婚約者の証
私が帰宅すれば、待っていたのはお母様だった。
「ミシェル! 大丈夫? あの馬……、失礼、元婚約者殿下には何もされていない?」
私に会った開口一番がそれで。
思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「お母様、大丈夫よ。
……エルヴィス殿下が、守って下さったから」
「! ……そう! エルヴィス殿下が!」
何故だか嬉しそうに、私と同じ金色の瞳をキラキラさせるお母様に向かって口を開く。
「そういえば……、お母様、私が彼の婚約者として学園へ通う話、どうして話して下さらなかったの?」
その言葉に、お母様は一瞬固まり……、小首を傾げてにこやかに笑った。
「“その方が面白い”と、エルヴィス殿下のお考えで」
「〜〜〜又彼の方の仕業ね……!」
(態と面白がって家族にまで仕込んだのねあの人!
絶対に明日、文句の一つくらい言わせてもらうわ!)
特に、家族まで彼の手の上で転がされているような気がするもの……!
そんなことを考え出した私に対し、お母様は突然吹き出した。
「え、お母様どうなさったの?」
「ふふっ、いえ何でもないわ」
言ったら怒られてしまいそうだし、とお母様は悪戯っぽく笑って口にした。
「とりあえず、部屋に入ってお茶をしましょうか。
今日はもう学校に行かなくて良いのでしょう?」
「え、えぇ……」
(本当は……、ホームルームがあったのだけれど)
エルヴィス殿下に言われたのだ。
“今日はとりあえず調子が悪くて早退ということにしておくから、明日落ち着いてからおいで”
そう言うと、私を馬車まで送り、彼はまた皆の元へ行ってしまった。
(あの後……、どうなったかしら)
エルヴィス殿下、私の所為で怒られたり何かしていたりしなきゃ良いけど……。
(明日から私、どうなってしまうのかしら)
私は無意識に、ポケットに入れた、彼から渡された婚約者の証……、ピンバッジにそっと触れる。
「? ミシェル、中へ入らないの?」
お母様の呼びかけに、私は慌ててポケットから手を出すと、お母様の元へと急いだのだった。
「……はぁ」
「? お嬢様、お加減でも優れませんか?」
私が溜息をついたことで、そう尋ねてきた私の侍女・メイに向かって口を開く。
「いいえ、そうではないわ。
ただ、色々と疲れただけ……」
私は制服から着替え息を吐くと、彼女が「あら?」とその制服をかけてくれながら口を開いた。
「お嬢様? これは婚約者の証のピンバッジですよね。 まだ捨てていらっしゃらなかったのですか?」
「っ!」
私は慌てて彼女の手からそのピンバッジを取って言う。
「ち、違うの! 以前のは捨てたけど、これは、その」
「……あぁ! 成る程、そういうことですね」
「……何故ニヤニヤしているの」
彼女は私を見て笑いながら口にした。
「いえいえ、お嬢様が随分乙女な顔をされているなと思って」
「〜〜〜!? なっ……」
馬鹿にしているの!?
と私が怒れば、メイはより一層クスクスと笑いながら言った。
「そうではなくて。
私、嬉しいんです。 あんな馬……いえ、正直な話、私は第二王子殿下のことが嫌いでした」
「? そうなの?」
「ここだけの話ですけどっ……、自分のことは棚に上げ、お嬢様に対しては完璧を求め、挙げ句の果てにはお嬢様を蔑ろにしてっ!」
「め、メイ落ち着いて」
怒りをぶちまける彼女に対し、私は慌てて制すれば、彼女は「も、申し訳御座いません」と謝りながら、下を向いて言った。
「私……、こんなことを言うのは良くないかもしれませんが、ブライアン殿下にお嬢様を取られたくないと思っておりました」
「え……」
「あ、変な意味ではございませんよ!? そういう意味ではなくて、ただ、お嬢様がブライアン殿下といる時……、婚約者同士、という感じはしなくて。
幸せそうには、とても見えなかったんです」
「……!」
メイの言葉に、私はハッとする。
(確かに……、メイの言う通り、私は彼といる時、彼の顔色ばかり窺っていた。
彼にまた何か言われるんじゃないか、次は何を命令されるんだろうって)
それが、当たり前だと思っていたから。
淑女訓練の中で、基本黙っていうことを聞くのが淑女の嗜みだと教わっていたから。
何の疑いもなく、彼の言葉に黙って従って、辛くても辛いと口にせず、我慢することだけを意識していた。
「だから私、お嬢様があんな王子と結婚しなくて心から良かったと思っております。 ありもしない罪をなすりつけられて、言う台詞ではありませんが。
私達が誇りに思っているお嬢様にはもっと……、素敵で、相応しい男性がいらっしゃると思うので」
「!」
彼女はそう言って、ふわりと笑みを浮かべた。
「だから私、お嬢様にお似合いなのはエルヴィス殿下だと思うのです!」
「……はい?」
「だって! 素敵じゃないですか!
お嬢様のことを一途に愛されているのが、此方にまで伝わってきて……、きゃー! もうご飯三杯は軽くいけますー!」
「は、はい!? え、えーっと?」
(途中までの良い話は、一体何処へ行ってしまったのかしら!?)
何処からどう突っ込めば良いか分からず困っていれば、彼女はそんな私を見てふふっと笑いながら、私の手を握った。
その行動に驚けば、彼女は茶色の瞳を私に向け、微笑みながら言った。
「お嬢様。 私共は……、お嬢様の味方です。
例えこの国中の方々を敵に回したとしても、私はお嬢様に一生ついて行きます。
それだけは、覚えておいて下さいませ」
「! ……メイ」
彼女は照れ臭そうに笑うと、「そ、その代わり!」と言葉を付け足した。
「私に是非、エルヴィス殿下とのお話を聞かせて下さいね!
あ、ちなみにそのピンバッジのことも是非とも聞かせて下さい〜!!」
「!? あ、貴女は本当に……」
彼女の忙しい表情を見て、私は思わず、クスリと笑みを溢して言う。
「面白い」
大好きよ。
そう口にすれば、彼女は何故か顔を真っ赤にさせ……、「お嬢様のレア顔……萌え過ぎるぅぅぅ!!」と良く分からないことを口にし悶えているので……、その隙にこのピンバッジは隠しておきましょう。
―――……君の気持ちが少しでも、僕に向いてくれたら。
不意に、そう言った彼の言葉を思い出す。
私はそれを思い出し……、自然と笑みを浮かべていた。
(その日は遠くない、そんな気がするわ)
私は彼から貰ったピンバッジをそっと、誰にも見られない場所へしまったのだった。




