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人間標本  作者: 今河
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 ある時、夫人の色褪せた世界が一変する。


 夫が紅茶のバイヤーという男を、連れてきたのだ。

 恰幅の良い爽やかな青年で、夫とは正反対だった。


 珍しいネパール産やスモーキーな英国のものを溌溂とした声で説明するのだが、夫人の頭の中には何一つ残らなかった。


 ごつごつとした手が掴むふたつの瓶を、羨ましいとさえ思った。


 「奥様、またお邪魔させていただいてもよろしいですか」と屈託のない笑顔を向けられると、首を横に振ることはできない。


 結局、この日、勧められた全種類を購入した。


 「素敵な人…」

 喜んで去っていく後ろ姿を眺めていると、ため息とともに思わず漏れた。


 ………………………………………


 夫が出勤すると、入れ違いで青年がやってきて、逢瀬を重ねる。

 聞けば十も年下というが、彼はそれを感じさせないほど博識だった。


 三十路の夫人は少女に戻ったようで、心弾む毎日を送るようになった。

 そうしているうちに、疎ましかった夫が、さらに邪魔な存在となっていった。


 「いっそ、死んでくれないかしら」


 夫人はさすがにハッとした。


 あらぬことに、惚れた男の腕の中で、とんでもないことを口走ってしまった。

 青年はしばらく瞼を閉じると、「あなたを苦しめるものは、排除しないといけませんね」と、いつになく真剣なまなざしを向けてきた。


 そして、アタッシュケースからガラスの小瓶を取り出した。


 「これを香りの高い紅茶に溶かして、ご主人に。空になるころには、きっと願いが叶います」


 夫人は奪い取るようにして、その瓶を受け取った。


 「私、自由になれるのね…! 」


 ちらっと視線を上げると、青年は目を細め、無邪気な笑顔を浮かべた。

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