走れタヌキ
タヌキは激怒した。
必ず、かの邪智暴虐のおじいさんを除かなければならぬと決意した。
タヌキには、妹がいた。
その妹が、この度、村の若ダヌキと婚約するにあたり、花嫁衣装やら宴会の準備やらを行うために、人里近くの森へと向かったのだった。
人里近くの森で買い物を済ませ、ふと辺りを見渡すと、どうも森の動物達に活気がない事に気がついた。
「一体どうしたというのだ、言え!」
タヌキが近くを通るシカに声をかけると、シカは答えた。
「森の近くに住むおじいさんは、動物を殺します」
「なぜ殺すのだ」
「動物たちには人の心が分からない、悪い心を持っていると、おじいさんは思い込んでいるのです」
「呆れたおじいさんだ、生かしてはおけぬ」
タヌキは、単純な男であった。
その足でおじいさんの家へと向かい、途中にあった美味しそうな芋畑で芋を食べていたところ、トリモチの罠に掛かって、おじいさんに捕まってしまったのだ。
「愚かなタヌキめ、まんまと罠にかかりおって」
「罪のない動物達を殺すおじいさんよ、私を解き放ち、大人しく調伏されるのだ!」
「調伏だか分福だか知らぬが、流石は人の心を持たぬ畜生よ。
罪のない動物うんぬんは兎も角、お前は私の芋畑を荒らしたのだ。
罪を償うため、大人しくタヌキ汁になるが良い」
「もとより命を捨てるつもりで此処へ来たのだ。
生き長らえようなどとは考えていない。
ただ……」
タヌキは天井に吊るされたまま、言葉を続けた。
「私の妹の結婚式が、2日後に予定されているのだ。
もしも情けをかけてくれるというのなら、どうか3日後の日没まで、私を自由にしてほしい」
「罠に掛かったタヌキを逃がして、帰ってくると言うのか」
「必ず、3日後の日没までに、帰ってくるとも!
お願いだ、妹が、私の帰りを待っているのだ」
タヌキはあたりを見渡して、人の良さそうなおばあさんを見つけた。
「そこまで信じられないのであれば、よろしい。
そこにいるおばあさんを、人質としてここに置いて行こう。
私が逃げてしまって、三日目の日没まで、ここに帰って来なかったら、彼女を絞め殺して下さい。
頼む、そうして下さい」
完全に赤の他人であるおばあさんは「えっ」という顔をした。
「なんと、とんでもない戯れ言を言うものだ。
臍で茶釜が沸くわ」
おじいさんはそんな言葉を喋りながらも、冷酷に微笑んだ。
この嘘つきのタヌキ風情め。
しかし、此奴に騙された振りをして、放してやるのも面白い。
そうして身代りのおばあさんを、三日目に殺してやるのも気味がいい。
畜生はこれだから信じられぬと、わしは悲しい顔をして、おばあさんを処刑してやるのだ。
どうせ此奴はわざとらしく遅刻してやって来る。
そんな畜生におばあさんの煮込みを食わせて『ババア汁は美味いか?』なんて聞いた時のタヌキの顔を想像すると、非常に愉快極まる。
「良いだろう、おばあさんを身代りにしてやる。
三日目の日没までに戻って来い。
遅れたら、おばあさんを、殺してやる。
ちょっと遅れて来るがいい。
お前の罪は、永遠に許してやろう」
タヌキは悔しく思ったが、返答はせず、3日後に帰ってくると改めて心に誓い、走り出したのだった。
♪~ 走れよ タヌキ 力の限り 命を懸けて ~♪(タヌキが走っている最中の謎のBGM)
無事に故郷に帰ったタヌキは、妹とその夫にこれまでのことを話さずに、ただ静かに、祝福するのだった。
こうして、狸(妹)の嫁入りは、盛大に行われた。
途中で、妹の花嫁衣裳にタヌキが思わず号泣したり。
結婚式では飲み過ぎたタヌキの下ネタで会場がドン引きしたり。
最後の花嫁からの手紙で、やっぱりタヌキが号泣したりと、いろいろハプニングはあったものの。
最終的には、満月の下、鳴り響く狸囃子とともに、結婚式はつづがなく大団円を迎えたのであった。
そして運命の3日目、タヌキは妹たちに最後の挨拶をすると、「旅に出る」と嘘をついて、おじいさんの元へ走り出したのであった。
♪~ 走れよ タヌキ 力の限り 命を懸けて ~♪(タヌキが走っている最中の謎のBGM)
「待て」
タヌキが走っていると、突然、何者かが声をかけてきた。
「何だ。
私は陽の沈まぬうちにおじいさんの元へ行かなければならぬ」
タヌキが振り返るとそこには。
……ウサギが1匹、立っていた。
「持ち物を置いて行け」
「私には命の他には何も無い。
その、たった一つの命も、これからおじいさんにくれてやりにいくのだ」
ウサギは、ニヤリと嗤うと、言葉を続けた。
「その、命が欲しいのだ」
「さては、おじいさんの命令だな」
タヌキはウサギに向きなおり、戦闘態勢を取ったが、ウサギはそれ以上に俊敏であった。
たちまちタヌキの背後に回り込むと、背中に柴を背負わせ、火打石でカチカチし始める。
「なな、なんだその火打石は!」
「ここはカチカチ山だから、カチカチ鳥が鳴いているのさ」
ウサギは訳の分からないことを言っていると、火打石から落ちた火種が、あっという間にタヌキの背負った柴に燃え広がった。
「ぐわああああ!」
次にウサギは燃え尽きた柴を払いのけると、焼け爛れたタヌキの背中に辛子味噌を塗っていった。
「ぐわああああ!」
更にウサギは手際よくタヌキを泥船に乗せ湖へと流すと、泥船はたちまち溶け出しタヌキはブクブクと溺れ始めた。
「ぐわああああ!」
最後にウサギは別の船でタヌキの傍へ向かうと、櫂でタヌキを40回滅多打ちにした。
「ぐわああああ!」
こうしてウサギはタヌキの死を確信し、湖から離れていくのであった。
「……ぐっ……!」
……しかし、タヌキは生きていた!
命からがらなんとか岸辺にたどり着いたものの、もはや欠片も体力は残っていなかった。
申し訳ないおばあさんよ、私はこんなにも頑張ったのだ。
ウサギにボコボコにされながらも、何とかここまでたどり着いたのだ。
しかしもはやこれ以上指の一本も動かぬ。
許してくれおばあさん。
よくよく考えたら、おばあさんなど、赤の他人なのだ。
死んでしまっても、私は一向に構わない。
自分の命の方が、大事なのだ。
ここでゆっくり体力を回復させて、遅れておじいさんの元へ行こう。
すべてはおじいさんの言った通りになったわけだ。
きっとおじいさんは、おばあさんの煮込みを準備していて、『ババア汁は美味いか?』なんて私に聞いてくるのだろう。
悔しいが、なんということはない。
私の尊厳が傷つくだけだ。
そうだ、尊厳なんて、どうでもいいではないか。
そんなもの、タヌキにでも食わせてしまえ!
タヌキはそんなことを考えていると、背中に付けられていた辛子味噌の一部が、自分の手についていることに気が付いた。
少し舐めてみると、甘さと塩気の中に存在する、ゆったりとした辛さが、タヌキの全身を包んだ。
……手が動いた。
足が動いた。
まだ動ける、まだ走れるのだ!
タヌキは立ち上がり。
そして。
……また、走り出したのだった!
そうだ、先ほどの考えは、自身の悪魔が作り出した甘言だったのだ。
現に私はこうして、走り出しているではないか!
さあ走ろう、急ごう。
赤の他人でありながら私の身代わりとなってくれているおばあさんを助けに。
……私は、死にに行くのだ!
♪~ 走れよ タヌキ 力の限り 命を懸けて ~♪(タヌキが走っている最中の謎のBGM)
日没も間近、おじいさんの家の周りには、動物たちが集まっていた。
タヌキが動物たちの間を走り抜けると、彼らのうわさ話がタヌキの耳へと届いてくるのであった。
「おばあさんは、タヌキを信じていたようだな」
「刑場に引き出されても、平気でいましたものね」
「おじいさんが、さんざんおばあさんをからかっても『タヌキは来ます』とだけ答え、強い信念を持ち続けている様子だったぜ」
タヌキはなりふり構わず走った。
ボロボロになりながら、無二の赤の他人である、おばあさんを助けるために!
♪~ 走れよ タヌキ 力の限り 命を懸けて ~♪(タヌキが走っている最中の謎のBGM)
「待て、待つのだ!
その処刑、待ってくれ!
殺されるのは、この私だ!
タヌキが、帰ってきた!
タヌキが、帰ってきたぞ!」
タヌキは大急ぎで、鍋で煮られる直前のおばあさんの元に走り寄ってきた。
「なんと、馬鹿な、そんなことが」
おじいさんは、信じられないものを見たような顔をした。
人の心を持たない、邪悪な生き物だと思っていた動物が、まさか戻ってくるとは。
鍋の上で吊るされていたおばあさんを助け出しながら、タヌキは言った。
「おばあさん、私を殴れ。
私は、途中で一度、悪い夢を見た。
君がもし私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格すら無い」
おばあさんは全てを理解したかのように、タヌキの頬を殴った。
そしてその後、おばあさんはタヌキに言葉をかけた。
「タヌキ、私を殴れ。
私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。
君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない」
タヌキも同じくおばあさんを殴り、その後2人はひしと抱き合うのであった。
おじいさんは、そんな2人の元へ向かうと、涙を流しながら言葉をかけた。
「どうやら私が、間違っていたようだ。
どうか私も、動物たちの仲間に、入れてくれないか」
どっと動物たちの間に、歓声が起った。
「万歳、おじいさん万歳!」
動物たちによる万雷の拍手の中、一匹の小鳥が、タヌキの前に進み出て、黄色の前掛けを渡してきた。
「君は、誰だ」
「私は、カチカチ鳥と言います」
「実在したのか」
タヌキは、まごついた。
おばあさんは、気をきかせて教えてやった。
「タヌキ、君は、素っ裸じゃないか。
早くその前掛けをつけるがいい。
この可愛い小鳥さんは、タヌキの裸体を皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ」
勇者は、ひどく赤面した。
因みにその後、タヌキは犯罪を犯したことには間違いなかったため。
約束通り、罰として、美味しく煮込まれて、鍋の具材となった。
すっかり改心したおじいさんは、おばあさんだけでなく村の動物たちにもタヌキ鍋を分け与えた。
皆は一緒に笑いながら、タヌキ鍋に腹鼓……もとい、舌鼓を、打つのであった。
暴君、暴君。
今では変わっているんでしょうか。
NiOさんが子供の頃のカチカチ山は、普通に子供向けの絵本だったにも関わらず、可愛らしい絵柄のタヌキがお爺さんに『ババア汁は美味いか?』とか言っていまして(ガチで)、普通にトラウマ案件でした。
さて。
いろいろな美しい童話を書いています。
ゴブリン売りの少女
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お時間ありましたら、是非。