第40話 『拝啓、大切な君へ』
ユリシアが死んだ。
ロックス迷宮の最終層。
扉が音を立てて開かれた。
ベルタを先頭に、ゾルラードとルーファスが入る。
俺よりも先にユリシアの元へと駆け寄った。
何かを話している。
だけど、その内容は全く耳に入らない。
知りたいという気持ちすら浮かんでこない。
もう何もしたくない。
ここまで来た意味が、あったのだろうか。
この世界で生きる理由がなくなった。
いっそ、もう何もかも放り出してしまいたい。
生きることも、戦うことも、この世界で存在し続けることさえも――。
目の前に立つベルタ。
ユリシアの身体に手を添えていた。
表情が読み取れない。
次の瞬間、こちらへ視線を向けてきた。
どうすればいいんだろう。
どんな顔をすればいいだろう。
どんな言葉で説明すればいいだろう。
……何一つわからない。
けれど、この場にいたのは俺とユリシアだけ。
だから――当然のように、俺のせいにされるんだろう。
実際に間違っていない。
「――ルーク!」
ベルタの声が、ようやく聞こえた。
何度も呼びかけられていたらしい。
何を言えばいいのかもわからない。
ただ、逃げるように口を開いた。
「ごめんなさい……ベルタさん」
謝ったところで何にもならない。
それは俺が一番分かってる。
ここで何を言ったって許されるわけがない。
何を言ったって正当化できるわけがない。
だからこの言葉は俺の本心じゃない。
ベルタは何も言わなかった。
ただ静かに俺を抱きしめてきた。
腕に包んで俺のことを離さない。
暖かい。
心地が良い。
気づけば、涙が自然と頬を伝っていた。
「ああぁぁぁああああ――ああぁっぁぁあああああ!!」
感情が抑えられなかった。
自分でも何を感じているのか、理解できなかった。
ベルタは何も言わない。
ただそのまま抱きしめ続けてくれた。
やがて、涙が途切れることなく流れ続ける中、ベルタの優しい声が耳元に届いた。
「帰りましょう、ルーク」
そう言ってくれて、なんとなく感情の整理がついた。
彼女の遺品――いつも大切にしていた魔法の杖。
そして俺が贈ったルビーのブレスレット。
それらを手に持ち、帰路についた。
遺体は、その場で火葬した。
燃え盛る炎が彼女を溶かしていく。
感情が湧かない。
ただ見つめることしかできなかった。
火が消えた後、骨だけを持ち帰った。
迷宮の出口へと向かう道中。
誰一人として言葉を発さなかった。
ゾルラードも、ルーファスも――。
一体どんな感情だったのだろう。
扉が開いて。
ユリシアの目の前に立って。
分からないし、知らなくても良い。
無言のまま、俺たちはロックス迷宮を後にした。
◇◇◇
宿に戻った。
ベルタが一緒にここまでついてきてくれた。
「明日の朝、ここを発ってベテンドラに帰ろうか」
ベルタの静かな声が部屋に響く。
「はい」
それだけ答えると、ベルタは俺に一人の時間を与えてくれた。
彼女も帰路に同行するつもりらしい。
それを知って、ほんの少しだけ気持ちが軽くなった。
隣の部屋。
そこに今も彼女がいるはずだった。
いるべきだった。
迷宮攻略して、迷宮での大変な出来事、明日のことを笑いながら話すものだと思っていた。
でもそれは現実じゃない。
ただの妄想に終わった。
彼女は死んだ。
広い世界のどこを探しても、もうどこにもいない。
あの笑い声も、言葉も、何一つ聞くことはできない。
今思えば、後悔は山ほどある。
もっと彼女と話すべきだった。
もっと一緒に時間を過ごすべきだった。
そして、何より――彼女に中沢煌の正体が俺だと明かすべきだった。
それだけは後悔しても仕切れない。
ふとポケットに手を突っ込む。
冷たい金属の感触がした。
彼女が最期まで腕に付けていた、俺が贈ったルビーのブレスレットだ。
そっと手首にそのブレスレットをつけてみる。
透き通るような赤い光。
彼女の瞳のようだった。
そう言えば、腕輪を渡したあのデートの夜。
秘密の花畑で過ごしたあの時間。
星明かりの下で花の香りに包まれながら、彼女は俺に問いかけた。
「私たちの関係って何ですか?」と。
「私はコウさんのことを恋人だと思ってます。でも、コウさんがそう思わないのであれば、それでも構いません」と。
今でも、鮮明に記憶に残っている。
俺はその問いに、確かな答えを出せなかった。
恐怖があったからだ。
『大切な人』を作ることへの恐怖。
そして、いつかその『大切な人』を失うことへの不安。
だから、俺は情けなくも「時間をくれ」と逃げた。
だけど、伝えたい想いはあるんだ。
嘘じゃない。
君は、いつも俺の側にいてくれた。
支えてくれた。
辛いときも、喜びのときも、決して嫌な顔を見せず、何でも受け入れてくれた。
君がいてくれたから、俺はこの世界で生きる意味を見つけられた。
決して、恋人同士では無かったけれど。
君は俺の『大切な人』だ。
今も、これからも、『大切な人』であり続ける。
だから、この想いはもう君に届かないかもしれないけれど。
せめて今度ははっきりと言わせてほしいんだ。
「ユリシア……愛してる」
第4章 ロックス迷宮編 ー了ー




