第10話 『お別れ』
俺はアルフの熱意に応えるほかに選択肢がなかった。
と言った方が、断る理由を考えられなかったと言うよりも遥かにいい。
だが、よくよく考えてみれば、彼にはこれまで、《外見変化》スキルの研究をしてもらっていた。
それにアルフだけじゃない。
迷子で傷を負った俺を救ってくれた上に、二年もの間、居候までさせてくれたこの家族には感謝の言葉以上のものがある。
だから、これがその恩返しだ。
俺は旅に出ることにした。
◇◇◇
ベテンドラの街から馬車で約一週間の距離にあるニレニア。
そこにロックス迷宮があるのだと。
とりあえず、簡単に食料や水の荷造りを出発前夜には済ませておいた。
そして早朝。
俺はワイナレット家に別れを告げた。
ロックス迷宮を攻略し、全種族辞典を持ち帰るだけの旅だ。
なのに、ユーリアは泣いている。
しまいには俺の足を掴み、決して離そうとしない。
「私、もう八歳だから一緒に着いていくもん! お兄さまの為に私、頑張るから!!」
ユーリアは八歳になった。
その見た目もそれに伴ってぐっと成長していた。
しかし、俺自身も歳を重ねていたせいだろう。
彼女が二年前とさほど変わっていないように感じられた。
「ユーリア、学校はどうするのよ!」
「学校に行かなくてもいいもん! 私、もう成長したから!」
イシアがユーリアを叱るように言った。
が、彼女はまったく耳を傾ける様子もない。
そのまま足元を離れずに動かなかった。
「気持ちは嬉しいよ、ユーリア? でも、心配しなくてもすぐに帰ってくるから、お父さまとお母さまの言うことをちゃんと聞いて」
「で……でも」
俺はいつからか本当のお兄さまになっている気がした。
やっとの思いでユーリアを説得すると、やっと放してくれた。
そんなことを言ったが、ずっと掴んでもらっても、俺としては別によかった。
だが、ダメだ。
ユーリアにとっては危なすぎる。
流石に連れて行けない。
イシアがユーリアに小さな溜息をついた。
そして、俺のもとに近寄ってきた。
「ルーク、ニレニアに着いたら、助っ人を呼んでいるはずだから」
「助っ人? 分かりました……ありがとうございます!」
「うん、じゃあ……気をつけて行ってらっしゃい」
俺とイシアは師弟に近い関係にあった。
それと同時に、彼女の面倒見の良さから、まるで母と息子のような絆を感じていた。
だが、イシアに別れのハグをされた瞬間。
俺は興奮を抑えきれなかった。
並のグラビアアイドルよりも大きな胸が当たった。
この世界に来てから大して女とヤル機会がなかったからだろう。
俺の欲は溜まりに溜まっていた。
パンパンに溜まっていた。
そのせいか、興奮は身体全身を火照らせた。
そして、不覚にも俺は鼻血を出した。
だが、ここで鼻血を見られたら、まるで彼女の体に興奮してしまったように思われる。
それでは、これまで積み上げられてきた信頼が――。
《実際、そうですよね》
だまれぇぇ!!
とにかく、イシアの異常な腕力で俺はハグから逃れる事はできなかった。
鼻血だけが静かに垂れていった。
ズルルルルぅぅぅ!!!
「あら、泣いてくれているの?」
「あ゙、はい゙い゙」
「嬉しいわ」
両方の鼻から垂れる鼻血を必死に吸い込んだ
鼻から強く息を吸い続けなければ、血は流れ続ける。
そうするうちに、声はまるでデスボイスのように擦れた。
「気をつけてね」
「はい゙」
俺はなんとかバレずにイシアと別れを告げることができた。
アルフはというと、うんと頷き、簡潔に俺との別れを告げた。
言葉など必要なかった。
心と心で通じ合っている何かがあったからだ。
彼は俺に何か訴えかけようとしてるのが伝わった。
「鼻血出ちゃうよな!」 ……と。
バレてた。
最後に、ユリシアだ。
彼女とはこの二年余り、多くのことがあった。
何度か、寝込みを襲おうと試みたこともあった。
だが、全ては虚しく撃沈した。
彼女にさようならを言おうと思った。
だが、家の外に彼女の姿はなかったのだ。
彼女は俺の旅立ちの日に姿を現さなかった。
悲しくないと言えば嘘になる。
しかし、それでいいのだ。
女をしつこく追い続けることは、男の取るべき行動ではない。
追わず、追われず。
それでいいのだ。
俺は馬車の操縦席に腰を下ろした。
手綱を引いて馬車を走らせる。
背後には、俺が別れを告げた家族の姿が小さくなっていくのが見えた。
手を振る姿が遠くに消えていく。
心の中で確かな別れを感じた。
あの温かい日々との別れ。
今しっかりと心に刻まれていくのが分かった。
◇◇◇
馬車の操縦は初めての経験だ。
だから、常に集中を切らさないようにしなければ事故りそうになる。
三十分ほど進んだところ。
削られた集中力と体力を回復するために休憩を取ることにした。
外の気温は予想以上に高い。
「それにしても暑い日だなぁ」
砂埃が舞い上がった。
その中での休息はまさに妥当な判断だ。
熱い風に吹かれながら、息を整える。
同時に馬たちにも一息つかせる。
日差しが強く降り注ぐ中で、ひとときの静寂が心に安らぎをもたらした。
ふと、出発前にアルフからもらった小さな紙切れの存在を思い出した。
だからこそ、別れの時に何も言わなかったのだろう。
照れくさいやり方だ、
だが、それもまたアルフらしい。
小さく折り畳まれた紙切れを慎重に広げてみる。
そこに書かれていた文字を目にした。
『ルーク君、君も色々な意味での治癒魔法が必要だろ』
治療魔法?
確かにパーティーを組む上でヒーラーは必要だと思うが?
それにしても色々な意味で……か。
馬車の木製の荷台の奥。
荷物がぎっしりと積み上げられていた。
直射日光による体力消耗を避けるために、荷台の中に入ることにした。
荷台への入り口には、重厚な布が垂れ下がっている。
外からは中の様子を一切窺い知ることができなかった。
その布を押しのけて中に足を踏み入れる。
すると、彼女は茶色い布で作られた目隠しをつけている。
小さくまとまって座っていた。
狭い空間に静かに身を寄せる。
彼女の姿はまるで隠れた宝箱のようにそこに佇んでいた。
「ユリシア?」
「は、はい? どなたですか?」
「ルクセリオだけど……? なんでここにいるの?」
「え?」
つまり、ユリシアも旅についてきてくれる。
そういうことだと理解した。
当の本人はそのことを知らなかったようだが。
だが、なるほど。
確かに俺は色んな意味で治癒魔法を必要としていたようだ。
流石はアルフだ。
ありがとう、お父さま。
いや、
神様とでも呼びたいものだ。
第2章 居候編 ー了ー




