第27話 『レイレイの仇、再来』
俺はロックス迷宮の攻略中に何度も自分の存在が薄れていくことを覚えた。
特にゾルラードが強敵をいとも簡単に屈服させる度に、その圧倒的な力に、自分が培ってきた戦略や知識が無力であることを痛感させられた。
今までのイシアとの訓練や、ベルタとの特訓がもはや無意味に感じてきた。
彼は、躊躇せずに三階層の本棚を乱雑に漁りながら、ふと口を開いた。
「一つ聞くが……俺がそんなに怖く見えるか?」
ゾルラードが敵を片っ端から薙ぎ倒す姿を目の当たりにするたび、俺は引いてしまう。
その恐怖心が彼に伝わってしまっていたのだろう。
この質問をされた瞬間、心臓が一瞬、締め付けられるような感覚に襲われた。
「……怖いです」
ただ、正直に答えるしかなかった。
もしここで「怖くないです」と嘘をつけば、その場で命を奪われてもおかしくないと思ったからだ。
それでも、不思議と、彼とこうして話すうちに、ほんの少しずつだが、その恐怖が和らいでいくような気がしていた。
彼の見た目は誰がどう見ても怖い。
ただ、彼のことを知れば知るほど恐怖は無くなってきた気がする。
「どうしてそんなことを聞くんですか?」
「俺は、見た目が原因で、よく怖がられるんだ。本当はそんなに怖くないんだがな」
「いや、十分に中身も怖いですよ」
そう言った瞬間、俺は即座に殴られた。
やはり、怖い。
怖いというより、彼が決していい奴ではないと再認識した。
そう思いながら、ふと、以前ゾルラードとルーファスたちが言い合いになっていた時のことを思い出した。
「ルーファスさんとは、一体どうなったんですか?」
焔鯨の次のリーダーを巡って、ゾルラードとルーファスは競り合っていた。
最終的には、団員たちから厚い信頼を寄せられていたルーファスがその座を手に入れたと聞かされていた。
そして、それを知らされたゾルラードはルーファスの両親を殺したということを聞いた。
だが、あの時の口論の中で、ゾルラードが放った言葉がどうしても引っかかっていた。
『そう言うなら俺だって許してねえ』
――ゾルラードがルーファスに向かって言い放ったその一言には、何か深い事情が隠されているに違いない。
「ああ、それは……色々とあったんだよ。」
ゾルラードの声は、いつになく重く、苦しげだった。
「聞いても……差し支えないでしょうか……?」
俺は、知らぬ間に息を詰め、震える声で問いかけた。
「実はな……」
ゾルラードもまた、何かを恐れるように、ゆっくりと話し始めた。
「レイラって女魔法使いがいたんだ。焔鯨団に所属していてな……俺は正直、あいつに惚れてた」
それがゾルラードの口から出た瞬間、まさか恋愛話に突入するとは思っていなかった。
そこから、彼は延々とレイラの美しさや、その魅惑的な曲線美を語り始めた。
ただ、正直なところ、それが今の話題とどう関係しているのか見当もつかなかった。
「ルーファスさんとどう関係があるんですか……?」
我慢できずに問いかけると、ゾルラードは不満げに顔をしかめた。
「おいおい、焦るな。レイラの話を最後までさせてくれよ」
そう言いながら、さらに十数分、彼女の話が続いた。
そして、ふと気がつくと、ゾルラードの目に巻かれていた黒い布が徐々に湿っていることに気づいた。
彼は感極まって、泣いていたのだ。
男が泣くなとかではなく、こんなイカつい霊長類最強が泣くのか、となんだか親近感が湧いた。
突然、彼は感情を爆発させるように叫んだ。
「お……俺のレイレイを、あいつが奪いやがったんだぁぁぁ!」
レイレイとは久々に聞く名前だな。
ざっと二年ぶりに聞いた。
そういえば、あのキモオタ、元気にしてるかな〜。
多分、刑務所にぶち込まれたんだろうな。
ざまあですわ。
そんな過去の話はさておき、この世界のレイラだ。
どうやら彼女、ゾルラードに色仕掛けをしていたらしい。
足元に胸を押し当てたり、際どい服で露骨に誘惑したりして。
そんな調子でゾルラードは彼女にメロメロだったようだ。
それで、彼は夢のような日々を過ごしていたはずだったが……
「ルーファスがレイレイとの婚約を、俺たちギルドメンバーの前で堂々と発表しやがったんだ!」
その瞬間、さらなる怒りが爆発した。
裏切られたショックがどれほど大きかったか、痛いほど伝わってくる。
残念だが、女ってのは、そういうものなのだ。
しかし、話を聞いているうちに、どうしても引っかかる部分があった。
「でも、それだけでルーファスにそこまで怒りを抱く理由がわからないんですが?」
俺が尋ねると、ゾルラードの表情が一層歪んだ。
「レイレイは、俺が彼女に性的暴力を働いたってデマをルーファスに吹き込んでいたんだぞ! そんなこと、俺は一切してないのに!」
その言葉とともに、ゾルラードは再び涙を流し始めた。
その巨体と強面のせいで、どこか哀れさが感じられないが、それでもその悲しみは本物だ。
ルーファスがその冤罪をギルド内に広めた結果、ゾルラードは孤立し、仲間たちの信頼を失っていったのだろう。
「大変でしたね……」
俺は彼の太い脚を軽く撫でた。
頭を撫でてやりたいが、手が届かないのだ。
「だろ? お前が話のわかる奴でよかったぜ……にしても、俺のレイレイを汚しやがって!」
その瞬間、俺の背筋に冷たい震えが走った。
デジャヴを感じた。
俺はこの言葉によって死んだと言っても過言ではない。
それほど、この文言には恐ろしい呪力が宿っている。
しかし、今回は大丈夫だ。
この言葉は俺に向けられたものではない。
ゾルラードの怒りはルーファスに向かっている。
それに、ちょうど俺もルーファスに対して怒りを抱いているところだった。
あの野郎、俺のユリシアたんを誘惑して、奪おうとしている。
それがどうしても許せない。
ちょっと、待てよ……
ゾルラードの話を聞く限りでは、ルーファスはレイラと婚約しているわけだ。
ということは奴は……不倫をしている?!
《不倫です……》
そうだよな、《ガイド》。
こんなことが許されるわけがないよな。
《は……い……》
ん?
《ガイド》の返事がどこかおかしい。
何か殺意でも含んでいるような……
《アナタ、も……フリン……》
何だ?
上手く聞き取れなかったが、俺が不倫をしていると言ったか?
俺は不倫なんてしていないぞ。
一体どういう意味だ?
これだから、このオンボロガイドは……
《ムカッ》
◇◇◇
「でも、それだけでルーファスさんの両親を殺すなんて……さすがに……」
そう言いながら、俺はゾルラードに対していくらか説教めいた口調で話しかけた。
「ああ??」
突然、ゾルラードの目が鋭くなった。
まさに後輩が反論してきた時の鬼怖い野球部先輩。
「殺してなんてねえよ。あれは冤罪なんだよ」
ゾルラードのその言葉には耳を疑った。
ルーファスの両親は元気に生きていると言うではないか。
しかし、なぜそんな嘘を?
その答えは簡単だった。
「ルーファス自身が、嘘を広めた」
つまり、ゾルラードの評判を貶めるため、意図的に両親殺害という虚偽を広めたのだろう。
「よしよし、大変でしたね」
再び同じように慰めようとしたが、今度はゾルラードの反応が全く違った。
「あんま、舐めんなよ?」
俺の心臓が跳ね上がる。
あまりに突発的で、思わず俺は少しだけビビってしまった。
そして、少しだけ……漏らした。
仲間意識が芽生えたかのような錯覚は、今の瞬間で完全に消し飛んだ。
「そもそもな、あいつが焔鯨のリーダーなんてやっていいはずがないんだよ」
「というと?」
ゾルラードは俺を冷ややかな目で見つめながら、言葉を続けた。
「ルーファスは焔鯨のことを何もわかっちゃいないんだ」
前にもそんなことを言っていた気がする。
だが、今回はその言葉に一層の重みが感じられた。
「焔鯨は単なる世界平和を守る最強ギルドなんかじゃない。それをあいつはまるで分かっていないんだ」
ゾルラードの言葉には重みがあった。
その言葉の意味が掴めず、俺はただ呆然と聞いていた。
「あいつがリーダーになった今、この世界は、堕落していく……」
その言葉に、まるで深淵を覗き込んだような恐ろしい感覚に襲われた。
言葉の奥には、ただならぬ何かが隠されている気がしてならない。
「どういう意味ですか?」
思わず質問を投げかけたが、ゾルラードは冷ややかな視線を俺に向け、首を横に振った。
「お前には言えない。部外者だろ」
「まあ……そうですね……」
諦めかけた俺に、ゾルラードがさらに言葉を続けた。
その声には微かな希望が感じられた。
「だがな」
「はい……?」
「いつかお前にも伝える、必要な時が来れば」
その一言が、俺と焔鯨というギルドとの距離を一気に縮めたように感じた。
ゾルラードが語る『必要な時』が来た時、俺は今とは違う場所に立っているのかもしれない――そんな予感が胸を締めつける。
それから、俺たちは再び書物を調べ、強敵を倒し続けた。
残された階層の本の数は、
――九千七十二冊となった。




