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例の雫を、初めてカップへと垂らす瞬間は、息が詰まるほど緊張した。
悟られてしまっては元も子もない。
「朝食時か、それとも夕食後か。色の濃い、香りの強い紅茶は、どんなものが適しているか」
身につける洋服やアクセサリーを選ぶ以上に時間をかけて、じっくりと吟味した。
考えた末、ウバに溶かして、朝食と一緒に出すことに決めた。
思えば、これまでの人生において、何かを成し遂げたいと自ら行動したことは一度もなかった。
夫殺し。
これが、夫人が生まれて初めて明確に示した意志だった。
しかし、事は拍子抜けするほど、すんなりと進む。
夫はトーストとスクランブルエッグ、ウインナー、十種類の野菜を使ったサラダなどを次々と口に運び、最後に一気に紅茶を流し込むと、いつものように出勤していった。
あっけにとられた夫人は、腰を抜かし、ははっと自分の肝の小ささを嘲笑した。
それからは、日課として、流れるように紅茶を用意できるようになった。
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今日は、小瓶が空になる記念すべき日。
これまでにない笑顔で夫を見送ると、お気に入りのコートやドレスを、乱雑に鞄の中へと詰め込んだ。
彼の話では、昼過ぎには晴れて囚われの身から解放される。
その頃には、きっと夫の会社から訃報が届く。
そうしたら、彼が迎えに来てくれて、二人でどこか遠くへ…。
夫人は、はやる気持ちをぐっと押し殺すと、リビングのソファーに突っ伏した。
待っている時間とは、待たせる何倍も長く感じるもので、もう二、三歳は老けたようだ。
その時をひたすら待っていると、もう午後四時を回っていた。
しびれを切らした夫人が玄関前まで駆け寄ると、絶妙なタイミングでチャイムが鳴った。
顔を真っ赤にして不機嫌の極みとなっていたが、ベルの音で一変した。
「待ってー」と喜び勇んでドアを開けると、全身に悪寒が走り、凍り付いた。
そこに立っていたのは、青白い顔をした白蛇のような男だった。
いつものようにニッと赤い唇を吊り上げている。
唖然とした夫人は、ふと遠くへ視線をやった。
空は、いつの間にか曇天となり、嫌な雨がちらつき始めていた。




