第34話 『死亡』
侍だった。
目の前に立ちはだかるのは、威風堂々たる巨躯の侍。
その存在感は圧倒的で、他に呼びようがなかった。
だが、この異世界に日本の侍がいるというのか?
頭の中に疑問が浮かんだ。
だが、口にする暇もなく、奴の低く響く声が空気を震わせた。
「……なぜ……ここにいる……?」
その声はまるで山鳴りのようで、剣のように鋭い。
「全種族辞典を……もらいに来ました……」
隠し事などできそうにない。
こいつに嘘をつけば、何をされるか分からないという覚悟のもとだ。
隣で震えるユリシアの様子が伝わってくる。
彼女の肩は小刻みに揺れている。
握った杖にも力が入っていないようだ。
「……なぜ……それを必要とする……?」
さらに問われる。
声に込められた威圧感は先ほどよりも一層強まった。
「《外見変化》のスキルのためです……」
まるで大手企業の面接尋問。
いや、それどころではない。
今後の運命が、この一挙手一投足で決まってしまうような気がしてならなかった。
「《外見変化》……か……」
侍は呟くようにその言葉を口にする。
まるで運命の決定を下すかのような重い空気が流れた。
「……はい」
震えながら答えた。
しかし、その瞬間、侍の目が鋭く変わった。
静寂が一変した。
「ならば――死ね」
その声が響いたと同時。
男が動き出した。
兜の下から冷たい目。
一瞬の隙もないことを物語る。
手に持った刀が振り下ろされた。
それも全て一瞬の出来事。
周囲の時間が停止したかのようだった。
「リフレクトウォール!!」
ユリシアの詠唱とともに、瞬時に防御魔法が展開され、刃が弾かれた。
しかし、奴はそれを気にする素振りを見せず、俺の背後にすぐに回る。
「――影斬り――」
「ぐはっ!!」
背中に鋭い一撃。
思わず、情けない声が漏れた。
速さが尋常ではない。
「ラディエントエクスプロージョン!」
ユリシアが瞬時に光の矢を放つ。
ゼロ距離にいた男に直撃した。
その瞬間、兜の男はすぐさま後退し、距離を取り始めた。
その間、ユリシアはさらに防御魔法の範囲を広げ、俺を守るように四方を囲んだ。
「いま、ヒールします」
「……お願いします……」
その言葉に俺は安堵の息をつく。
「シャイニングヒール!」
強力な治癒魔法が背中の傷を癒す。
瞬時に切り傷の跡も塞がれた。
「ありがとうございます。では、このまま、援護、頼みます」
「はい、分かりました」
真剣な眼差しで承諾してくれた。
指示は出したものの、心の中で疑問が湧いた。
なぜ、自分が彼女に指示をしているのだと。
ユリシアの方が状況に上手く対処してるのに……。
いや、弱音なんて吐いてる場合じゃない。
ちゃんと自信を持て。
戦うことだけに意識を向けろ。
どの魔物に変化すればいい。
まずは、亡骸ヴォーンホルンが妥当だろうな。
「目を閉じてごらん、ユリシア」
詠唱と共に俺の姿はみるみるヴォーンホルンになった。
「リフレクトウォール、解除します!」
「ああ、頼む!」
声と共に、防御魔法は解除される。
俺は兜の男の前に立ち塞がった。
ただ、先ほどまで見せていた俊敏さは消え失せていた。
冷静にも見えた。
「ほう、ヴォーンホルン……か」
「……」
「だが……大したことはないな」
男の冷徹な言葉が、戦闘の合図となった。
「……っ! 死獄牢!」
俺は瞬時に闇魔法を唱える。
兜の男を窮屈な骸骨の牢屋に閉じ込めた。
牢獄が完成するのを確認し、すぐさま突進を開始する。
牢獄に激しく体当たりした瞬間、力強い手応えを感じた。
急所を捉えた感触があった。
……だが、男はまだ立っていた。
牢屋が全て崩れ落ちる中で、奴だけは平気で立っていた。
まるで攻撃を受けていないかのように、俺を見下ろした。
「……効かないか」
だが、これで諦める必要もない。
ヴォーンホルンにはまだ他にいくつも手がある。
屍食閃光、棺封事、死者招来、影縫死線――どれも強力な闇魔法。
どの魔法を使うべきだ。
冷静に選ばなければならない。
考えるうちにも、兜の男がゆっくりと、しかし確実に俺に迫ってくる。
焦りがこみ上げる。
「影縫死線!」
咄嗟に闇の魔法を唱え、影に向かって杭を放つ。
闇の杭が兜の男の影に突き刺さった。
これで影の動きを封じるはず――だった。
しかし、歩みは止まらない。
影の中で杭が揺れ動くにも関わらず、男は一歩一歩、着実に俺に近づいてくる。
ただ、ひたすらに奴の距離が狭まってくるばかりだった。
「ルーク!」
ユリシアの心配そうな声が耳に届く。
だが、その声は俺を動かすことはない。
体が鉛のように重い。
全く動けない。
兜の男の魔法なのか?
それとも恐怖で立ちすくんでるだけなのか?
それすらも分からない。
ただ、どちらにしてもまずい状況に陥ってるのは確かだ。
その瞬間――。
気がつくと、奴はさらに一歩近づいていた。
もはや顔と顔が触れ合うほどの距離まで迫っていた。
息がかかるほど近く、冷酷な眼差しが絡みつく。
その死んだような目が一瞬だが、ピタリと合った。
すると、奴は俺の首根っこを強烈に掴んできた。
呼吸が止まりそうなほどの締めつけられた。
「……ぐっ! ……っっぁ!」
息ができない。
呼吸が絶望的に奪われ、意識が薄れる。
気づけば、外見変化も解除され、ルークの姿に戻っていた。
首の締めつけが骨にまで響く。
体が痙攣している。
体内の酸素が上手く回らないせいか、視界が狭まっていく。
「そうだ……ヴォーンホルンがここまで弱いはずがない。奴は恐怖を感じない……」
「っ!! ……うっ……」
兜の男がゆっくりと首を握る力を緩め始めた。
息ができるようになり、一瞬だが安心した。
しかし、束の間、今度は手が俺の髪を無慈悲に掴む。
無情にも俺を宙吊りにした。
「はぁはぁ……! はあはあはあぁ……!!」
「お前は《外見変化》スキルを持つに値しない……」
必死に酸素を体内に送り込むのに精一杯で、まともな受け答えができない。
息を整えようとするが、恐怖と苦痛が余計にそれを難しくさせた。
「……はぁぁ、はあぁ……!」
「だから、今……ここで…………死ね」
――ズバッ。
バタッ!!
瞬間、冷たい鋭利な感触が首を触った。
まだ髪をガッチリと掴まれている。
不思議なことに一瞬にして体が軽く感じた。
視界が揺れ、意識が遠のいていく。
「ルークッっ! ルークッっっ!!!」
ユリシアの焦った声がかすかに耳に届く。
しかし、焦らなくてもいい。
この緊迫した状況をどうにかする方法はきっとあるはずだ。
今すぐに詠唱を唱えて、あの魔物に変われば……。
きっと状況は変わる。
だが、その前にユリシアに声を掛けて安心させよう。
「がはっっ!!」
声を出そうとした瞬間、俺は咳き込んだ。
髪を掴む手が、途端に力を失い、俺は宙を漂うように感じた。
そして――俺の頭は地面を転がった。
状況がやっと理解できた。
首が一撃で斬られたのだ。
目の前に映るのは、無様にも動かない自分の首なしの身体。
断面からは熱い血が噴き出している。
地面に赤く広がる痕跡を残している。
首元からも次第に血が地面を這うように流れた。
「ルークッッ!! 誰かぁぁ!! ベルタさん、ルーファスッッっ!! ルークが死んじゃうぅ!! ゾルラードでもいいからぁぁ!!」
ユリシアの絶叫が空気を切り裂く。
だが、次第に周囲の音、諸共、かき消される。
冷たい地面の感触。
首から流れる血の温もり。
もうどちらも感じられなくなった。
まずいことになった。
まだこんな所で死ぬ訳にはいかないのに。
アルフに全種族辞典を届けられていないのに。
何もこの世界で達成できていないのに。
意識ももうほとんどない。
このまま死ぬのか……。
こんなとこで死ぬのか……。
ああ……死んだ。




