小さな広場の真ん中で
『大夜会の隅っこで』の続編となります。前作を先に読んでいただけると幸いです。
「やっぱり私たちは運命の二人なんですよぉ」
「まあ、ご冗談が過ぎましてよ」
「あなたも婚約者を決めずに待っていてくれたことだしぃ」
「ほんとうに面白いことばかり仰るのね」
どうしてこうも嚙み合わないのだろう。
さっきから同じ言葉の繰り返し。
言っている本人は飽きないのだろうか。
王室主催の大夜会。
今夜は貴賓席に隣国の第三王子がいた。
主賓ではない。
勝手に押しかけてきたのだ。
しかも話が全く通じない。
『一昨日来やがれ』って言ってみたらダメかしら?
ダメよね…
わたしは王女ですもの。
【耳にタコ壺…情報が耳の中で空回りして頭脳に到達しない様子】
なんて造語までしてしまったわ。
隣国の第三王子は、一言で言えばボンクラだ。
あまりに役立たずなので使える嫁を連れてくるか、婿入り先を見つけてくるまで国に帰って来るな、と父王から追い出されたのだ。
しかも、現在二周目。
我が国は隣国なので、第三王子の最初の訪問国となった。
もちろん、ここで相手は見つからず次の国へと旅立っていったのだ。
…戻ってきたけど。
二周目のせいか、一周目より粘りが出てきた。
鬱陶しいこと、この上ない。
このまま、なんとか送り出しても三周目にはもっと粘りが出るのか…
そう思うだけで嫌気マックス。『誰か助けて!』と叫びたい。
天に願いが通じたのか、幼馴染の公爵家令嬢がやってきた。
彼女とは幼い頃、一緒に悪戯もした仲だ。気心が知れている。
うんざり顔のわたしに気付くと彼女は扇子の陰でふっと微笑んだ。
『姐御、おねげえしやす』の気分になった。
「王女殿下ごきげんよう」
「ごきげんよう。お久しぶりね」
「ええ本当に。こちらの殿方は?」
「隣国の第三王子殿下ですわ。
殿下、こちらわたしの幼馴染の公爵家ご息女ですわ」
「………」
ボンクラ王子は何も言えなくなっていた。
だって今、彼の視界には姐御のメロンのような胸しか入っていないのだから。
「王子殿下、あちらでわたくしとお話しませんこと?」
揺れるメロンに魅了されたまま、姐御の後ろから黙ってついて行くボンクラ王子。
やっと解放されてホッとしたところで、離れた場所にいた兄である王太子殿下と目が合った。
『お疲れ!』とばかり投げキスを送って来る。
ボンクラ王子の相手を丸投げされたのだ。
兄様、今夜はもう戻って寝てもいいよね?
大夜会の真ん中では、相変わらず安定の婚約破棄。
まともな男子はおらんのか?
大事な乙女心が荒みそうだ。
荒んだ心には甘いもの、と思ってビュッフェテーブルを経由することにした。
会場内に設けられたコーナーの一つに向かう。
先客は若い男性が一人だけ。
料理を一つずつじっくり見ては、慎重に盛り付けていた。
皿やカトラリーの扱いが丁寧で好感を持った。
「うまッ! なにこれ?」
思わず心の内がこぼれたらしい。
「お隣よろしいかしら?」
唐突に話しかけたのに、彼は笑顔で「どうぞ」と応えた。
わたしがベンチに座ると、彼はすぐに食事に戻った。
でも、飲み物を用意していないようだ。
回ってきた給仕からワインを受け取る。
ところが彼は酒に弱いので、外では飲まないそうだ。
ちゃんと自らを律している方だ。
給仕にアルコールの入らない飲み物を頼むと、フルーツティーを持ってきてくれた。
あんまり彼が美味しそうに食べるので、じっと見てしまう。
少し、はしたないかしら?
召し上がらないんですか、と訊かれたのでお勧めを尋ねてみた。
『スモークサーモン』が絶品だと褒めていたが、他も美味しいけれど名前を知らないと言う。
なんて飾らない人なんだろう。
そう言えば、甘いものを食べようとここに来たのだと思い出す。
せっかくなので彼に頼んだ。
彼が選んだのはレアチーズケーキ。
びっくりした。
デザートは何種類も用意されていたのだ。
でも、わたしが一番好きで、今一番食べたいと思ったのがレアチーズケーキ。
復活を遂げた乙女心が運命を告げていた。
そもそも、わたしの大事な乙女心がなぜこんなにも荒みやすいのか。
全ての原因は婚約破棄だった。
幸いにも自分の、ではない。
高位貴族令息からの婚約破棄のせいで、貴族令嬢たちはひどく傷ついていた。
冗談みたいな流行の根底には、女性軽視や女性蔑視がある。
貴族社会全体の問題なので、王室の一員として私が中心になって調査した。
嫁ぐにふさわしくない令息は切り捨てるべく、調査結果を令嬢側に周知した。
適齢期を逃せない令嬢側の要望で、伯爵、子爵、男爵家も出来る限り調べてみた。
地位に胡坐をかいていない貴族令息は思いのほか謙虚な者が多い。
地に足がついているのは大切なことだと初めて実感する令嬢も多かった。
国王陛下や王太子殿下の協力の下、王宮で伯爵家以下の令息を招いてお見合い茶会を開くことにした。
その茶会にスモークサーモンの君を呼べば、また会えるのでは?
気配を殺し、常にそばに控えていた護衛の一人に、彼の身元調査を命じた。
公私混同も甚だしい招待状に応じて、彼は来てくれた。
調査によれば、普段は荷馬車を使った運送業をしているそうだ。
そういう目で見ると結構、筋肉がついていて…格好いい。
独り占めしたくて、お茶会の間中ずっと話をしていた。
彼の大事なチャンスを奪っていることを自覚しながら…
乙女心とは時として残酷なものである。
お茶会の後しばらくして、件の公爵家令嬢と会った。
なんと、ボンクラ王子はあれから公爵家に居候しているそうだ。
しかも、メロンの姐御自らの招待で。
「続かない会話に飽きないの?」と訊けば
「あら、意外と可愛いんですのよ、うちのポチ」
と嫣然と笑うボンキュッボン。
…乙女にはまだ開けない扉の向こうの世界だった。
くわばらくわばら。
「そんなことより、元気がありませんわね?」
やはり見破られた。
「生まれて初めて恋をしたの。…こんなに苦しいものなのね」
幼馴染は優しく微笑んだ。
「いつかは諦めなければいけないと覚悟しているのなら、
行けるところまで行ってみてはいかが?」
そんなことをしても、いいんだろうか…
彼にも、彼の周囲にも、わたしの周囲にも迷惑をかけてしまうだろう。
でも、どうしても彼にまた会いたかった。
わたしは兄様に相談することにした。
わたしの告白に目を瞠り、口元を抑えていた兄様は話を聞き終わると深いため息をついた。
「三か月。三か月だけならなんとかしよう」
「兄様?」
「お前はよく物事を見て勉強もしている。見合い茶会のような成果もある。
市井の視察をさせる意義は十分あるだろう。
視察場所が偏ったとしても、まあ初めてだから仕方ない」
兄様の力添えで、わたしは週に一度、とある男爵家の営む運送業者の視察に出かけることになった。
王太子殿下からの書状が届いたせいで、男爵家では断るという選択肢を放棄し、わたしを迎え入れてくれた。
視察初日のことだ。
当主であり経営者である男爵が、申し訳なさそうに告げた。
「忙しいので、全くお構いできません」
そして、わたしの世話係にスモークサーモンの君を指名した。
最高の待遇だと思った。
彼が迷惑だと言ったら、さすがに行くのをやめるつもりだった。
だけど、彼は何も言わず、いつでも自然に接してくれた。
わたしを気遣いながらも仕事を優先する。
慣れない私が手を出しても邪魔にならないことは手伝わせてくれたし、座り心地が悪いからと言いながらも荷車の御者台に一緒に座らせてくれた。
彼が荷物を運んだり積み込んだりする様子を見るのも好きだった。
持参したお昼を一緒に食べ、何気ない会話をした。
兄様がくれた三か月は、あっという間に過ぎていった。
最後の日は、やはり胸が一杯で、平気な顔をするのに苦労した。
男爵家に着くと、彼以外は誰もいなかった。
「今日は仕事を休みにしたので、皆出かけています」と彼が言う。
一件だけ荷運びがあるというので、いつものように並んで腰かけた。
一時間ほど、ゆっくり馬車を走らせて着いた場所は街道沿いの空き地だった。
普段なら隊商などが休む場所だ。
今日はそこに色とりどりのテントが張られていた。
中央には花で飾りつけられた塔。
そこにいる人々は生成りの木綿に刺繍を施した昔風の衣装をまとっていた。
顔を見れば、男爵はじめ見知ったご家族や従業員の皆さんだ。
「さあさ、王女殿下はこちらへ」
男爵夫人に手を引かれてテントの一つに入った。
中で着せられたのは、他の人たちより少し凝った衣装。
ごわついた生地だったけれど、刺繍がとても素敵だ。
身支度を終え、テントを出ると花の塔の前で彼が待っていた。
彼の衣装も、わたしとお揃いの凝ったもの。
彼が小さなブーケを差し出したので受け取った。
差し出された腕に、自然に手を添える。
テントで囲まれた小さな広場を、彼と一緒に一周した。
皆が花びらを空に向けて放り上げ、空一面が花のシャワーでいっぱいになった。
その後、皆で食卓を囲んだ。
素朴な味の料理は、とても美味しかった。
幸せで幸せで、胸がつぶれそうだった。
それは、昔から続く田舎の村祭りの再現だった。
花の咲く時期に、実りを祈って行われるお祭り。
未婚の男女が一組選ばれ模擬結婚式を挙げる、と本で読んだことがある。
高位貴族令嬢と、下位貴族令息のお見合いを進めていてなんだけど…
男爵家三男の彼と、王女のわたしでは、また話が違った。
婚約し、婚姻をするのはたぶん可能だ。
でも、それは彼の生活や生き方を全て変えてしまう。
そんな彼は見たくなかった。
わたしが一緒にいたいのは、御者台で隣に座る彼なのだ。
祭りは終わり、元の服に着替えた。
残って片づけをする皆にお礼を言って、彼と共に荷馬車に乗った。
名残惜しい街道の風景を、ただ黙って眺めていた。
「ちゃんとプロポーズしようと、ずっと考えたんだけれど」
やっと口を開いた彼は、そう言った。
「僕が君の生き方を決めてはいけないと思った」
その通りだ。
わたしの生き方は、わたしが決めなければ。
「…一年だけ、待ってもらえますか?」
「君のことしか、待たないよ。ずっとここで待ってる」
彼がわたしのことを、貴女ではなく君と呼んだのは、これが初めてだった。
一年と少し後、王国にある噂が流れた。
外遊に出ていた王女殿下が遠い小国で恋をして、もう帰ってこないそうだ。
一方、運送業を営む、とある男爵家の三男には嫁が来た。
王宮には見知った者がいないほど田舎の、男爵家の出だという。
真面目な彼と明るい彼女はお似合いで、新婚の二人は今日も楽し気に荷馬車に揺られているそうだ。
メロンの姐御とポチのその後のお話『溺れる夢と女神の手』を投稿しました。