1、人じゃない父親
「よし。三郎!海に行こうか!」
朝陽に優しく光る親父の笑顔は、いつも以上に柔らかい優しさで、鬱陶しくもあった。
母さんと自分、24時間365日人生四六時中ずっと明るい謎の親父と車で2時間の海に行く。
なぜ、こんな朝早くに?
今はまだ早朝も早朝の朝5時。
子供の時からずっと親父の事はよくわからない。予測不可能な人だという事。
わかっているのは自分よりも遥かに頭が良いという事くらいだ。
親父の突拍子もない振る舞いには、いつも何かしらの視野が有り、言動にはいつも根拠があった。
三郎は生まれた時、非常に頭の大きい子として産まれた。感染症によくかかる子ではあったものの、1歳になる頃には、喃語をすっ飛ばし、日常会話が出来るほどになるまでに頭が良かった。
高校生になっても三郎は自分の頭の良さをテストや会話、日常生活において一切、見せつける事はなかった。
というか、雑多なものに興味を示さない子だった。
世の中にある機械の構造原理から、為替などの変動波の計算式に至るまで、三郎にはおよそ、わからない事の方が少なかった。
見たらだいたいの構造や理屈を理解できた。
そんな三郎にとっては世の中はただのつまらない世界でしかなかった。
「この世は不可解。」と言って他界した天才文学者がいたらしいが彼は何も天才ではないじゃないか。
と三郎は思う。
世の中の森羅万象全てはもう、ほとんど解明されつつある。
この世の中は科学も数学も哲学も実につまらない。
解明しつくされている。
もう全てクリアされたフィクションゲームのように空虚で仕方なかった。
ただ、そんな三郎でも、父親にだけは不思議な刺激を感じるのである。
いつも日常の中でも、ワクワクする会話を親父は提供してくれる唯一の存在だった。
ある日の何気ない会話。
父「三郎!クイズだ!
この幾何の問題、正解がわかるか?」
【以下の図形に正方形は何個あるか?
描かれている四角の図形全て正方形とする。】
手渡された紙には問いの文章と、正方形が8個組み合わさった図形が描かれていた。
三郎「・・・答えはメビウス(無限)だ。」
父「素晴らしい!さすが三郎!
この問題はお前が毎日使っている携帯電話を開発した会社の
入社問題だが、問題の答えが、いまいち脆弱なので、お父さんがもっと面白い問題に作りかえた。
お父さんの"幾何"という誘導に引っかからずによくぞ物理学の答えとして答えたな!」
(この問題は物理学的な視点で答えを出すのがセンスがいい答えだ。
概念的にはフラクタルとも言うが線を面として考えれば、垂直に交わる全ての交差点は正方形である。
もっと言えば、究極の2次元というのはこの世界には存在しない。
線や面でさえ、必ず厚みが存在する。
その厚みも一定であるのなら立方体の根拠も成り立つのである。
すなわち、おおよそ無限に近い数の正方形を観測可能なため、問題の意図から
答えが矛盾しているのでメビウス(無限)というのが答えなのだ。)
三郎「・・でも、さらに面白い答えがあるんでしょ?」
父「アハっ。ん〜この先の答えを言うとお父さん宇宙人に連れていかれちゃうから
ダメさー。レプテリアン達は、そこら中にいるのは三郎も知っているだろ?」
三郎「・・・」
レプテリアンというのは、宇宙人の種類の事で、本当かどうかはわからないが
世界中の至る所で人間生活を共存している爬虫類に似た宇宙人らしい。
一般の親子の日常会話では絶対に登場しないであろう胡散臭い変な話だ。
でも親父が言うのならそんな与太話も真実なのかもしれない。
そんなあやしい親父が、家族全員で海に行こうと言い出したのだ。こんな朝早くに。
また、何か重要な意味があるのかもしれない。
いやはや、母さんはなんで、こんな人を好きになったのか。笑
親父の好きな落語が車内にボソボソとBGMとして響きわたる中で
この状況を1番よく理解しているのは母さんだった。
目が赤く腫れぼったく、いつもは鋭いくらい正確でシャープなアイラインが
少しズレていた。
普段、化粧をする母親ではなかったはずなのに早朝の海に行くのに化粧をしている
母さんのアイラインのズレが何かの違和感を三郎に感じさせた。
親父は僕達が寒がっているのを気にもせず車窓全開で鼻歌を熱唱していた。
母さんの表情の深刻さと、親父の軽快さが場の雰囲気にミスマッチすぎて、その様を見ていると
車酔いに似た嫌悪感を抑えられず、三郎も車の外の風景に窓から顔を出す事にした。
なぜか、「2人ともどうしたの?」と三郎は聞けなかった。
何本も存在意味を全く感じさせない、木々達が、ただの図形のように視界をオドループした。
「よっーし!着いたぞ!」
そこは三郎の記憶では来たことの無い海だった。
いや、正確には、この場所の近くの海に来た事はあったが、この場所は初めてだった。
母さんもそうなのだろうか?
とチラッと母さんを見た。
泣いている?
あらら?親父はこれから死ぬのかな?
それとも、僕が死ぬのかな?
いやに冷静に最悪の状況を考えられるもんだと、自分の道徳心なるものを疑った。
まあ、母さんは母さんだから。
あまり感情を隠せるタイプじゃないからなあ。
バタンと親父が車の扉を機嫌良く閉めた。
「とりあえず外寒いし、母さんは車の中にいたら?」
「・・・うん、ありがと。そうする。」
グシュ。
こういうシーンお決まりの音をたてた母さんは三郎の優しさにお礼を言った。
青森の海にこんな綺麗な海を見られる場所が存在したとは。
また、知らない事を1つ父親から教えてもらった事に少しワクワクした。
海の色は日本特有の濃い青。
しかし、イソギンチャクやら
よくわからない貝やら、ピンク色の変色した岩の上に親父と僕はドカドカ新帝国を
征服する渡来人のように乗り込んだ。
透明度の高い海は朝陽にキラキラしていて完璧な美を表現しきっていた。
ここの神秘性は無神論者の僕にでさえ、南の島々の神のいる海のようにしか感じなかった。
1キロ程先に見える岩の群まで舟溝がずっと続いている場所まで到着した。
「三郎。この場所はな、300年程前に、お父さんがある秘密の場所の位置を忘れないように海底に溝を掘った場所なんだ。
途中から砂になるから、途中からは岩石達を溝に見立てて、ある秘密の場所まで迷わないように配置した。
この岩石達はヴィヴララニウム鋼という金属を父さんが加工して今まで封印してきから
この場所を一般人が知るのは世界中で三郎、お前だけだ。
じゃあ行こうか?
海に入るから靴と上着、携帯電話は置いて行こう。」
・・・300年前?今、さらっと300年前って言ったか?笑
江戸時代じゃないか!笑
前々から話す事や、情報量とその情報の質から判断して父はかなり頭が良い部類の記憶力を持つ人なんじゃないかと思っていたが、そもそも人間じゃなかったのか?
おいおい、ちょっと待て。
これで親父が人では無かったと証明されてしまった。笑
突っ込む要素があまりにありすぎる。
とりあえず最も聞かなきゃいけない事を三郎は聞いた。
「とりあえず、父さんが言う事だから300年前とかいう訳のわからない話を信頼も信用もしてる。
海にこれから入る話も了解したよ。
ただ、この父さんが作ったとかいう海底の溝?
かなり先まであるみたいだけど、泳いだ先の海から戻ってこられるの?
沖の潮流は離岸流とかも含めたら僕の泳ぎのスピードでは陸まで泳いで戻って来れないと思うけど?」
海の潮流や離岸流を舐めたら即、命に関わる。
水泳がスポーツの中で1番得意な三郎でも、それは水の上での話だ。
海中のように波や潮の影響のある水中内での人間の泳ぎなど
たかが知れている事を毎年の海水浴場水難件数を見れば容易に予測がつくことだ。
泳ぎに自信がある人ほど水難事故に合うのだ。
「三郎は話が早くて助かる!
まあ、お父さん、もうちょっとで居なくなるんだ。
あまり時間が無い。すまない。だから、ただ信じて欲しい。
この溝が続く海の中では呼吸ができるから安心しろ。
地上の空気内の酸素よりも高濃度酸素が溶け込んでいるから海中でも十分息が出来る!」
おいおい、ほんとかよ!笑
さすがに信じられない話だ。
この人なら実の息子でも事故死させかねないからなぁ。
まぁいいや。
生きていても親父の提供してくれる刺激の無い世界など死と大差ないんだし。
「わかった。何があるのか知らないけど僕の唯一の興味は父さんの世界観だし、行くよ。」
「ありがとう。色々と察してくれるのが嬉しくもあり、悲しくもある。笑
お前は父さんの誇りだ!300年生きてきて、数多くの友人達と過ごしてきたが
家族を作って子供ができたのは初めてだった。
お母さん、それに三郎。
沢山の沢山を本当にありがとう。」
「うん。」
「さぁ、もう、時間が無いんだ。
・・・行こうか?」
いつ取り出したのかわからないが父親の差し出す水中ゴーグルを
つけた三郎は父親の後にしたがって父親の飛び込んだ海の場所と
全く同じ海面をめがけて飛び込んだ。
ドプンという音とともに一瞬で冷たさが全身を走る。
この一瞬の冷たさで心臓麻痺を引き起こすのでは?
と思えるくらいの身体内部に突き刺さるような冷たさだ。
ここで、心臓発作を起こして僕が死んでしまえば、父親の今までの300年という
膨大な人生の集大成を無に帰す結末となってしまう。
それはそれで親父の反応どんなだろ?笑
想像して少し面白くなった三郎は鈍い悲しさと鋭い冷たさの両方を忘れて、夢中で手足を動かして泳ぎ進んだ。
父親のバタ足。
泡が出ては消え、出ては消え。
親父のバタ足だけが時間をお感じさせる海中内でなんだかその水泡は氷の結晶のようにも見えた。
確かに数キロ先ほどまで、この舟溝に似せて作られた父作?の海溝は続いていた。
何故なのかは全くわからなかったが溝の中と、その周辺だけは
やたらと、サンゴや魚達、海藻やイソギンチャクが密集しており
海がユラユラ蜃気楼のように、海溝にそった道中だけ揺れて見えた。
高濃度酸素が溶けているというのは嘘ではないみたいだ。
蒸気?のような無数の気泡と熱泉?
至る所で気泡が発生しており、父親の言っていた通り、息をする必要が無く、苦しくもなかった。
波の音に合わせてリズム良く海を掻く父のバタ足の音が聴こえる。
なんだか落ち着く。
もう少し時間が経てば、本当に父さんと別れる事になるなど、実感の湧かないまま泳ぎ続けた。
海中を深く深く潜っていく泳ぎはやはり結構しんどい。
視界の先に何か得体の知れないものが海底に見えてきた。
それは海底30メートル下といったところか、父作?の溝が途切れた数十メートル先に
直径10メートルほどの穴が開いている。
海底に突如あらわれた穴。
奥底は暗い。
スキューバダイビングのプロでも決して、この穴には潜らないだろう。
普通に見ているだけで吸い込まれそうで不気味極まりない。
既にここは海底30メートルほど下なのだ。
水圧で、耳の鼓膜と頭が痛くてたまらない。
30メートルもの海底は、ほぼ闇だ。ぼんやりとしか周りが見えないのに、その穴はまだ、底に続くというのか?
穴の中は暗いというより黒に近い。
常に不安が押し寄せてくる尋常ではない感覚だ。
まあ、当然の予想の如く、父はコッチにイタズラな笑顔と頷きを見せたかと思うと、とん。と
その暗闇の穴に静かに潜っていった。
はあ…。
こんなシーンは今に始まった事ではない。
昔、ある南米の先住民族の祭りに強制的に参加させられた時も燃え盛る焚き火の中を素足で歩かされた経験がある。
緊張感で比べるなら、こんなのは、まだまだ壮絶な思い出達に比べればましな方だ。
三郎はもとより、この世界に期待をしちゃいない。
自分の将来や命さえ、父親と過ごすスリリングな時間に比べれば自分の命さえ軽く感じる。
父親が経験させる刺激的な経験にこそ、三郎の生きる刺激そのものなのだ。
3秒ほど、躊躇したが三郎も、父と同じく、とん。と海底を蹴り、その深い穴に潜っていった。
闇だ。
完全なる闇だ。
上も下も横も斜めも
全くわからない。
自分の進んでいる方向が左右上下どっちなのかもわからない。
むしろ、進んでいるのかどうかさえ感覚的にわからない。
方向感覚が全く効かない。
真っ暗な出口の見えないトンネルを進んでいる気分だ。
三郎はとりあえず、かすかに見える父親の揺れる白いバタ足と、泡を頼りに
穴の壁を手で辿りながら、わからなくならないように壁を下に手で這うようにして潜っていった。
闇の先へ。