第九話 弾丸
視界がぐるぐると回転する。刺す様な痛みを肩に感じる。
上も下もわからないほど転がった。
急な敵襲。覚悟していなかったわけではない。
立ち上がらなければ。
姿の見えない位置から攻撃に、ルナが声を張り上げる。
「シズクちゃん! 隠れて!」
「は、はい!」
辺りには木や岩などの身を隠せる場所はない。
ルナの指示にシズクはアビリティで雪を盛り上げ、手製の遮蔽物を作り出してそこに潜り込んだ。
雪を固めただけの防御壁で弾丸に対しての防御力はほとんどないが、全く何もないよりは体を隠すことができるため、幾分かマシのように思えた。
「早く立ちなさい! 次が来るわよ」
シラスのHPゲージは削り切られてはいなかった。一割ほどを残し、赤く点滅を繰り返している。
「了解、スピード・フォルテ」
立ち上がり、近くにあった木の陰に転がり込む。インベントリからポーションを取り出して、小瓶には入っている赤い液体を飲み干した。
このゲームの中では徐々に体力が回復していくシステムになっており、じんわりとシラスの肩が治っていく。
「どこから撃たれたんだ……」
「上ね。岩陰にいるみたい」
ルナが寄ってきて、山の上を指差した。
木の裏から山の上をみると、一面の白の中に黒い人影がいた。岩陰からキラリと光るスコープの眩い輝きが見えた。
インベントリから拾った鉄の鎧を装備した。
ロングコートとテンガロンハット。西部劇から飛び出てきたかの様な渋い見た目の男。全長一メートルほどの狙撃銃の銃口からは一筋の黒い煙が伸びる。
「一撃とはいかねぇんだな。まぁいいか」
男は狙撃銃のスコープから目を外し、そう呟いた。
銃の右側についているレバーを引くと、空薬莢がキンという甲高い金属音と共にはじき出され、地面に落ち消える。
もう一度スコープを覗き込むと、肩を抑えながら標的の男が木の陰に飛び込んだのが見えた。
「木陰か、正しい判断はできるんだな。女の方は地面を持ち上げるアビリティか……厄介だが……」
「幸運の女神!」
男の手の中に握られた狙撃銃が淡い黄金の光を放つ。彼のアビリティは、クリティカル率を高めるアビリティで、スナイパーなどの攻撃力の高い武器とかなり相性がよかった。
男は静かに呼吸を吸い込み、吐き出す。揺れていたスコープの中の十字がピタリと動きを止めた。
「もう一発来る!」
ルナが叫んだと同時、銃声が再び轟き、弾丸が木に着弾する。木の皮が弾け飛び、鉛の塊は内部にめり込んだ。木がもう少し細ければ、貫通しシラスにとどめをさしていただろう。
「し、シラスさん! こっちへ!」
今にも折れかけそうな木と、強度はないが大きく身を隠しやすい雪の壁。どちらが遮蔽物として優秀なのかは明白だった。
シラスはコクリと頷くと、移動速度を上げ、シズクの横へ滑り込む。
「……ありがとう」
「ど、どうすればいいでしょう……?」
「こっちには遠距離攻撃の手段がほとんどないから、近づきたいんだけど……」
シラスが覗き込むと、スコープが光を反射している。
咄嗟に顔を引っ込めると、雪壁を貫通し、目の前を弾丸が通り抜けた。
身体を隠すことはできるが、やはりこの壁は弾丸を受けきれないようだ。
どうにか状況を打開しようと、シラスはブツブツと作戦を練った。
「……ダッシュで、駆け抜け……いやでもそれじゃあ……やっぱり——」
「し、シラスさん、雪崩ってどう思います?」
雪崩。降り積もった雪は山肌との摩擦力と落下する力が雪粒同士の結合力を結びつけて、その姿を保っている。現実世界であれば、大雪が降って落下しようとする力が増えるか、結合力が弱まった地点から雪が落ちてくる現象。
「起こせるの?」
突拍子もないシズクの提案に、シラスは少し間抜けな声を出した。
「えっと、ゆ、雪の下を水に変えれば……も、もしかしたらと思って……」
彼女の提案は、降り積もった雪の摩擦を無理やり無くして人工的に雪崩を起こそうというものだ。
現実的にはあり得ない事象だった。シラスは少し考え込む。
「や、やっぱりなんでもな——」
「やってみよう! 一番安全そうだし、確率が少しでもあるなら試した方がいい」
「面白そうじゃない? シズクちゃん、さては天才ね」
「え、ええっと、わかりました! や、やってみます」
彼らと狙撃手プレイヤーとの距離、約三百メートル以上。
シズクのアビリティがどこまで届くかわからないが、成功すれば形勢逆転の一手になり得るのだ。
淡い期待を込め、シズクは雪を水に変えるイメージを浮かべる。それが彼女のアビリティの発動条件でもあったからだ。
彼女は雪に手をつく。
「アルケ・クラフ!」
分厚く降り積もった雪の下、地面との境目一センチほど所を水に変換していく。そしてそれを三百メートルほど続けていかなければいけないのだ。かなり集中力を要する作業だ。
シラスの目からは雪の下で何が起こっているのか、全く確認できない。
「も、もう少し」
地面の雪が微弱に躍動しはじめる。
「あいつらぁ、閉じこもっちまったか? 全く顔を出さねえが」
男はテンガロンハットをクイと上げ、敵の動向を伺った。
雪壁を手当たり次第に打ちまくりヒットさせる作戦もあったが、男の手持ちの銃弾は多くなかった。
短い舌打ち。
「一発威嚇で打ってみるか」
スコープを覗き込み、引き金を引く。
細く伸びる煙。
弾丸は雪壁を通り抜けたが、ダメージエフェクトは飛び散らない。
はじき出された薬莢が地面に落ちる。
「あぁ?」男の耳に水の音が届く。「どっから聞こえて——」
男の立っていた地面が揺れ始める。後ろから途轍もない音が聞こえてくる。
男が振り返ると、真っ白な滝のように、雪が崩れ落ちてきていた。
「や、やべえ!」
「ひ、ひぃ」
三度目の銃声が鳴り響く。銃弾はシズクが地面に付いている両手の間に着弾した。
彼女は驚きのあまり、地面から手を離した。
「あ、あっ、離してしまいました」
「大丈夫そうだよ」
シラスが山の上をみると、雪がくずれ始めている。
作戦は功を奏した。雪崩が今にも狙撃銃の男を飲み込もうとしていた。
「し、シラスさん、私達も逃げないと!」
「そ、そうだ!」
雪崩の落下してくる位置にいたシラス達は横方向に移動し、それを回避する。
轟々と音を立て、白い雪の波が下へ下へと押し寄せる。巻き込まれた男は叫び声をあげながら、地面を転がっていく。男はシズクの作った雪壁にぶつかって伸びている。
シラスは走って男に近づく。
「おめぇら面白い作戦をするんだな。まぁ、とどめを刺してくれ」
「……はい。狙撃強かったです」
シラスは剣を振り上げ、男の身体を斬りつけた。赤いガラスが弾け飛び、男は装備を残して消えた。スナイパーライフルと金貨、テンガロンハットも装備らしい。
「か、勝てましたね!」
「シズクさんがいなかったら絶対無理だったよ!」
「そうね! シラスだけだったら一発目の弾丸でやられてたわ」
「それはちょっと言い過ぎじゃない? ほ、ほら弾丸は耐えたし」」
「いや、絶対やられてたわね!」
言い合う二人を横目に、シズクは微笑ましく笑いだした。
「お二人は仲がいいんですね! お付き合いとか——」
「ないない!」「ないない!」
「その感じがもう仲良しさんですね」
慌てたシラスはなんとか話を逸らそうと努める。
「い、いや違うけど。そ、そうだシズクさん、このライフル、持っててよ!」
シラスが狙撃銃を持ち上げようとするが、かなり重たい。両手を添えてやっと普通に持ち上げられるくらいだった。
「そ、そうね。使い方わかる?」
シズクはそれを受け取ると、片手で持ち上げた。
静かに目を丸くするが、ゲームの中ではこれが通常だ。STRのステータスが足りなければ、どれだけ強い武器でも持ち上げるので精一杯になるのだ。逆にSTRさえ足りていれば、重量のあるものでも片手で持ててしまう。
「な、なんとなく、わかりますよ」
シズクがスナイパーライフルの使い方を習っている間、雪崩の音に反応した巨大なゴリラの様なモンスターが遠目から彼らの様子を伺っている。
三メートルほどの体長はそれだけでも目立つのに上に、燃え盛る炎の様な赤い毛皮は雪の中ではかなり浮いていた。
木の幹より太い四肢とゴリラと人間の間の様な顔。
イエティと呼ばれる未確認生物をベースに作られたこの怪物は、慎重な性格なのかあまりシラス達に近づいていくことはせず、岩の陰からこっそりと覗いている。
「え、あ、えっと、あの……」
「どうしたのよ、急に慌てて」
「あ、あそこにな、なんかいるんだけど」
シラスが指を指した先を見たルナは、赤毛で大柄のモンスター”レッドイエティ”を発見するも別に気をかける様子は見せなかった。
「あれが目標のレッドイエティね、倒すとレアアイテムをドロップするの」
「た、たおせばいいんですよね?」
「ちょ、ちょっと、シズクさ——」
シズクはついさっき使い方を覚えたスナイパーを構え、スムーズな手つきで木陰の怪物を狙い、引き金を引いた。
狙撃銃の発射音は、近くで聞くとさらに内臓に響くほど大きかった。弾丸はレッドイエティの肩を打ち抜き、ダメージエフェクトを飛び散らせた。
「好戦的でいいねぇ」
しみじみとそう呟くルナとは対照的に、シラスは慌て始めた。
怪物がその一撃で怒り狂い、毛皮をさらに逆立てた。雄叫びをあげ、四本足で雪を蹴り上げて彼らに向かってきたのだ。
「まずくない? ねぇ?」
毛皮の上からでもわかる、筋肉質な腕や脚はシラスの戦意を削いだ。
「さぁシラス、いきなさい!」
「一撃食らったら死んじゃうよ?」
「あれ? モンスターなら平気って言ってなかったっけ?」
「……そ、そうだけどさ」
「し、シラスさん、きますよ!」
シズクは走り寄ってくるモンスターに向けて、もう一度引き金を引く。
腕に当たった銃弾。よろめきはしたものの、それでも怪物は止まらない。
言葉に形容しがたい、モンスターの唸り声が当たりに響きわたる。
「攻撃しなきゃやられるよ、さ、いけいけー!」
「す、スピード・フォルテ!」
シラスは怪物に向かって走り出す。雪に足が沈み混むよりも早く、次の一歩を踏み出し、怪物との距離がだんだんと近づいていく。
「パワー・フォルテッ! スラッ——」
シラスがアビリティを剣に切り替え、攻撃しようとする。
だが、怪物は大きく跳躍し、シラスのことを無視して、最初に攻撃してきたシズクの方へ突進していく。
「し、シズクさん!」
シラスが叫ぶよりも早く、怪物はシズクの目の前で腕を振りかぶっていた。
猛獣のような叫び声と鈍い打撃音。
吹き飛ぶ小柄なシズク。