王女の誓い
会場へ入った瞬間、皆の視線が一斉に集まった。
(っ、この視線は、エルヴィスの隣にいるのが私……、つまり、エマ様を差し置いて私が彼の婚約者の立ち位置にいることへの好奇や驚き、ということかしら)
壇上へ立っていた先ほどとはまた違う緊張感に襲われながらも、淑女の仮面を被り何とか堪えていると、彼はエスコートされた手の指をそっと絡ませ、私に囁いた。
「大丈夫、皆が君を見ているのはあまりにも君が美しいからだよ」
「!? そ、それはないと思うわ」
「いや、少なくとも男達の不躾な視線はそうだよ。
僕としては今すぐ君を誰の目にも触れないところへ隠してしまいたいところだけど……、まあそうもいかないしね」
「そ、それは流石に」
そんなことをこそこそと話していると。
「おい、どういうことだ!」
「!?」
突然大声で……、しかも関わりたくもない聞き馴染みのある声が私達の耳に届いた。
そのあまりの大声に、周りがシンと静まり返る。
(よ、予想はしていたけど最悪ね)
そう、その大声の主は他でもない元婚約者のブライアン殿下だった。
私ははぁっとため息を吐きながらも、淑女の礼を取ろうとしたが、エルヴィスはそんな私を制すると黒い笑みを浮かべて口を開いた。
「何だ、ブライアン。
こんなめでたい祝いの場で、どうして一人でそんなに怒っているんだ」
「惚けるな! お前の隣にいるその女は何だ。
まさか、まだ婚約者だと抜かすつもりじゃないだろうな?」
「何を言っているのか分からないな。
私の婚約者は前から彼女だと言っているんだが……、何か問題でも?」
そう言って、彼は私の肩を抱き寄せる。
すると、ブライアン殿下は顔を真っ赤にして怒り出した。
「どういう真似だ!
お前の婚約者はこの女ではなく、隣国の姫であるエマ・ヴィトリー殿下だと、正式に国同士で決まっているはずだ!」
ブライアン殿下の言葉に、静まり返っていた会場が一気にざわついた。
エルヴィスはそれを一瞥し、ブライアン殿下に向かって口を開く。
「証拠は何処にある」
そんな彼の厳しい口調に、ブライアン殿下はほくそ笑み胸ポケットから四つ折りにされた紙を取り出した。
(っ、まさか)
エルヴィスの顔を見れば、彼もまた眉間に皺を寄せていた。
ブライアン殿下はその紙を開くと、高らかに言った。
「証拠なら此処にある!
勿論、この国の王妃であるベアトリス殿下の署名も記されている」
ブライアン殿下がそう言って、皆に見せつけるかのようにその紙を掲げるのを見て、エルヴィスはうんざりしたような表情を浮かべため息を吐いた。
「……本当、君が此処まで愚かだとは恐れ入ったよ。
それがもし本物の婚約状だとすれば、それを四つ折りにしてまで持ってくることなんてしないし、その上公の場で見せつけるような物ではないはずだ。
要するにそれは、レプリカではないか」
「!? そんなわけがないだろう!!
これは紛れもなく本物の婚約状だ!
その証拠に、署名だって直筆で」
「あら、これは一体何の騒ぎ?」
喚くブライアン殿下を一喝する凛とした声に、私は思わずその名を口にする。
「エマ様」
彼女は私達をまるで庇うかのように立つと、ブライアン殿下に向かって静かに口を開いた。
「ブライアン殿下、貴方はどうしてそう事を荒立てようとするの?
この場にいる皆様が驚いていらっしゃるじゃない」
「それはこちらの台詞だ。
どうして正式な婚約者である君を差し置いてあの女がエルヴィスにエスコートされているんだ」
そう言って私を見たブライアン殿下に対し、エマ様の目がキッと鋭くなった。
「私の大事なお友達を、あの女呼ばわりなんかしないで」
「「!」」
その強い口調に、私もブライアン殿下も驚き大きく目を見開いた。
エマ様は私をまるで庇うかのように前に立つと、静かに口を開いた。
「ブライアン殿下、貴方は何か勘違いをしているようだからはっきり言わせてもらうわ。
私は、エルヴィス殿下の婚約者だということを受諾した覚えはない。
故に、私は彼の正式な婚約者ではないわ」
「「「!?」」」
(どういうこと? 確かに国同士で決まった話だったのでは)
私の疑問に対し、エマ様はチラリと私達を見てからまたブライアン殿下に向き直ると、言葉を続けた。
「確かに、一時期私を婚約者にという話は上がって、ついこの前も貴国の王妃殿下からそのお話を受けたわ。
だけど、私もヴィトリー王国の国王陛下も、それに対して返事はしていない。
要するに、“保留”という形で留め置いているはずよ」
その言葉に、ブライアン殿下は自身が持っていた婚約状(?)を見て、「で、では」と大きく狼狽えながら口にした。
「この婚約状は何だというのだ!」
「さあ? 私も知らないわ。
まあ、先程のエルヴィス殿下のお言葉をお借りして、“レプリカ”……、なのではないかしらね。
私、その紙自体を見たことがないもの」
そうニコリと笑みを浮かべて言うエマ様に対し、ブライアン殿下は顔面蒼白になる。
(エマ様が言っていることが本当なら、エルヴィスはエマ様の婚約者ではなくて、ブライアン殿下が持っている婚約状も偽物で……)
色々なことを一気に言われて頭が追いついていない私だが、エマ様は「でも不思議ね」と扇子を取り出し、口元を隠し言葉を続けた。
「私が此処に来た時から勝手に私をエルヴィス殿下の婚約者だと決めつけてくる方々がいらっしゃったのだけど……、婚約の話については、貴国の王妃殿下とヴィトリー国の王家の一部のみしか知らないはずなのに、一体どなたがその話を外部に漏らしたのかしらね?」
「……っ」
その言葉に、ブライアン殿下が息を飲んだのが耳に届いた。
そんなブライアン殿下を一瞥してから、エマ様は私に向き直り笑うと、口を開いた。
「それで、私がこの学園へ赴いた理由としては、自分が持ちかけられた婚約相手がどういう方なのか、自分の目で確かめてみようと思ったのが一番の理由よ。
そうしていざ来てみたら、何とその方には既に自他共に認める婚約者がいたというわけ」
エマ様はそう言うと、口元を扇子で隠したまま言葉を続けた。
「これには本当に驚いてしまったわ。 婚約話を持ちかけられたはずなのに、まさか既にその方にはお相手がいるなんて思わないでしょう?
だから、どんな方なのか純粋に気になって、私は近付いたの。
……貴女にね」
「!」
その目は真っ直ぐと私に向けられていて。
(っ、エマ様は、何を考えていらっしゃるの?)
その凛とした瞳から目を離せずにいると、エマ様はそのまま言葉を続けた。
「一国の王子の婚約者というのは、皆も知っての通り次期国王陛下の隣に立つ王妃殿下になるということ。
その地位に立つのには、陛下は勿論王妃にも分相応の教養が求められる。
私も一国の王女として、それを弁えているつもりでいるわ。
だから私は、勝手ながら此処で貴方方を見極めさせてもらったの」
その言葉に、エルヴィスはすっと前に出て口を開いた。
「それで、君から見た私達は、どんな風に映ったんだ?」
その言葉に、エマ様は「そうね」と言葉を切った後、笑みを浮かべて口にした。
「面白かったわ。
第一王子も第二王子も、個性も言動も正反対なまでに違っていて。
……だけど、私が最も気になったのは同じ同性として、先程も言った通り“次期王妃殿下”の存在にもなる可能性のある婚約者がどんな方々かということ」
「……!」
その言葉に、私もブライアン殿下の後ろにいたマリエットさんもビクッと肩を震わせた。
エマ様は、そこまで言ってふっと瞳を閉じると、真っ直ぐと私を見て言った。
「その件も考慮した上で、この場をお借りして告げさせて頂くわ。
私は、これからはミシェル様が婚約者でいらっしゃる第一王子……、エルヴィス殿下を支持することに致します」
「なっ……!?」
その言葉に、会場中が今日一番のどよめきに包まれる。
この場にいた誰もが皆、その言葉に驚き戸惑いの表情を浮かべた。
それに対して真っ先に口を開いたのはブライアン殿下だった。
「そ、そんな発言が許されるとでも思っているのか! 他国の後継者問題に、口を挟むなど言語道断だろう!!」
「その発言そのものが貴方の価値を下げているのよ、ブライアン殿下。
……良いこと? 私は確かに隣国のヴィトリーの王女であり、貴方方の問題に口を挟むことは出来ない。
だけどね、隣国として、この国キャンベル王国の未来について私達にも見守るという義務がある。
それと、私が此処にいる理由は、何も私個人の問題ではない。
私が此処でこの発言をしたということは、紛れもなくヴィトリー国の国王陛下のご意志そのものといっても過言ではないわ。 此処に私がいるということを、他でもない国王陛下が承諾なさったのだから」
「……っ」
ブライアン殿下は、そこで悔しそうに拳を振るわせた。
それを一瞥し、エルヴィス殿下は「では、」と静かに口を開いた。
「エマ殿下の仰るように、ヴィトリー王国は次期国王に私を支持して下さると」
その言葉に、エマ様は扇子を下ろし、「えぇ」と大きく頷き言葉を続けた。
「私達ヴィトリー王国は、キャンベル王国次期国王陛下にエルヴィス・キャンベル第一王子殿下を。
そして、その隣に相応しいのは、現婚約者であらせられるミシェル・リヴィングストン様を。
このお二人を、ヴィトリー国の代表として、エマ・ヴィトリーが支持することを此処に誓いますわ」
そう言って、彼女は私達に向けて淑女の礼をした。
(エマ様はもしかして、此処まで考えていらっしゃったというの……!?)
エマ様は皆がいる公の場で、エルヴィスと私を支持すると誓って下さった。
そしてそれは、ヴィトリー国のご意志でもあると。
ということは、今まで第一王子派でも第二王子派でもない中立派を取っていた隣国・ヴィトリー王国は、エルヴィス率いる第一王子派に属したということだ。
(エマ様……)
エマ様は今度は私を見てニコリと笑って言った。
「私がこの決断を下したのは、貴女の活躍があったからこそよ、ミシェル」
「……!」
そう言うと、彼女は私の前まで歩み寄って来て、ギュッと手を握って言った。
「私は、貴女とお友達になれて本当に嬉しかったし、貴女の今日までの生徒会としての活躍ぶりを見て、貴女こそがこの国の未来の次期王妃に相応しいと考えたのよ。
だから、もし何かあったら頼りないかもしれないけれど私に言って。
いつだって、隣国の王女として、そして友人として。
貴女の味方であることも此処に誓うわ」
「……! ありがとうございます、エマ様」
エマ様はその言葉に、大きく頷き柔らかな笑みを返してくれたのだった。




