第14話 『無駄な動き』
今日はベルタとの訓練だ。
昨夜は気まずく別れたユリシアもいた。
だがそのことは別に気にしてないらしい。
「いい、二人とも? 迷宮での戦いは普通の戦場とはまるで違うのよ」
「そうなんですか?」
「迷宮ではただ力任せに戦えばいいわけじゃない。戦略がすべてを決めるの」
ベルタの言葉には確信が滲んでいた。
戦略がなければ迷宮の攻略は不可能だと。
それはいくら強大な力を持っていようと関係ないらしい。
ユリシアは思案顔で頷いた。
階層が深くなるにつれ、魔物たちの魔力量は増す。
そして力も際限なく高まっていく。
つまり、迷宮を進む度。
敵との戦いはますます熾烈を極めるのだ。
「だからこそ、無駄な体力を消耗する魔法や全力を出し切る戦い方は避けるべきなのよ。最初から無駄な力を使っていては、肝心の局面で立ち行かなくなるわ」
なるほど。
当たり前と言えば当たり前だ。
するとユリシアは明るい声で口を開いた。
何かを悟ったようだ。
「だから、まだロックス迷宮には挑戦しないのですね!」
「そう! あなた、やっぱりイシアよりもよっぽど優秀ね」
どういうことだ?
話についていけない。
だから、ロックス迷宮に挑戦しない?
なぜに?
そうおもっていりと、ベルタが俺に向き直り、分かりやすく説明してくれた。
疑問符が表情に出ていたらしい。
「戦略は、迷宮に入る前からすでに始まっているのよ」
「……?」
「特にロックス迷宮は他の迷宮とは違い、未だ誰も攻略していない未知の領域。無策で突っ込んでも、成果を得ることはできないわ」
確かのそうだ。
理屈に合ってる。
だが、ベルタが言うと説得力が無い。
「でも、ベルタさんも無策で突っ込んだって言ってたじゃないですか?」
「ええ、確かにそうね」
「……?」
「でも、あの時は本気で挑んだわけじゃないの。実際に目で確かめておきたかっただけ」
「なるほど……それで結局、迷宮に入る前から戦略が始まっているって、どういう意味ですか?」
彼女に微かな笑みが浮かぶ。
「それはね、欲望に突き動かされた冒険者たちに先陣を切らせるってことよ。彼らを突っ込み役にして、私たちはその結果を観察し、勝利のための道筋を見極めるの」
「なるほど!」
「愚かな者たちを利用するのも、立派な戦略の一部ってこと」
「あはは……」
愚かな者か。
それにしても彼女の考え方は、冒険者の理想像を逸脱してる。
冒険者はどんな困難にも立ち向かって行くべきだ。
てっきりそういうものだと思っていた。
ベルタは強い。
それは断言できる。
ただ、どんな簡単な迷宮でも綿密な戦略を持って挑んできたらしい。
その冷徹な判断力。
それが彼女を生存者として、
そして強者としてここに立たせているのだろう。
「なるほど……だからまだロックス迷宮には挑戦しないんですね」
「そうね。でもあなたたちの訓練も必要だからってのもあるわ」
◇◇◇
ちなみに、迷宮での戦略が必要なのにはもう一つ理由がある。
迷宮は密閉された空間だからだ。
広々とした平地なら、魔物に出くわしても逃げ道は多い。
しかし、迷宮のように閉ざされた空間では、その選択肢は存在しない。
狭い通路と壁に囲まれた中。
逃げるという選択肢は限りなく小さくなる。
だからこそ、しっかりとした戦略が不可欠なのだ。
生き残るためには、知恵と計画が命綱となる。
◇◇◇
そんなわけで、今日は迷宮探索だ。
迷宮に慣れなければいけない。
水の迷宮【オアシスの泉】に来た。
この迷宮、なんと砂漠のど真ん中にある。
名前からして信じ難いが。
【人魚鬼リヴィアス】の住処なのだと。
この迷宮の最下層を支配していた魔物だとベルタは言う。
強さは間違いないらしい。
彼女は、美しい人魚の外見を持つ。
青白い肌。
長い青色の髪。
水中でたゆたうように揺れる。
その魅惑的な外見に惑わされる者は多い。
ただ、その本質は恐ろしい鬼だ。
リヴィアスの力の源は、彼女の美しい歌声と強力な水魔法だと言われてる。
特にその歌声だ。
心の奥底に潜む恐怖を呼び起こす呪いが掛かってるらしい。
聴いたものは嫌な思い出を思い出して、精神を蝕まれるのだと。
ただ、ここ数年のこと、水の迷宮で【人魚鬼リヴィアス】を目撃した者はいない。
恐怖の象徴であった彼女が消えたことで、今では俺のような迷宮初心者にとって絶好の訓練場となったわけだ。
◇◇◇
迷宮内はひんやりとしてる。
最初は心地よかった。
が、進むうちにじわじわと不快感へと変わっていった。
迷宮の床が水浸しなのが悪い。
歩くたびに水音が響き、さらに気持ち悪さが募る。
「わぁー、綺麗ですね」
ユリシアが綺麗と指したのは、壁と天井の模様のことだ。
確かに神秘的で雰囲気はある。
まだ一階層目だから、物静かだ。
そう思った側からすぐにそれは破られた。
小さな魔物が次々と現れた。
「うわっ、気持ち悪」
思わず、口にしてしまった。
この層の主な敵となるのがこいつ。
ポイズントードだ。
いわゆる毒を操るカエルで見た目は小柄でかわいらしい。
だが、その毒は侮れない。
俺は剣を握り締めた。
イシアとの厳しい訓練で磨かれた剣技。
レベル十八に達しているのだから心配はいらない。
そう思えば、自信が湧いてきた。
と言っても敵はそこまで強くないはず。
ここで力を無駄に使うべきではないな。
一匹目のポイズントードが跳ね上がる。
そして俺に向かって毒液を吐きかける。
その動きは予測通り。
俺は冷静に一歩下がり、毒を回避。
そのまま反撃の一太刀を振り下ろす。
剣がカエルの薄緑色の皮膚を一瞬で切り裂く。
同時に毒が地面に飛び散った。
倒れたカエルを見下ろす間もなく二匹目、三匹目と次々に現れる。
だが、強くない。
鮮やかに斬り裂かれた魔物の体が宙を舞う。
俺は無駄な動き一つせずに次々と倒してく。
汗を感じることもなかった。
そして、層の一通りの敵を倒した。
「その調子よ。それが効率の良い戦い方よ」
ベルタが言葉をかける。
「はい!」
俺は小さく頷いた。
目の前の敵は雑魚だ。
と言っても油断は禁物だ。
◇◇◇
二階層目へと続く階段を難なく見つけた。
さらに深奥へと進み、三階層目にまでたどり着いた。
新たな層に降りた途端のことだ。
魔物が視界を覆った。
「マッドワームね」
冷静にベルタが言う。
見た目はミミズ。
ただ比べものにならないほど巨大な胴体を持つ。
その姿はあまりにも醜悪で、ただ見てるだけでも嫌悪感を覚える。
SNSで顔写真でも上げたら、キモすぎて炎上するレベル。
俺だったら、攻めてくる冒険者からもその姿を見られたくない。
すると、奴の蠢く体躯がうねる。
濁った瞳。
俺たちを確実に捉えたっぽい。
その瞬間、ベルタの冷静な声が響いた。
「こんなやつ、ただの気持ち悪いやつだから。とにかく、冷静に」
同感だ。
声と共にユリシアは杖を構える。
だが、必要はない。
俺なら倒せる。
しかも丁度、ユリシアが見てる。
これは、カッコつけるチャンスっ!
「見てろよ!」
まずはアーマードゴーレムへと変化した。
マッドワームの凶暴な攻撃は全く効かない。
「そんなもんか?」
煽ってみる。
あからさまにムカッと来たんだろう。
口を大きく開けて、鋭い何本もあるトゲトゲの歯を見せてきた。
そして、パクりと俺の上半身を噛んできた。
歯が食い込んでくる。
だが、痛みは一切ない。
これが、アーマードゴーレムの力だ。
防御は完璧そのもの。
次にスプリントウルフへと素早く変化した。
その俊敏さで一気に間合いを詰める。
いとも簡単にマッドワームの背後を取った。
これはもらったな。
最後の一撃を放つためにオークになった。
そのまま強力な平手打ちでとどめを刺した。
俺は勝った。
「どうでしたか!」
――そう言った瞬間だ。
バチンッ!
鋭い痛みが頬に走る。
唐突にベルタに叩かれた。
怒ってるように俺を見つめる。
「痛っー!」
思わず、情けない声が出た。
「やっぱりバカね。冷静に、と言ったでしょ」
「えー! いま、冷静でしたよ!!」
冷静に?
何を言う。
俺は十分に冷静だったはずだ。
「本当に〜?? ユリシアちゃんの前だからってカッコつけてやるって気持ちがあったように見えたんだけどな〜」
ギクっ。
バレていた。
「そ、それは……どうですかねー」
確かにカッコつけてはいた。
チラチラとユリシアの方を見ていたのは認めよう。
だが、ちゃんと敵を倒せたじゃないか。
それを褒めてくれてもいいんだぞ?
「それに、全く効率が悪すぎるわ。体力の消耗が激しすぎる」
「効率が悪かった?」
戦い方にも文句を言われた。
俺のライフはとっくにゼロよ。
にしても効率が悪いはずは無かったが。
何か間違えたか?
さっぱりだ。
「それは、それは」
「どこがですか?」
「まずね、なぜ、わざわざアーマードゴーレムになってから攻撃を受ける必要があったのよ?」
「それは――」
「最初からスプリントウルフに変化すれば、攻撃を避けられるじゃない」
「……はい」
「それに、スプリントウルフの攻撃力はオークよりもずっと高いのよ」
「……はい」
「わざわざ、オークに変身する必要もないのよ」
「……おっしゃる通りです……」
ベルタの説教が効いた。
結局、戦場での冷静さとはなんなんだろうか。
心を穏やかに保つだけじゃないことは確かなようだ。
敵の動きを見極めること?
状況を冷徹に分析することか?
……いや、その全てなのでは?
そして、その限られた情報の中で最適な力を行使する術を選ぶことなのかもしれない。
ならば、どの程度の力を出せば体力が消耗されない?
《外見変化》のスキルを発動するべき、敵なのだろうか?
どの対象に変化すればいいのだろうか?
ベルタの言った「冷静に」という言葉。
それにはこれらの答えを見出せという暗示が含まれているのかもしれない。
ベルタがこっちを驚いたような顔で見てきた。
そして、柔らかな笑みでこう言ってきた。
「どうやら、掴んだようね」
「ええ、少しわかった気がします。さあ、この調子で進みましょう!」
何か掴めた気がした。
意気揚々とした気分だ。
強くなった気がする。
「先を急ぎましょう!」
俺は先頭を走り、通路を駆け抜けようとした。
「ルーク、あまり先に行かないでください」
ユリシアが呆れながら俺にそう言った。
だが、俺を止められるのは誰もいない。
そんな気持ちだった。
これからだ。
「俺の旅はこれからだ!」
カチッ――。
気分も晴れた時だった。
俺はあっさりと踏んでしまったのだ。
「これからだ!」と叫びながら、分かりやすすぎる踏み板式の落とし穴に引っかかってしまった。




