第四話 猪突猛進
強面で筋肉隆々の男は、シラスを見下ろしている。彼の健康的な浅黒い肌も相まってかなり迫力のある顔だ。
見た目だけの印象は現実世界でも勿論だが、バトルロワイヤルのプレイヤーとしてもかなりの腕前を持っていそうだ。
「ちょっと、大丈夫? 早く走りすぎなのよ」
ルナがシラスに駆け寄り、手を貸してやる。
シラスは立ち上がり、頭を下げた。
そんなことは気にせず、男は片眉を上げて彼女の顔を見た。苛だたしそうな表情が消え、パッと明るい兄貴分のような穏やかな顔になる。
「お前、リュンヌだな。さっき戦ってただろ! 俺と腕試ししてくんねーか? 戦いたくてウズウズしてんだ!」
「あのー?」シラスは振り返ってルナを見る。「って言われてるけど?」
「面倒くさいし、お断りよ」
ルナはバッサリと拒否し、大柄の男を置いて歩いて行こうとする。
「おい、ちょっと待てや! 戦え! 俺と! 今すぐだ!」
男は拳を握りこみ、戦いを申し込んだ。声色からも本当に戦いたいという気概が伝わってくる。
それを無視し、やはりすたすたとルナは歩いていく。
「ちょっと、落ち着いてよ! ルナ、戦ってあげればいいじゃんか」
シラスは一色即発の雰囲気をどうにか和ませようとする。
「サポーターは戦えない設定だしなー、……あ!」
ルナはその場で立ち止まって、振り返る。
彼女の目線はシラスにバッチリと向けられていた。
「シラスと戦えばいいじゃん! 我ながら名案だわ」
「……へ?」「おう?」
男二人はぽかんとした顔をし、お互いに顔を見合わせる。
体格差もそうだが、溢れ出る獣の様な戦闘意欲。勝てるわけがないと直感がそう言っている。
男は今一度、訝しげにシラスの細い体をじっくりと見た。今から襲う獲物を見定めしているようだった。
「まぁいいか、お前行くぞ!」
「訓練所で対人戦練習もできるから、早く行きましょ」
「…………えっと、本気で言ってます? お二人共?」
唖然としているシラスを置いて、話は先に進んでいく。
「おっと、まだ名乗ってなかったな!」そういって大きなゴツゴツとした大きな手をシラスに突き出す。「俺、ゴウケン。よろしくな!」
「あ、えっと、シラスです。さっきはぶつかってすいませんでした」
男の手を握ると、ぐっと握り込り返してくる。
手加減しているのだろうか、握り潰されるかと思ったが、以外にも握手は柔らかい。
「おう、あんま気にしてねぇから! じゃ、行こうぜ」
ゴウケンもそそくさとルナの後ろを付いていく。
体の前側もかなり強そうだったが、背中もかなりの威圧感を放っていた。
置いていかれたシラスは、前を歩いていくルナに小走りで追いついた。
「ちょっと待ってよ。負けたらマズイんじゃないの?」
そんなはずはない事を知っていた。ほとんどのゲームでは対人訓練にペナルティはない。
ただただシラスは戦わなくてもいい理由を探していたのだ。
「まだバトロワは開始してないし、負けても何もないよ?」
「ぐっ……、でも——」
「大丈夫よ! 負けてもいいんだから。いきなり実戦に入るよりマシでしょ?」
正論だった。それもド直球の正論だ。
化け物の様な相手であれ、戦闘の感覚を掴んでおくのは大事だとシラスも分かってはいた。むしろ練習はしておきたいとは思っていた。
「そ、そうだけどさ。相手があれじゃあ、あんまりだよ」
「彼、格ゲーのトッププロだしね」
「……え、冗談だよね?」
ゲームの中でも、背筋は凍りつくらしい。シラスはゴウケンの方をおどおどと振り返る。
言われてみれば、男の着ているファーのついた革のジャケットの衣装は、格闘ゲームの厳つい強面キャラを彷彿とさせた。
「この間の世界大会もぶっちぎりで優勝だったし、知っているものだと思ってたわ。現実では元々格闘家だし、今回の優勝候補の一人!」
「優勝候補の一人って……」
「お、ここかぁ!」ゴウケンはぐるぐると肩を回し始めた。「早くやろうぜぇ!」
時間とは無慈悲なものらしい。
剣と斧が交差する訓練場の看板が見えてきた。
三メートルほどの塀に囲われた訓練場の入り口から、中に設置された木人形が見えてくる。
シラスは大きくため息をついた。
「着いちゃったのかぁ……」
訓練場の中を覗くと、開けた広場の真ん中には鎧を着たNPCが立っている。彼はここを仕切る為に配置されている。
広場の周りには木人形と武器ラックが設置されていて、色々な攻撃方法を試せる様になっていた。
「少し時間をくれない? シラスに武器とかを触らせたいの」
「俺は早く戦いてぇが……まぁいいぞ」
渋々といった感じでゴウケンは頷いた。
一人で一番近い木人形の元へ、肩のストレッチをしながら歩いていく。
「使えそうな武器を触ってみて。なるべくいろんな作戦を建てれるかもね」
「そ、そっか剣とかあるんだもんね。……あのさ」シラスはあることに気づいた。「これって切られたりしたらものすごく痛いんじゃないの?」
ゲームとはいえ、実際にプレイヤーが体を動かすのだ。痛くない訳が——。
「あがっ!」
シラスは変な声を上げる。
「どうだった? かなり強く蹴ったけど痛い?」
ルナはいきなりシラスの脛にローキックを食らわせたのだ。かなり鈍い音が響いた。
「言われてみればそんなにかも……」
脊椎反射で変な声を出してしまったが、実際はそこまで痛みを感じてはいなかった。
現実ならば痛みで悶え、転げ回っていただろうが、軽めのデコピンを食らった程度の痛みが脛に生まれただけだった。
「でしょ?だから手を抜いて手加減したりとかしないでいいよ? どんとぶつかって、どんと負けてくればいいの!」
「負ける前提……?」
「まぁいいからさ! いろいろ武器を触ってみて」
「……わ、わかった」
シラスはラックからとりあえず剣を取り、木人形を切りつけるとぽこぽこと音がなった。今までプレイしてきたゲームのおかげでイメージもしやすく、取り回しはしやすい。
それから約十分ほど、彼は一通りの武器を触ってみた。
槍、斧、弓矢などのベーシックな物から、ヌンチャクやチャクラムなどのちょっと変わった物まで。多種多様の武器がこのゲームには実装されている。
最後にシラスはブーメランを木人形に投げつけて、首を傾げた。狙っていた木人形とは別の標的にストンと刺さったからだ。
「なにか良さそうな武器はあった?」
「やっぱり剣かなぁ? 一番使いやすいし、合ってる感じはする」
「平民らしい選択ね」ルナはくすくすと笑った。「中距離以上を戦える武器とかはどう? 魔法とかもあるから剣だけだと厳しい場面もあるはずよ」
「銃は怖いし……」
シラスはちらりとルナを見る。
「なによ!」彼女は腕を組み、踏ん反り返る。「誰をイメージして怖いって?」
「ち、違うよ! ただシューティングは苦手だって事だよ!」
「ふーん……まぁいいわ。なら弓をもう一回使ってみて」
ほっと胸を撫で下ろし、シラスは頷いて弓矢を手に持つ。
十五メートルほど離れた所で、矢を番え、ピンと弦を引き絞る。
さっき使った時はあらぬ方向へ飛んだ。今度はうまくやってみせると、シラスは体を強張らせた。キラリと光る鉄の鏃が、ブルブルと揺れている。
「力入りすぎ! 遠距離武器はプレイヤーの心拍数が上がると、命中率が下がるの。なるべく冷静に! 深呼吸よ」
シラスは大きく息を吸い込み、吐き出す。
息を止めると、ブレまくっていた鏃もピタリと動きを止める。
キリキリとしなる弓。
目標に合わせ、矢を放つ。風を切って飛ぶ矢。
ストン。矢は木人形の胸に命中。シラス自身も感嘆の声を漏らした。
「なかなかやるじゃない? あとは動きながら当てれれば実戦でもかなり頼りになる武器よ」
「動きながら……無理じゃない?」
「DEXが高くなれば遠距離武器の取り扱いが楽になるの。だから感覚を掴めたなら上出来よ」
木人形を殴ったり蹴ったりしていたゴウケンがしびれを切らした様に、声を上げる。
「おい、そろそろやんねぇか⁈」
「も、もうかぁ……」
呟いたシラスだったが、武器を触ってみて少し自信が付いていた。
もしかしたら勝てる。かもしれないと。
「訓練官、草原フィールドをお願い!」
「畏まりました。訓練用のフィールドを作ります。少々お待ちください」
ルナに話しかけられたNPCは定型文を述べると、手を前に翳した。
一瞬、広場の地面に、青いマス目状の光が浮かび上がる。
地面が隆起し始め、木や大きな岩がぐっと出来上がる。
「おおーすっげーな! 魔法みてぇだ!」
ゴウケンは準備運動をしながら、ノリノリだった。
地面には円形状に芝生が生えてくる。瞬く間に戦闘用のステージが出来上がった。
無骨な訓練場の真ん中にぽっかりと穏やかな草原が生み出された。
「構築完了です。二人以上がステージに入ると戦闘のカウントダウンが開始されます」
NPCの淡々とした口調が、シラスの緊張を煽った。ゲーム内で汗こそかかないが、掌が湿っているような錯覚さえ覚えた。
「はやくやろうぜ! シラスゥ!」
ゴウケンは大股で草原と訓練場の境目を跨ぐ。
「シラス、君に決めたー!」
ルナはシラスの背中をドンと押す。
「ちょ……ちょっと!」
芝生に足を乗せると、ステージ全体を包み込む様にオレンジのバリアが張られた。
「戦闘のルールをご説明致します。相手のHPを0にすれば勝利となります。負けても訓練所ではペナルティーは一切ありません。武器や防具もステージ上に設置されますので戦闘に役立ててください。それでは戦闘まで、三十、二九……」
NPCがカウントダウンを始める。
ゴウケンとシラスの距離は約三十メートル。
視界の中、左下に彼自身のHPゲージがグーンと伸びていく。そして、対戦相手を見ると、彼の上にも緑色のゲージが出てきた。これをお互いに削り合ってゼロになると負けになる。
「さぁ始まるよ! ぶっ飛ばしてやりなさい、シラス!」
「全力で来い!」
コクリと頷くのみでシラスは返事を返さない。
「十四、十三、十二……」
指をバキバキと鳴らすゴウケン。
心臓がバクバクしている気がしたが、ゲームの中ではそんな感覚はなかった。
そうだ、ゲームの中だ。やっと気持ちの切り替えができた気がした。
とりあえず武器を取ろう。素手と素手ならリーチで負けている。最低でも剣があれば。
「七、六……」
「まどろっこしい!」
カウントダウン終了を待たずに飛び出した。地面を蹴り上げて、猛突進してくるゴウケンはさながら金色の猛牛のようだった。
「え! ちょ、ちょっと!」
何をすればいいのかわからなくなり、ゴウケンを避ける様に時計回りで走り出す。
「ず、ズルじゃないですか?」
「本番にカウントダウンはねぇだろが!」
「うっ……」
確かにそうだった。慌てている場合ではない。本番ではいきなり戦いに入ることも、逆に奇襲を仕掛けることもあるだろう。
バリアの外で見ていたルナも、心なしか満足そうだった。もしかしたら、彼女はゴウケンとの戦いでこの展開を期待していたのだろう。
それでもNPCはカウントダウンを続けている。
「二、一、開始です!」
空中には装備が一斉に生成され、地面にポトリと落ちた。
ゴウケンは武器など目にかけず、シラスへ一直線に突撃していく。
雄叫びと走る音だけが戦闘フィールドに鳴り響く。