偽りの願い
選挙を三日後に控えた私達生徒会の仕事もいよいよ佳境を迎え、今日の最終確認を終えれば後は当日の仕事を残すのみとなる。
いつものように放課後、生徒会室に集まった三年メンバーは、皆で同時に歓声を上げた。
「「「終わった……!!」」」
私とレティーは笑顔で手を叩き、レイモンドはホッとしたような表情を浮かべ、シリルは安堵から息を吐いた。
そしてしみじみと、当日の原稿を見てレティーは口にした。
「これで本当に、私達の仕事は終わりなのね」
「そうね……」
私も同じように手元にある原稿に目を落とし、そっとその紙を撫でた。
(この学園に入学して半年後に生徒会に入ったから、それから丸二年。
月日はあっという間だというけれど本当に色々なことがあったわ)
元婚約者に命じられて入った生徒会で、沢山の方々と出会い、仕事を共にして。
大変で辛くて、でもその分やり甲斐があって。
三年生になって婚約者から外れて、すぐに第一王子……、エルヴィスがもう一度、私の背中を押してくれたから、今の私は此処にある。
「……皆」
その呼びかけに此方を向いたレティー、レイモンド、シリルを順に見回し、笑みを浮かべて口を開いた。
「ありがとう、そしてお疲れ様。
このメンバーで一緒に仕事が出来て良かった。
不甲斐ない会長だったかもしれないけれど、此処までついて来てくれて本当にありがとう。
後は残りの半年間の学園生活を、悔いの残らないように過ごしましょうね」
「……! 会長……」
「っ、わーん! ミシェル、最後の最後でそういうことを言わないでよぉぉぉ!!」
「!? あ、あらら」
レティーは私に抱きつくと、肩を震わせ泣き出してしまう。
その肩を見ていたら私もツンと目頭が熱くなるが、グッと堪えてポンポンとその背中を撫でた。
レイモンドも少し目に涙を浮かべ頷いてくれ、シリルは「此方こそありがとうございました」と頭を下げてくれた。
そんな姿を見て、私は改めて思う。
(本当に、一言では言い表せないほど沢山のことがあったけれど……、生徒会がこのメンバーで、本当に良かった)
それから、今この場にはいないけれどエリク君にルイ君、そして忘れてはいけないのがエルヴィス。
(彼とはまともにお話ししたのが三年生からだというのが未だに信じられないくらい、沢山お世話になった)
後で改めて彼に感謝を伝えなければ。
そんなことを考えていると、レイモンドがそうだ、と口を開いた。
「生徒会選挙の日には、“生徒会パーティー”が開かれるよね! 楽しみだなあ」
「あ、そうだったわ! すっかり忘れていた……!」
レイモンドの嬉しそうな声に反し、レティーは「何も準備していない!」と慌てたように言った。
そう言うも私も、準備に追われていたせいかすっかり頭から抜けていた。
(そうだわ、生徒会選挙の後は毎年、労いを込めて学園側が用意してくれた一夜限りのパーティーがあるんだわ)
そう、“生徒会パーティー”とは毎年、生徒会を勤めた生徒達に感謝の意を表し、代替わりとなる新生徒会のメンバーにバトンタッチをするという、生徒会選挙後の夜に行われるパーティーのことだ。
このパーティーだけは生徒会が主催ではなく、学園が主催する全校生徒のみのパーティーで、大々的なイベントよりは小規模だが、唯一生徒会の仕事がない行事として生徒会メンバーも大いに盛り上がる。
「とは言っても、選挙が終わらないと羽目を外せないからすっかり忘れていたわ。
いつもは生徒会の先輩方とバトンタッチの意味を込めて制服を着ていたけれど、私達はもう送られる側だからドレスでも良いのよね。 何も決めていないわ……」
レティーの言葉に私も「そうなのよね」と同意しようとすれば、レイモンドがすかさず口を開いた。
「あ、それなら母上がレティーの分のドレスは決めたから安心しなさいって言ってたよ。 生徒会の仕事で忙しいだろうから勝手に決めさせてもらうって」
「まあ、お母様が!? お母様の見立てなら安心だわ!」
レティーはそう言って手を叩く。
レイモンドはそれに対して「僕も決めてもらっちゃった」と笑って返した。
(私は、どうしようかしら)
ドレスを仕立てるのは今からでは間に合わない。
家にあるドレスを着るのも良いのだろうけれど……、でも。
(……今回は、まだエスコート役が決まっていないから)
そう、まだ私は誰からも当日のエスコートを申し込まれていない。
だからパーティーの存在をすっかり忘れていたというのはある。
それに、今年度に入ってからのイベントの際には早めにエルヴィスから誘われていたから。 気が付けばそれが当たり前になっていた。
(でも、今回のエルヴィスがエスコートするお相手はきっと……)
「……ミシェル?」
ハッとして顔を上げれば、二人が心配そうに私の顔を覗き込んでいて。
私は慌てて「考え事をしていたわ」と笑えば、二人は何かを察したようにすぐに話の話題を変えてくれた。
(……明日にでも、エルヴィスに会いに行ってみようかしら)
いつまでも逃げるわけには行かないわよね、と自分に言い聞かせながら、二人の会話に耳を傾けたのだった。
その機会は予想以上に突然やって来た。
「ミシェル」
生徒会室の扉を開けた先に、エルヴィスがいたのだ。
「え、エルヴィス!? ずっと此処で待っていたの!?」
「? そうだよ」
廊下は冷えるのに、と彼の手をそっと取れば、確かに冷たくなっていて。
一生懸命温めようと両手で手を握っていると、後ろから声をかけられた。
「あらあら、私達完全にお邪魔のようだから失礼するわね!」
「か、会長お疲れ様です……」
「殿下、顔が赤いですよ」
「「!?」」
(っ、わ、私ったら皆の前で何しているの……!!)
慌ててパッと飛び退き、「ごめんね」と謝れば、彼は頬を赤らめ「いや」と口にした後、ボソッと呟いた。
「嬉しいよ、ミシェル。 ありがとう」
「〜〜〜い、いいえ」
そう返すのが精一杯で。 私は頬に手をやってからエルヴィスに早口で尋ねた。
「そ、そういえば、どうして此処に?
もうすぐ最終下校の時間だけれど……」
「待っていたんだ、ミシェルの仕事が終わるのを。
今日で全部終わるはずだから労ってあげてってレティー嬢から」
「!? レティーから?」
「そう、それで邪魔しては悪いからと此処で待っていたんだ」
「そ、そのためにわざわざ、寒い中待ってくれていたということ……?」
辿り着いた答えに、エルヴィスは「うん」と笑って頷いた。
それがどうしようもなく嬉しくて、愛おしく思えて。
(どうしよう、嬉しい……)
心の底から幸せを噛み締める私に、エルヴィスが口を開きかけたその時。
「あら、二人とも此処で何をしているの?」
「「!?」」
ハッとして振り返れば、そこには手を振り笑みを浮かべるエマ様の姿があって。
私は淑女の礼をし、エルヴィスは「何でも」と腕を組んで不機嫌そうに口にするのに対し、エマ様も怒ったように口を開いた。
「何よその態度は。 私から“話がある”と言っても休み時間も放課後も忙しいからと断ってくるくせに、ミシェルのこととなると一目散に駆けつけるの、私は知っているのよ」
「え……」
エマ様の言葉に驚き彼に目を向ければ、エルヴィスは挑発的に言った。
「そうだよ、僕は君と話をする暇はない。 だって、ミシェルと話すので忙しいから」
「っ!」
グッと肩を抱かれ、縮まった距離にドクンと心臓が高鳴るが、エマ様の前だと言うことを思い出し慌てて距離を取る。
「だ、駄目よ。 エマ様がお話をされたいと仰っているのに何度も断るのは」
「……ミシェルが、そう言うのなら分かったよ。
で? エマが僕に話って何?」
あからさまに私と話す時と態度を変えるエルヴィスに少し嬉しく思ってしまう反面、冷や汗を描く私に対し、エマ様は口を開いた。
「隣国の王女にその態度は如何なものかと思うわ、エルヴィス。
それに、私は貴方の“婚約者”だということを忘れていないかしら?」
「「!」」
その言葉に私もエルヴィスも固まる。 エマ様は言葉を続けた。
「三日後、選挙後にパーティーがあるのよね?
エルヴィス、貴方にエスコート役をお願いするわ」
私の心臓は嫌な音を立てる。
そして、体から血の気が引いた、その時。
「それは断る」
「えっ……!?」
不意にエルヴィスに手を取られた。
先程まで冷たかったはずのその手は温かく、ぐっと痛いくらいに私の手を握った。 まるで、話さないと言わんばかりに。
これにはエマ様も驚き目を見開くのに対し、エルヴィスは言葉を発した。
「僕の隣は、誰に何と言われようとミシェル以外に考えられない」
「っ」
「エルヴィス、貴方何を言っているのか分かっているの?」
気が付けば、エマ様の目には怒りが滲んでいて。 エルヴィスは、それに対して「あぁ」と同じように怒りの色を滲ませていた。
(……駄目よ)
私のせいで、エルヴィスとエマ様が。
正式な婚約者として、国同士が交わしたいわゆる“政略結婚”。 このままでは、二人の仲だけではなく、国の未来に関わることになってしまう。
(それがたった一回のエスコートで、国の未来が関わってしまうのだとしたら私は)
ぐっと握られていない方の手で服の裾を握りしめ、口を開いた。
「っ、そ、そのことなんだけれど」
「ミシェル……?」
不意に言葉を発した私に対し、驚いたように二人が私に目を向ける。
(大丈夫、私は……)
そう震える心に言い聞かせ、悟られないよう完璧な微笑みを浮かべる。
そして、驚くエルヴィスに対し口を開いた。
「当日のエスコートは、今回は相手がいなくても良いことになったの」
「え?」
「私は生徒会長として、最後まで白制服で過ごすことにしたのよ」
「……!」
(そう、これは万が一を思って考えていたこと)
生徒会パーティーには先程も言ったように、次期生徒会への引き継ぎの意味が込められており、前生徒会役員も壇上に上がる。
その時の服装は決められておらず、去年の生徒会長や数名の生徒会役員は、白制服で壇上に上がる方もいたのだ。
そうすることによって、自然にエスコートをしてもらわずとも済むことにも繋がると考えた私は……。
「これが最後の役目だから、職務を全うすることにしたの。
……だから、私のことは気にしないで、エマ様のエスコートをしてあげて」
「!? ミシェル、何を」
「お願い」
そう言ってじっと彼を見つめれば、エルヴィスはぐっと唇を噛み締め、「君がそう言うのなら」と頷いた。
私も頷きを返すと、「お先に失礼致します」と言って逃げるようにその場を後にした。
馬車の中、私はエルヴィスの別れ際の表情を思い出していた。
(自分で言ったことなのに)
「どうして……」
ポタ、と瞳から溢れでた涙が雫となって白制服にシミを作る。
まるで締め付けられるような心の痛みと比例するかのように、涙は止まることを知らないのだった。




