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たった今、最期の一服を盛った。
ガラスの小瓶から、ぽとりと雫が落ちる。
朝日を受けたそれは、艶やかな光を放ち、夫人の潤んだ瞳へと映り込んだ。
そして、静かに着水すると、怪しげな波紋を広げ、紅茶の透明度まで溶け込んでいった。
口元を両手で覆うも、喜びを隠し切れない。
梅雨時には珍しく、この日は晴天に恵まれた。
「まるで、新たな門出を祝福してくれているようじゃない」
夫人は、足首まで丈のあるフレアスカートの裾をつまみ、長い髪を振り乱して、狂ったように踊った。
清々しい朝に反して、その光景は異様だった。
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小高い丘の上にある屋敷に、夫人は夫と二人、暮らしていた。
周りには英国風の庭園が広がり、季節の移ろいに応じて、バラやルピナス、チューリップなどが咲き誇る。
今の時期は、アナベルとモナルダが見ごろを迎え、すっきりした仄かな香りが、道行く人の視線を誘う。
誰もが羨む生活を送っていても、当の本人にとって、それは大層つまらぬ、むしろ嫌悪を抱くものだった。
夫とは家同士が決めた結婚をした。
父と母、その父と母、そのさらに上もそうだった。
勝手に整えられた常識を押し付けられ、それでも「思い切って一緒になれば何かが変わるかも」と淡い期待を寄せていたが、実際はその想像をさらに下回り、絶望の底へと叩き落された。
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夫の風貌と言えば、目はくぼみ、頬は痩せこけ、青白い肌と長身のいかにも不気味な男、そのものだった。
唇だけは妙に赤く、こちらを見てにやりとする表情は、まるで白蛇のそれで、初対面からゾッとしたものだ。
いや、もはや見た目は二の次で、どうしても受け入れられないのは、その内面にあった。
連れ添って八年になるが、何を考えているのか、皆目検討がつかない。
総合商社の家業を継いでいるらしいが、朝はきっかり九時に出かけ、夜はきっかり八時に戻ってくる。
それだけなら勤勉有能な旦那なのだが、必要最低限の文言以外は何も語らないのだ。
「今、何を考えているの」と尋ねてみても、赤い口元がわずかに吊り上がるだけで答えはない。
一度カンカンに怒らせてやろうと、「森に囲まれたお城に住みたい」と駄々をこねたら、無理難題をすんなりと叶えてくれた。
「寝室も食事も別々にしたい」と声を荒げた時も、言いなりになるばかり。
「この人は、一体何が楽しいのかしら」
夫人には、何もかもが理解できなかった。




