第一章 テレの青春 (後編)
雲行きが怪しくなった十二時の少し前に、皆が申し合わせたかのように、合流を果たしていた。五人は皆腹ペコである。茶屋では、きしめんをそれぞれ注文している。
「どいつもこいつも、写真が分かってないなぁ」
熱血的なケースケは、独自のカメラ論を語っていた。外は、猛烈に雨が降ってきている。激しい雨の音が、ケースケの熱血カメラ論を打ち消していた。周りの四人は、ケースケの熱弁が、雨の音で消されてホッとするのであった。いつも、ケースケのダメ出しのコメントをありがたく受け取るような印象だけはアピールしていた。この日のケースケの餌食も、いつものようにテレだった。ごくまれに、ケースケ以上の写真を撮影するのが面白くないらしい。誰もが認める写真への批評は控えめながら、明らかな失敗作を批評するのだった。テレは、いつも批評の対象なのだ。ケースケの一方的なライバル心がそうさせていた。
テレは、お気に入りの「大楠」を、低いアングルから撮影してみた。いいルートが見つからない。いつものように地べたに正座している。被写体との対話が始まる。意地になりながら、大楠が喜ぶポイントを必死に探し出そうとする。見つからないので、砂利敷きの床に座禅を組んでみた。なるほど、大楠の喜ぶポイントが見え始めていた。大楠の先にある空海の想いを含めながら、被写体の大楠を写真の「柱」に見立てている。だんだんノリノリになり、トランスに入り、次々と写真を撮りためていく。気づいたら、数十枚が撮影されていた。どんな写真を撮ったのかは、ここでは振り返らず、次のアングルを試してみた。テレの頭の上にカメラを乗せながら、撮影した。自身を三脚に見立てる。他の参拝者が、クスクスと笑う声が聞こえているが、テレにはどうでもいい雑音だった。テレが常識を越えた写真を収めるときは、まず被写体やその場所の「柱」を見つけることから始めていた。いろんな目線を駆使しながら、被写体を正確にとらえようとしていたのだ。風変わりな撮影方法でも、気にせずに試している。幸いに、他から笑われることはあっても、迷惑を振りまくことはなかった。
離れた場所では、ケースケが直球勝負の性格を前面に出した撮影をしようとしていた。本殿の前の少し離れた場所で、軽いストレッチを始めていたのだ。ケースケにとっての写真撮影は、スポーツそのものであった。体力がものをいう。そんなスタンスで、ストレッチのペースを上がっていく。周りの参拝者も、さすがに迷惑そうに横目に見ながら、次々と本殿に向かっていた。ケースケ自身は、横目で見られても気にもとめずに、準備運動に熱を上げていた。体を動かしていると、これからの撮影のポイントが見えてくるという。重要な前振りだった。ポイントが決まったのか、ケースケは動き出す。近くでは、老夫婦がニコニコして、ケースケに話しかけている。
「お兄ちゃん、元気だね。ランニングでもするのかね?」
話しかけてきた老紳士に気づくと、
「今から写真撮影をするんです。その準備運動中です。ぶつかるといけないから、少し離れてください」
こんなことを話していたら、ふと閃きを感じた。この老紳士を中心に、撮影してみよう。話しかけてきたのが、何かの縁だ。そう思いながら、老紳士に、撮影について交渉をしている。無事に交渉が成立。その後は、ケースケの独壇場となっていた。いろんなアングルで、老夫婦を被写体に、撮影をしている。一度被写体を決めると、猪突猛進でカメラを構えて、撮影するというスタイルだった。ターゲットにされた老紳士は、戸惑いながら、徐々に気分を高めていた。
ケースケは、このモデルと奏でる高揚感が、たまらなく好きで、人物写真をメインに撮影をしていた。老紳士は、妻と一緒に気持ちを若返らせている。こんなにいい気分になったのは、いつ以来だろう……。そんなことを思いながら、ケースケと奏でるカメラ撮影に没頭していた。
そんな姿を見ているのは、景子だった。ひとまず写真撮影を終えて、本殿に向かう途中に、熱を上げて撮影していたケースケを遠くに見つけて、その撮影風景に魅了されていた。
「いつもああやって、周りを巻き込むんだよね」
恋人の熱中ぶりにうっとりしていた。
テレはその景子の姿を見て、複雑な感情を抱いていた。スポーツをするような撮影風景を、少し遠いところから眺めていた。シュンスケと明美も、満足いく写真が撮れたようなので、三人で景子のところに合流した。十二時二十分を少し過ぎたころ合いだった。ケースケは、景子を見つけて豪快な笑顔を向けていた。そして、仲間たちが集まったのを確認して、礼儀正しく、老紳士に感謝を伝えていた。
「実に、素晴らしい青年だ」
「これからの活躍を応援しておるよ。妻も元気になったので感謝しているよ」
「明日から妻が入院だったから、熱田に参拝に来たんじゃが、こんなに元気な青年に出会えて、景気づけになったな」と、横で嬉しそうにしていた妻に話しかけていた。
ケースケは、老紳士に再び深々と頭を下げていた。老夫婦と別れて、ひとまずみんなで本殿を参拝する。その後は、茶屋に向かうのであった。
テレは、前方で二組のカップルを眺めていた。それぞれの世界で、密度の濃い会話をしていた。前を歩く四人を見るのは、慣れているけど、この日だけは、激しく寂しさを感じていた。
「この距離感は、変わらないんだよな」
ぽつりと、独りごとを漏らしてしまった。気になんてしないはずだったのに……。
景子が、振り返り話しかけてきた。
「ねぇ、テレってその名前好き?」
「好きではないけど、嫌いでもないよ。やっぱり、僕になじんだら嬉しいな」
テレは、顔を赤らめながら答えた。
「どんな写真撮れた?」
「テレは、どうせ風景写真だろ?」
ケースケが、割り込んできた。
テレは、苦笑いを浮かべながら、ケースケを視界に入れていた。
「空海の想いに触れながら、立派な柱が撮れたはずだ」
そう、ケースケたちに宣言していた。
「テレには、負けられない。勝負は絶対に勝つ!」
ケースケは、あくまで勝負をしようとしていた。被写体のテーマが違うのに、すぐに勝負に持ち込もうする。ケースケの目は、血走っていた。鬼気迫るような目を、一瞬、景子とテレに向けていた。
「まぁ、まぁ、二人とも、そんなにケンカ腰にならないで、写真は楽しもうよ」
めったにみんなの前では話さないシュンスケが、話し出した。シュンスケが話すと、ケースケは冷静になっていた。
テレの前を歩く二組の恋人同士との関係性が、シュンスケの一言で少し動き出した気がした。決して動かない三角形の形が、少し比重を変えながら変わり始めていた。まだ、誰も気づけないくらいの小さな変化だったが。
景子は、この温度の変化を感じていた。何か、必死に思い出そうと空を眺めていた。気づくと、空は雨雲でいっぱいになって、今にも雨が降り出しそうだった。
五人は、大楠を視界に入れながら、茶屋を目指していた。三羽の鶏が、猛烈な雨が来るのを予感して、必死に鳴いている。
四人は早歩きで茶屋を目指していた。テレは、少し鶏が気になり後ろを振り返る。首からかけていたカメラを鶏に向けたのだ。自動的にフォーカスされた鶏をパシャリと撮る。左手に巻かれた腕時計は、もうすぐ十三時になりそうだった。今、十二時五十七分。
茶屋では、皆がすでに着席をしている。テレだけは後から来たので、空いている席を見つけて座った。最後に撮影した写真が気になったので、直ぐに確認してみた。なんてことない写真だったが、何か不思議な魅力を醸し出していた。初めて動物写真を撮った気がする。フレームの左側に写り込んだ鶏は、テレの後頭部を見ているようだった。背後に冷たい視線、そして殺気を感じた。振り返ると、ケースケが写真の鶏をにらみつけていた。
「テレ、なかなかいい写真が撮れているじゃないか。まだ素人感があるけどな。その写真では、俺には勝てないぞ」
「ケースケの最後に撮影した写真を見せてよ」
景子の問いかけに、焦りだしている。強い眼力で景子をにらみつけていた。景子は、ケースケの急変に不安を抱いているようだ。ケースケの持つ怖さを忘れたテレは、熱田で撮影した写真を振り返っている。どれを選ぶかは決めていた。やはり大楠を中心にした写真で、一番のベストショットを選び出す。柱になりそうなものが、テレの選んだ写真。少し遠景からで、フレームの中心に大楠を配置しているのがベストだと感じた。素人でも撮れそうな構図だけど、格段の影響力を感じた。テレのこれからのカメラマン人生を彩る「可能性の苗木」を選んでいる。その写真の撮影時間は、十二時二十一分だった。
「それぞれが撮影した写真から三枚選んで、プリントアウトしてください。そして、それらを持ち寄り合評会を二週間後の七月十三日に開催します。場所は、大学一号棟の三一四号室です。時間は、十四時からです。教授の佐々木先生も厚意で同席してくれます。遅れずに集まってください」
景子は、そう高らかに宣言して、熱田の撮影会は無事に終了した。ただ、テレの中に芽生えた違和感は、ケースケの鬼の形相が現れた瞬間に始まっていた。これから、とんでもないことが起きる。テレと景子とケースケを中心にして。そんな予感を覚えていた。でも、深く考えすぎないようにしていた。
この日最後に見た景子は、テレに何かを伝えようとしていた。寂しそうな表情を示し、言葉にならない恐怖感が、景子自身からふつふつと溢れ出そうとしている。怖さから逃げたい、そう感じ始めていた。
二週間後、景子以外は皆集まっていた。ケースケは、テレを中心にして皆に届く小さな声で、「景子は、三日前からずっと眠りっぱなしで、この後、誰も近寄れない場所で療養するらしい。急で申し訳ないが、合評会は中止です。景子が眠る場所は秘密にされている。今日は、このまま各自帰宅してください」
皆、動揺が隠せなかった。二週間前は、元気そうだったのに何があったの? ケースケに聞きたいことがたくさんあるのに、あまりの出来事に、誰もこれ以上質問できなかった。でも、四人ともケースケにとにかく敵意を示していた。ケースケは、景子に関して何かを隠している。それを探ろうとしていたのだ。
この日を境に、仲間たちと疎遠になった。ケースケは、誰にも何も言わず退学していた。その後の話は、まったく聞かなった。明美とシュンスケは、テレから離れていき、二度と話すことは無かった。孤独に戻ったテレは、何とか無事に大学を卒業した。景子のことを探そうとして、日本各地の新聞を読み漁り、ネットで調べた。何一つ情報は無かった。眠り続ける病気について調べみた。ただ、明美とシュンスケは、大学の勉強そっちのけで、景子を探すために探偵を雇ったらしい。警察や景子が住んでいた役所に相談したとも噂で聞いていた。だんだんと、学内で景子のことを話す人はいなくなり、卒業時には誰も覚えていなかった。