第1話 『年齢確認』
俺は目を覚ました。
――無事に、と言えるかはまだわからない。
目に入ったのは、やたらと広い天井。
まるで時間の感覚を失わせるかのような無機質な空間だ。
ぼんやりとした頭に重くのしかかる。
ここはどこだ?
何日?
いや、何週間が経ったのだろうか?
もし何ヶ月も経過していたら……。
そんな考えが頭を過ぎる。
撮影中のドラマは延期になったのだろうか?
し◯べくり007の収録はどうなっただろうか?
不安だ。
周りを見渡す。
こじんまりとした部屋だ。
横たわっている寝台が、その狭い空間の大半を占めている。
シーツに染みついた妙な温もり。
このベッドの上で過ごした時間の長さを、嫌でも感じさせる。
俺は寝たまま両手を持ち上げた。
手のひらをじっと見つめた。
この様子じゃ、あのキモオタがちゃんと救急車を呼んでくれたみたいだ。
――たぶん、俺はまだ命をつないでいる。
「よかった、まだ生きてるっ、」
喋るたびに胸がズキリと痛む。
痛みはある。
だが、確かに生きている。
それだけは感じられた。
ふとあのキモオタの顔が頭に浮かぶ。
心の奥底から一つだけ言葉が湧き上がった。
もし人を刺す勇気があったのならば。
俺を恨むんじゃなくて、
自分の殻を破って、
キモオタを卒業し、
好きな女に告白でもしてみたらどうなんだ。
そうすれば少しは人生が変わったかもしれないのに。
まあ、俺には関係のない話なのだが。
ベッドから身を起こしてみる。
途端、鋭く胸を締め付けるような痛みが走った。
「……痛ぇ」
右側の窓から柔らかな陽光が差し込んできた。
光が優しく頬を撫でる。
俺は思わず目を細めた。
ベッドの背もたれに頭を預け、ぼんやりと窓の外を見つめた。
目に映るのはただ広がるばかりの草原の風景。
心のどこかで何かが引っかかる。
そう感じた。
ただ、都会の見慣れた風景と対峙した大自然の壮麗さ。
俺はその一瞬の美を見逃すまいという強い欲望に駆られ、違和感を忘れた。
「・・ーーー」
背後から不意に声を掛けられた。
俺の回復しきってない心臓は瞬時に跳ね上がった。
驚きと痛みが混じる。
高くて柔らかい綺麗な声だ。
声に導かれて振り返る。
すると、麗しい女性がこちらを覗いている。
それも深い憂慮を込めた眼差しで。
知り合いではない。
「ーー・ー?」
「ー・、ーー・ー?」
質問を聞かれた。
だが、答えることはできなかった。
聞き取れなかったからだ。
それも二回とも。
《多言語スキル……習得しました》
この言葉ははっきりと聞き取れた。
多言語?
スキル?
一体なんのことだ?
「体調はどうですか?」
今度は声と彼女の唇の動きが合った。
心配しているのが伝わってくる。
ただ、その表情には何かしらの不安が隠れているようだった。
だが、そんな些細なことよりも際立つものが。
彼女の美しい赤髪が目を引いた。
光を受けて輝く髪。
まるで炎のように艶やか。
そして彼女全体に漂う色気。
全てが俺の意識を引き寄せて離さない。
「はい、どうにか」
「よかったです」
「失礼ですが、どなたですか?」
「そうでしたね。私、ユリシア・ワイナレットと申します。貴方が道端で倒れているのを発見したので、とりあえずこの空き部屋で介抱していたんですが……」
「あーそうなんですね! それはどう感謝すればいいか!」
ひとまずは安心した。
生きている。
その確信を得たからだ。
胸を刺された。
が、まだ生きているのだと。
異世界転生もののラノベに登場するような、神々しい美貌を持つ彼女。
しかし、女神でないことがわかって一安心だ。
胸の奥で小さくため息をついた。
だが、隠せない不安もあった。
目の前に立つこの女はどう見ても外国人なのだ。
どう考えても自分が異国の地にいるようだということが、否応なく胸をよぎる。
部屋の雰囲気。
窓から見える景色。
そして圧巻の美貌を持つ彼女。
これらすべてが異国の香りを漂わせた。
しかし、不安が心を占める前。
俺の内なる本能がじりじりと疼いた。
最も大事なことを彼女に尋ねなければならない。
それも、とても大事なことだ。
「失礼ですが、おいくつですか?」
彼女は少し戸惑いながらも答えた。
「え? ……えーっと、十八歳になったばかりですが?」
年齢確認。
まず確認すべき最も重要なことだ。
状況確認よりもよっぽど大切である。
彼女が十八歳だと知り、俺は心の中で安堵と共に微笑んだ。
日本では性交の合意年齢は十八歳である。
彼女がその年齢であるという事実。
それは彼女を「一人の成熟した存在」として受け入れるための合図とも言える。
まだ問題はある。
ここが日本なのかもまだわからないということ。
しかし、彼女は堪能な日本語を喋ってたではないか。
……俺は長い葛藤の末にようやく決断をした。
ここが日本である可能性がある限り、俺はそのリスクを取ると。
「ユリシアか、可愛らしい名前だね」
そう言って彼女に近づいた。
「……? そ、そうですかね」
「うん、俺は素敵な名前だと思うよ。こんな素敵な子に助けられて嬉しいよ」
「は、はい、」
彼女は視線を外す。
頬をわずかに紅潮させた。
共に艶やかな赤髪を耳にかけるその仕草を見せた。
まるで優雅な動きの一部だ。
俺は彼女の顎の輪郭に指を滑らせる。
そして、優しくそっと持ち上げる。
その瞬間、彼女は静かに目を閉じた。
可愛く、ほんのり震える息を漏らした。
「かわいい」
俺の言葉が部屋に小さく響く。
彼女の反応は全てが新鮮だ。
心にグッとくるものがある。
今までヤッてきたほとんどの女はいつも変態で、経験豊富な女ばかりだった。
だから、余計にこうした無垢な純真さは懐かしい。
興奮する。
「さて、始めるか」
と決意を固めたその瞬間だ。
部屋の扉が突然開いた。
ガチャっ……。
冷たい音が静けさを破った。
俺は一気に現実へと引き戻された。