第三話 ログ・イン
倒れ込んだリュンヌに今にも振り下ろされそうな大剣の刃は、冷徹に、そして残酷なまでに美しい輝きを放つ。
「これで終わりだ!」
男は慈悲もなく、雄叫びを挙げながら剣を振り下ろす。
刹那、リュンヌは顔を上げ、ニコリと笑う。
彼女は手を伸ばして叫んだ。
「ガンズランズ!」
光の帯がぐるぐると彼女の手に巻きついていく。それができるとほぼ同時、彼女は引き金を引いた。轟々しい音。
地面にそれが当たると二人の体は炎と煙に包まれる。
「ぐああ!」
剣を振り上げた男は、ルナが取り出したものを見てガードに入っていた。それでも爆発の範囲は広く、大剣からはみ出した部分からはダメージエフェクトが飛散する。
煙の中を大きく薙ぎ払う。真っ黒な煙が風に押し出され、前が少し見える。
そこにリュンヌの姿はなく、剣は虚しく空を切り裂いた。
「こっちよ!」
上。空中から声が聞こえてくる。
「ガンズランズ・DSMG!」
ソードマスターがその姿を捉えた時には、彼女の手の中には二丁の短機関銃が握られていた。銃口は静かに男に向けられている。
引き金を引くと、それは弾丸の雨を降らせる。空の薬莢が地面へ落ちていく。
六本の剣と一本の大剣を使い、それを防ごうとする。
弾丸の雨はそれを手数で覆い尽くし、男の体から大量の赤い煌めきを生み出していく。
「ぐっ!」男の足を銃弾が貫き、膝を着く。「早計だった……」
男は剣を地面に突き刺し、それを支えになんとか姿勢を保っている。
顔を上げると、男の前にリュンヌが着地し、銃口を突き付ける。
虚しく乾いた銃声がスピーカーから会場に木霊する。
参加者たちから、二人の闘士たちを褒め称える歓声が湧き上がる。
「ソードマスターさん、リュンヌさん有難う御座いました! 大変見応えのある戦いだったと思います」田上がスクリーンを切り替える。「それでは配信者の皆様に移動していただき、サポーターの補助下にてゲームにログインしていただきます。約一時間後から大会を開始しますので、各々準備をお願い致します」
田上の言葉が切れると、シラス達の入ってきた扉が開かれる。
誘導係が後方の参加者から順に移動を促していく。
「黒崎さんすごかったね!」
「ああ、かなり勇気付けられた! 絶対優勝しようぜシラス!」
「うん、頑張ってみる!」
会話をしている二人の背後に、派手な金髪でピンクの毛先をした女性が近づいていく。見た目はシラス達と同年代くらいに見える。迷彩柄のジャケットがボーイッシュで似合っている。
「会話を聞いちゃったんだけどさ、ルナちゃんの友達なの?」
急に知らない人から話しかけられ、慌てるシラスの代わりにヤイバが返答を返す。
「大学からの付き合いで、同じゲームサークルに入ったって間柄ですね。あなたは?」
「あ、ごめんごめん。私、ミレイ! ルナちゃんと同じFPSチームに所属してたんだ」
「凄いっ。結構ゲーム上手いんですね!」
「まぁね! けど、一人で来ちゃって結構心細くって仲間が欲しかったんだよね! 中であったらさ、パーティー組んでくれる?」
「大歓迎ですよ! あ、俺はヤイバ。こっちがシラスです」
「よろしくね!」
「……よろしくお願いします!」
シラスは少し控えめにお辞儀をした。
それから五分も経たない内に、彼らは誘導係に着いて、エレベーターを上がっていく。
どうやら彼らは全員十四階の部屋に案内されるようだ。
エレベーターが止まる。
機械的なアナウンスが流れ、扉が開くと、四隅に観葉植物が置かれたホールが広がっていた。
エレベーターから出ると、豪華なホテルのような長い廊下が左右に伸びている。床には灰色の絨毯が一面にはられ、壁にはクリーム色の壁紙が貼られていた。
観葉植物が等間隔に置かれ、オレンジっぽいシックな明かりに照らされている。
シラスは左、ヤイバとミレイは右の廊下を進むらしい。
「シラス! 中で会おうぜ!」
「お互い頑張ろう!」
そういうと、振り返って廊下を進む。目的の部屋は突き当たりの部屋らしい。
「ここかな?」
ドアに貼られた紙と入館証の裏を二度確認し、シラスはその部屋の扉をノックする。
トントンと二回叩こうとするが、一回目のノックで扉が開く。
「やっと来たね! シラスくん」
元気な声がシラスの耳に突き刺さる。
「黒崎さん⁉︎ ってことはサポートは……」
「そういうこと! 後私のことはルナで良いって大学から言ってるじゃん!」
シラスは自分に運が向いてきたのをはっきりと感じた。さっきのエキシビジョンマッチを制した彼女が味方についてくれるのだ。これ以上の幸運はないだろう。
「さっ、早く中に入って、GEALをつける!」
「えっ、あー」
シラスはルナに背中を押される形で部屋の中へ入る。
部屋の中は個室のオフィスの様になっている。
大きなモニターとデスクトップPCが乗せられたテーブル。その前には快適そうな椅子が二脚置かれている。
その椅子へドカンと座らされるシラスに、ルナは草壁の使って見せた装置を差し出す。
「右のこめかみね!」
「ちょっと待ってよ、いろいろ聞きたい事とか——」
「それは後! ゲームの中で聞くから!」
言われた通り渋々とこめかみに小さな円形の装置を取り付ける。金属できたそれは、ひんやりとしていた。
ルナがこめかみを二回ポンポンと人差し指を小突くジェスチャーを、シラスも真似してみると、ポーンという機械音が鳴る。
彼女は大学時代から変わらず、慌ただしく考えるより先に行動するなぁなどと思考をしている内に、シラスの意識が徐々に薄らいでいく。
眠りに入るときのような心地よい感覚が、シラスを襲った。
黒い。
周りの世界は暗い。
ただただ暗闇だけが広がっている。
微かに感じる落下する様な感覚。
数秒後、地面に落ちたような感じがした。痛みはほとんどない。
「……い」
何かが微かに耳に届いた。遠くからも近くからも聞こえるような感じがする。
「……えるー?」
聞き覚えのある声だ。
「……ラス、起きろー」
最後ははっきりと聞き取れた。ルナの声だ。
黒っぽい世界に少し赤みが帯びる。
目を閉じているのだと気付くのに数秒かかった。
シラスが目を開けると、陽の光が眩しく照らしている。
視界をぐるりと動かすと、ルナが立っているのが見えた。
「お、起きたね。あんまり無理して動かなくてもいいよ」
寝起きの様なぼんやりとした思考でも、彼女の言葉がわかった。
「なんか……すっごくぼんやりするんだけど。ここはどこなの?」
「もうゲームの中だよ。さっき私が戦っていた都市ロルフガルドね」
明るいさに慣れてきて、周囲の景色がはっきりとわかるようになった。
レンガ敷の街道。西洋風の建築物が立ち並ぶ街並みに、活気付く人々の往来。
行き交う人々はNPCなのだろう。道の真ん中に寝転がっているシラスには目も留めずに各々の方向に進んでいく。
「そっか、もうゲームの中なんだね」シラスは体を動かそうとする。「……っ、体が重い」
「初めてゲームに入ったんだし、それは当たり前よ。初めてコントローラーを握ったみたいなものだし」
シラスはそう言われて納得し頷いた。
従来のゲーム機でいうコントローラーが、このゲームの中では自分の脳波らしい。自分の体なのに、思った感じで動かせないというもどかしさを感じる。
同時にルナがなぜあれほどゲームに入ることを急かしたのかという理由も理解できた。きっと今頃、他のプレイヤー達もこの慣れないコントローラー操作に手こずっているだろう。
シラスはなんとか上体を起こし、街道に座り込む。
「そういえば、服も変わってる。ファンタジーっぽくていいね」
シラスは自分の服装が、白いシャツとベージュのパンツといういかにも、ファンタジー世界の平民っぽい物になっているのが気付いた。
「それね、人気配信者だともっとかっこよくなったりするんだけど……。まぁシラスは鎧とかの方が好きでしょ?」
「あー! 遠回しに不人気配信者って言ったな!」
「そ、そういうわけじゃないよ!」ルナはおどけた感じでシラスの言葉を流す。「さ、立てる?」
「あ、うん。やってみる」
正直、まだ四肢の感覚は薄かった。それでもシラスは力を脚に込め、膝を立てて立ち上がる。
「ちょ……脚がプルプルする」
脚にうまく力が伝わっておらず、なんとも言えぬ浮遊感を感じる。
「生まれたての子鹿ね」ルナは滑稽なシラスを見て、ふふと笑う。「すぐ慣れるはずよ。慣れちゃえば結構自由自在に動けるからさ」
そう言って歩き出すルナに、遅れまいとシラスは後ろをついていく。踏み出した一歩が重たい。
それでもゆっくりと体が馴染む感覚を掴んでいく。
ルナは道すがら、このゲームの大まかなストーリーを解説し始めた。
「……それでね病に伏した英雄のギルフォード王は、天涯孤独だったの。だから、次期王に相応しい者を決めるための戦いが、バトル・オブ・ギルフォードね。豪傑から一般市民まで、腕と頭脳に自信のある人々を集めたバトルロワイヤル。それがこのゲームの大まかなストーリーよ」
シラスはそう言ったバックストーリー的なのが大の好物だったし、バトルロワイヤルにのめり込んで参加できるような気がした。
「なるほどね、優勝できたら平民出身の英雄みたいでかっこいいね」
「できたら……じゃなくてするのよぉ? 私が付いてるんだし、余裕……でしょ?」
「えっと、それはー……」
モジモジとするシラス。
見かねたルナは、微笑んで言葉を続けた。
「冗談よ! まぁ勝って欲しいのはほんとだけどさ」
「そ、そうだよね。行けるとこまでは頑張るよ!」
シラスは大きく深呼吸をしてみる。空気は入ってくるが、なんとなく感覚が違う。
ゲームの中だからと理解する。
数分歩くと、前方に大きく開けた場所が見えてくる。
「噴水広場が見えてきた、あそこで少し休憩しましょう」
シラスは頷き、真っ白な陶器製の噴水がある広場まで歩いていく。
この広場は街の中心地の様で、八方向に街道が伸びていた。活気もありNPCも多い中に、ちらほらと別のサポーターと配信者のコンビが歩いていくのが見える。
二人は木製のベンチに腰をかける。
「慣れてきた?」
「うん、それとなくって感じかな」シラスは腕を軽く回し、感覚を確かめる。「それにしても、くろさ……ルナがサポーターでよかったよ。初対面だと緊張しちゃうし」
「う、急に何よ! 照れるじゃんか」
「でも、一瞬怖かったけどね! 一緒にゲームしても初心者狩りムーブしてきたり、なにか聞いても『おしえなーい!』の一点張りだったりしたし」
そう言うとシラスは、穏やかに笑う。
ルナは自分の過去を蒸し返されて、少し恥ずかしい様だ。
「負けたくなかったんだもん! ……で、でも今回は協力関係だし、ね?」
「ただの負けず嫌いだったもんね」
「い、いいじゃん過去は忘れてよぉ! あ、そうだ。アビリティ見た方がいいよ」
「そうだった。……えっと」
戸惑っているシラスに、ルナはこめかみを人差し指で一度叩いて見せた。
真似をしてこめかみを叩いてみると、シラスの目の前に青っぽいメニューウィンドウが現れる。それぞれの機能を表すアイコンがずらりと並んでいる。
「おお! えっと……これ、かな?」
目の前に現れたウィンドウを指で触ってみると、まるでそこにボードがあるかの様な感触が指を伝う。
シラスはメニューからステータスと書かれた兵士の横顔のアイコンを押してみる。
表示が切り替わり、シラスのゲーム内での姿とステータスが表示される。
STR、VIT、DEX、AGI、INT、そしてLCK。六つのステータスを数字が表している。
それらを眺め、感嘆の声を漏らすシラス。
「おー、LCK以外はどれも平均的、ツイてない男って遠回しに言われてる感じがする……」
「ステータスはモンスターから入手できるアイテムで上げれるから平気平気! 重要なのはアビリティね」
「そっか……」
シラスは平然を装っているも、内心はすごく期待していた。
ソードマスターのアビリティは、ファンタジーゲーム好きのシラスにとって、かなり格好良く映っていた。ルナには悪いが、彼みたいな特殊能力を使って戦場を駆け抜ける自身の姿を想像し、胸を踊らせていた。
もしかしたらと淡い期待を込め、次のページをめくるために、ウィンドウに指を滑らせた。
そんな期待は簡単に裏切られる。
画面に表示されたアビリティ名。装備を強化せし者。
装備に付与されたステータスを二倍にできるというものだった。
「えっとこれは……。強いの?」
「どれどれ!」ルナはウィンドウを覗き込む。「うーん、強化系ね。シラスは装備とか漁るの好きでしょ? 使いこなせそうじゃん」
シラスは正直、少し落胆した。確かに装備のステータスを見たり、組み合わせたりなどは好きだ。しかし、彼の頭が思い描いていた、ド派手なアビリティとはかなりかけ離れた地味な能力。きっと他のプレイヤーは今ごろカッコいいアビリティを見て感動しているのだろうと思うとなんだか落ち込んだ。
ここまで来ると逆に肩の荷が降りて、リラックスできるまであった。
「なんというか……」
「言いたいことは分かる! けど、アビリティが地味なほど活躍した時はカッコいいんじゃない?」
ルナはシラスの表情で、彼の考えをなんとなく察したのだろう。
「とにかく! 使ってもいないのに強弱は判断できないよ、訓練所へレッツゴーだ!」
「……そうだね」
「マップも使っておくといいよ、いざという時に使える様にね」
シラスはステータス画面の代わりにマップを開く。
ロルフガルド全体の地図が開き、訓練所がマップの東南にあることを確認する。
「さ、走るよ! ダッシュ!」
そう言うとルナは立ち上がって急に走り出す。無邪気な子供の様な笑顔でシラスの方を振り返る。急かしているのだ。
「え、あーちょっと!」
シラスは慌てて、メニューを閉じて走り出す。
まだ足取りは多少おぼつかないが、走れないこともなかった。
街を行き交うNPC達は、ぶつからないように自ら避けるようにプログラミングされているらしい。「どこ見て歩いてんだ」とか「前見て歩けよ」とかのゲーマーなら聞き慣れた定型文を発するのみだった。
「遅いぞー!」
後ろを度々振り返っては、シラスを煽るルナ。
シラスがいくら回転を早めようとも、二十メートルほど離れた両者の距離は縮まらない。
きっとステータスによって、走る速度が決まっているのかもしれない。
「スピード・フォルテ」
足に履いた如何にも、初級装備のブーツ。そのステータスを強くイメージし、呟いた。
アビリティを早速使ってみたのだ。
革のブーツが赤色の淡いオーラを発する。脚の回転が早まり、ぐんぐんと両者の距離が詰まっていく。
ルナが煽ろうと、振り返る。その横を風の様に駆け抜けたシラス。
「やるじゃん!」
「今度はルナが遅——」
何かにぶつかり、シラスはそのまま跳ね返る様に、地面に転がった。
「いったた……っ」顔をあげる。「あっ……えっ」
シラスがぶつかったのは、大柄な男だった。
「ああ?」
野太い声を出したその男は、倒れこむシラスを覗き込む。眉間のよった男の顔がシラスに近づけられた。
ツンツンとした金髪。身長は二メートル近く、鬼をも思わせる筋肉隆々な体つき。
本当に同じ人間、同じゲーマーなのだろうかと、シラスはその男に恐怖し震え上がった。見かけただけならば、どれほど良かっただろう。
「あ、あ、ご、ごめんなさい!」
震えた声で謝罪をするシラスは、まるで肉食獣に睨まれる小動物の様だった。