしまった手を取る。

白い手はやせ細り、土に汚れていた。


「それは、この体だけの」

「お前ならわかるだろう、俺の魂の、元の形が。俺がお前の魂がわかるように」


 彼女が目を瞬かせる。

かつて魔王と呼ばれた魔物、その頃であれば決して浮かばなかった表情がその顔に生まれる。


「あの日、今の俺が殺されて、勇者の力がよみがえった。お前も……『お前』が殺されたから、その力がよみがえったのか?」

「わたし、は……」


 信じられない。だが確かにこれは、と確信を得た表情と、どうしてという困惑の表情が、彼女の顔で混ざり合う。

だがそれを振り払うように彼女は首を横に振った。


「ならばなぜ、この手を取る。私を殺せばいいだろう、勇者として」

「勇者なんかいない。俺は村の、お前の復讐に来ただけだ。……遅くなって、ごめんな」


 自嘲の笑みを自分に向ける青年に、娘は信じられないものを見る顔をしていた。


「お前、お前、は」


 青年は決して娘の手を離さなかった。

その手は温かく、彼女が生きていることを彼に実感させて、離すことができなかった。

彼女の顔が苦し気に歪む。


「私は、勇者が討伐に来るのだと思っていた。前と、同じように」

「俺は勇者じゃない。お前も、魔王なんかじゃない。ただの、人間だった」


 だから勇者と魔王の因果を棄てようと青年がいい、娘の表情が淡く変わる。

冷たく睥睨する、魔王らしくあろうとして作られていたものが、当たり前の村娘のものへと溶け崩れていく。

その口がゆっくりと声も無く青年の名を形作った。


「もういいんだ。帰ろう」

「……そう、ね」


 娘が笑う。憑き物が落ちたような、昔のままの。


「花の季節も、もうすぐね」

「ああ」


 青年の手を、娘の手が握り返した。



 王宮が辺境伯とその派閥の貴族たちの兵、そしてその先頭に立つ村狩りの生き残りたちにより占領された同じ日に、大神殿から火の手があがった。

王宮の騎士や兵士たちはこの反乱への対応にかかりきりになっており、また神殿の所有していたはずの戦力やいたはずの人員はこのときまでにほとんどが解雇されており、決定的に人手が足りず、消火もかなわずその大半が焼失した。


 だが神殿の資料室は、記録係を務めていた女性神官が命がけで焼失から守り抜いた。

中の資料が改められた結果、勇者を王子にすり替えた王家による魔王討伐の功績の奪取、神殿による魔王因子原因の討伐は虐殺ならびに女性の略取、村の財産の略奪であったことが暴かれ、つまり王家が神殿に代わって行ったこともまた同じであったこともあきらかとなり、両者の信用は地に落ち、辺境伯のクーデターに正当性を与えた。

余談ではあるが、虐殺の言い訳に使われた魔王の因子だが、最初は疫病の村ごとの隔離の理由として使われていたという。

病人が病を得たのは本人のせいではなく、隔離され死ぬに任されるのは、魔王のせいである、という……。

また焼失した神殿内部では、大神官長をはじめとした幹部が変死体として発見された。

それとは別に、中庭にいくつもの墓が見つかり、これが神殿に拉致された女性たちのものであると女性神官は証言した。

重度の火傷を負っていた女性神官は、これをあきらかにしたことに満足したように死亡した。



 大神殿の最後の支配者と、最後の訪問者のことを女性神官は口にしなかった。

二人の行方は、誰も知らない。

読んでいただきありがとうございます。

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