間話④ 『ロックスとカブト虫』
ユリシアがまだ五歳の頃――。
アルフは、幼いユリシアを寝かしつけるために、いつも決まってある昔話を読み聞かせていた。
その夜も、彼はイシアと共にユリシアの小さなベッドの両側に横たわり、二人で彼女を優しく包み込むようにしていた。
アルフが手にした絵本は、何度もページがめくられたせいで少し擦り切れていたが、その中に描かれた物語は、いつもユリシアの心を穏やかにしてくれた。
アルフはゆっくりと絵本を開き柔らかな声で語り始める。
イシアも時折、微笑みながら話に加わり、二人の声がユリシアの耳に心地よく響いた。
『昔々、あるところにロックス=ノベールという若い学者がいました。
彼は様々な生物を観察するために、世界中を旅していました。
そんなある日のことです。
ロックスは深い森の中で迷子になり、日が沈んだ後にに宿のある村へ戻る道を見失ってしまっていました。
彼が途方に暮れていると、小さなカブト虫が彼の前に現れたのです。
すると、驚くことにそのカブト虫はロックスにこう話しかけました。
「おやおや、迷子かい? 私が村への道のりを教えてあげようではないか」
その言葉に驚いたロックスは思わず、その生態系に疑問を持ち、小さな身体をしたカブト虫に聞きました。
「小さなカブト虫よ、君はこんな森の中でどのようにして生き延びているのだ?」
カブト虫は小さな身体を輝かせながら、こう答えました。
「私には『知識と仲間』がある。それがあれば、どんな暗闇でも乗り越えられるのさ。」
ロックスは感心して、そのカブト虫に続くことにしました。
カブト虫は小さな足で迷路のような森を軽々と進み、ロックスを安全な道へと導きました。
そして、ようやく村が見える場所にたどり着いたとき、カブト虫はもう一度ロックスに向かってこう言いました。
「知識と仲間を持つ者は、どんな困難な扉も開けることができる。覚えておくんだよ」
ロックスはその言葉を心に刻み、学者としての旅を続けました。
そして何年もの後、彼はその経験を「全種族辞典」の一節に加えましたとさ。
――終わり』
ユリシアは、その昔話を聞くたびに、小さな胸を高鳴らせながら、「ロックスとカブト虫」の冒険に思いを馳せた。
あの夜、アルフの膝の上で聞いた物語は、いつしか彼女の心に深く根を下ろし、彼女の成長と共にずっと生き続けていた。
「知識と仲間を持つ者よ、次なる扉を開け。暗闇を乗り越え、光へと導け」
その詠唱こそが、ロックス=ノベールの生涯が込められた「全種族辞典」を守るロックス迷宮の最後の鍵だったのだ。
その詠唱を鍵にすることには深い意味が込められている。
それは、何百年も前に生きた天才学者ロックス=ノベールからのささやかなメッセージだ。
知識と仲間を擁する者。
同じ志を持つ者。
彼らにこそ、ロックスが遺した『全種族辞典』を手にしてほしい。
そして、その者たちが、さらなる暗闇を乗り越え、光を導く存在となってほしい、と願っていたに違いない。
彼が抱いたその思想は、時を超えて、アルフからユリシアとユーリアへと受け継がれる。
そして、今やルクセリオたちの冒険を照らす燈火となっている。
ロックス=ノベールの遺志は、決して途絶えることなく、次なる世代へと引き継がれていく。
それは、彼が信じた「知識」と「仲間」という二つの力が、どれほどの価値を持つかを証明するものでもある。
そして、未來の誰かがまたその光を受け継ぎ、さらに新たな闇を切り拓くための道標となるだろう。
だからこそ、心配はいらない。
その思想は確実に語り継がれ、次の冒険者たちの手で、さらなる未知の領域が照らし出されていくはずだからだ。




