第37話 『――唯一無二の暴走君主――』
――ルクセリオ視点――
目を覚ました。
目の前に広がるのはロックス迷宮、最終層。
首を斬られたはずが、なぜかまだ生きている。
理由はわからない。
だが、今それどころではない。
目の前にはユリシア。
俺を庇うように兜の男と対面するように立ち、防御魔法の結界を展開してくれていた。
その淡い光の壁が、俺を包む。
「光の矢よ、天より降り注ぎ、邪を打ち砕け!」
ユリシアの叫びが空気を震わせる。
天に向けて手を掲げる。
次の瞬間、無数の光の矢が天から降り注いだ。
兜の男に向かって一直線に飛び込む。
そして、鋼の鎧に次々と突き刺さる。
「うぐっ……!」
兜の男が短く呻く。
音は鈍いが、光の矢が確かに肉体を貫いている。
強い。
これほどまでに強いのか。
ユリシアは魔力を込め続ける。
額には汗が滲んでいた。
兜の男はその場から一歩も動けない。
力強く振り上げられた刀が、空を切ったまま宙に浮いている。
勝機が見えた――。
このままなら、ユリシア一人であの兜の男を倒せるかもしれない。
兜の男はただ圧倒されるまま。
徐々にその身を崩されていく。
胸に余裕が広がりかけた、その瞬間――。
突然、兜の男が閃光のごとく動いた。
鋭く俊敏な身のこなし。
想像もつかない速さで、男は一瞬で姿勢を取り直す。
そのまま、鋭利な一閃を繰り出した。
「――聖避ッ――!」
低く響いたその声と共に、男の刀から異様な気配が放たれた。
空間そのものが揺らいだのが見えた。
刀の軌跡は時空を歪ませた。
ユリシアの防御魔法のわずかな隙間を正確に捉え、彼女に向かってまっすぐに迫った。
閃光のような衝撃。
ユリシアの体が一瞬、後方に揺れる。
彼女はその場に倒れ込むことなく、なんとか地面に片膝をついた。
「はぁ、はぁはぁ……」
呼吸は荒く、震える手で杖を握りしめていた。
彼女の頑張りが目に見えてわかる。
しかし、なんとなくだが、分かっていた。
このままでは彼女は勝てないと。
「ユリシア! 俺の周りの防御魔法を解除してください!」
叫ぶように伝えた。
一瞬、彼女は驚いてこちらを見た。
そうだ、無理もない。
俺は確かに一度、死んだはずだったのだから。
それが今、目の前で指示を出している。
「……! 分かりました!」
ユリシアはすぐに反応し、決意を込めて頷いた。
防御魔法の解除理由は明確だ。
俺の周りにはユリシアの三層の防御魔法が張り巡らされていた。
彼女は全身全霊で俺を守ろうとしてくれていたんだ。
だが、その防御こそが、力を完全に発揮させない枷となっている。
彼女の魔力が防御魔法に分散されている。
つまり、兜の男に立ち向かうための魔法が本領を発揮できていないのだ。
「リフレクトウォール、全解除!」
ユリシアの声が響き渡ると同時に、周りに張り巡らされていた強固なバリアが次々と剥がれていく。
兜の男は相変わらず動かない。
だが、油断など一切感じられない。
冷静にこちらの出方を伺い、次の動きの準備をしているのだろう。
「ユリシア、自分のヒールに集中してくれ!」
「……はい……」
ユリシアは小さく頷く。
そして、傷を負った身体に治癒魔法を当て始めた。
そうだ。
それでいい。
ここからは俺に任せろ。
俺のことは気にしなくてもいい。
今はただ自分のことだけを考えてほしい。
もう二度とあんな失態はしないから。
◇◇◇
俺は瞬時に思考を巡らせた。
相手は兜を被った侍。
手には一本の刀。
ただ、今までの魔物とは格が違う――それは肌で感じる。
ユリシアが治癒に集中している間、これは事実上一対一の戦いだ。
俺がどう動くかで、戦局は決まる。
だが、奴の力は未知数だ。
どんな魔物に変化すれば、この戦況を打開できるのか?
刀を持つ侍……その特性は一体何だ?
俺が変化すべき魔物は何だ?
鋭さで対抗できる種か?
それとも、圧倒的なパワーで押し切るか?
気がつけば、兜の男が、ゆっくりとした歩みで再び俺に近づいてくる。
その一歩一歩。
心臓に突き刺さるような恐怖を引き起こす。
動け、動け、動けっ――心の中で何度も叫んだ。
動け。
ここで動かなければまた死ぬ。
攻撃でもいい。
防御でもいい。
剣技でもなんでもいいから反撃しろ。
だから、動け。
あぁ、ダメだ。
まただ。
動けない。
また奴が目の前まで迫ってきた。
彼の刀が、冷たい光を放っている。
また掻っ切られる。
ごめん、ユリシア……。
結局、俺は何もできなかった。
情けなくて、みっともない俺のままだ……。
《奴の目……凝視しろ》
突如として《ガイド》の声が響く。
馬鹿げた指示だ。
冗談じゃない。
そんなことをして何になるのだ。
さらに殺気を煽るだけだぞ。
《目を見ろ……》
なぜだ。
《オマエの本当の力……に……》
まるで脳内で会話しているようだ。
俺の本当の力?
《――怯えてる……》
奴が怯えている?
この俺に……?
その声が聞こえた瞬間、俺は気づいた。
俺が目覚めた時にもこの違和感があった。
ユリシアとの戦闘中にも、感じた。
――兜の男は俺を警戒している。
俺はゆっくりと近づいてくる、奴の目を睨み返す。
凝視すればするほど、奴の動きが鈍くなる。
その鋭い威圧感も次第に薄れていく。
間違いない――奴は、俺の何かに怯えている。
俺の瞳に映し出された“何か”に――。
次の瞬間、兜の男が反射的に後退した。
「お前……なぜ生きているのだ……」
奴の声は震えていた。
目に見えるほどの疑念と恐怖が混じっている。
その答えは俺にも分からない。
だが、一つだけ確かに言えることがある。
「お前を叩き潰すために……わざわざ這い戻ってきたんだよ」
究極に煽ってみた。
その言葉が効いたのか、奴の顔が歪んだ。
今までとは何かが違う。
冷静さを失ったようだ。
すぐに奴はその怒りを刃に変えて、手を緩めることなく攻撃を仕掛けてきた。
「――神雷溟――!」
鋭く刀を振り下ろし、叫びと共に空が裂けるような雷鳴が響き渡った。
まばゆい稲妻が俺の頭上から容赦なく降り注ぐ。
雷の轟音が耳を裂く。
「目を閉じてごらん、ユリシア」
俺は詠唱を唱え、瞬時にアーマードゴーレムに変身する。
刃から繰り出された雷鳴が俺の鎧に叩きつけられたが、笑えるほどに全く響かない。
逆に、興奮が湧き上がってきた。
奴の顔に浮かぶ恐怖心が、俺の心に火を灯した。
圧倒的な力の差を感じていた先ほどまでの状況がまるで嘘のように思える。
奴は俺にビビっている。
この事実だけで、なんだか勝てる気がした。
「ユリシア、大丈夫ですか? ゆっくり休んでいてください」
「いえ、ヒール終わりましたので、援護します」
「……そうですか。では頼みます」
「はい」
背後にいたユリシアの心配もできるほどに俺は余裕を感じた。
ユリシアは、体感で言うと全身が傷だらけ。
満身創痍の状態だった。
ヒールをしたと言っても、完全治癒に至った訳でもない。
あまり無理はしてほしくないのが本音だ。
だが、ユリシアの覚悟は十分伝わった。
彼女が援護をしてくれるのであれば、それ以上のことはない。
とりあえず、この兜の男を捻り潰すまでの我慢だ。
《この状況…… 獄岩の巨猿ガルムン……オススメします》
《ガイド》の声が再度聞こえた。
獄岩の巨猿ガルムンか。
そうだな。
ちょうど俺もそれが良いと思っていたとこだ。
◇◇◇
獄岩の巨猿ガルムン――。
魔物は、世界の果てに存在するとされる獄炎の大地「バルカラシア」の頂点に君臨していた四大霊獣の一角。
熔鉄の獅子レグナス。
血紅の巫女カリオス。
嵐炎の竜アストラル。
名だたる霊獣と並ぶ、まさに史上最強の伝説。
その姿は、恐るべき威容を誇る超巨大なゴリラそのものである。
体長は約六メートル超え。
皮膚は黒曜石で構成。
表面には火山の地層や亀裂が刻まれている。
何ものにも容易には傷つかない防御力の塊である。
ガルムンの体からは常に焔煙が立ち昇る。
その姿はまさに闘争心の塊である。
それに異常に発達した筋肉。
まるで巨木。
腕の一振りで大地が震え、岩石が砕け散る。
彼が踏み込むたびに地面が裂け、激しい衝撃波が周囲に広がる。
存在から感じざるを得ない圧倒的な狂暴。
狂乱を巻き起こすその姿――まさに荒れ狂う猛獣。
『――唯一無二の暴走君主――』
――ゾルラードとルクセリオが組み、
火花を散らすロックス迷宮、三階層のとある戦場。
ここで立ち塞がるは、獄岩の巨猿ガルムン。
その圧倒的な巨体と力強い攻撃が、
長きにわたる激闘を引き起こした。
ようやくその戦いが終息を迎えたその時、
――勝利を掴んだのはゾルラード。
史上最強は次の世代へと託され、
疲労困憊の表情の中、
強者を求め続けるその勝者の口から漏れる言葉は――
「楽しかったぞ、ガルムンよ」




