事件
朝。
準備期間中、登校時間より一時間以上早く学校へ登校してきている私は、いつも通り門を潜り、馬車から降り立つ。
メイに“行ってきます”と告げ、校舎の中へ入った私の目に飛び込んできた、昨日とは違うその光景に愕然とする。
(な、にこれ……)
つい昨日、壁から剥がれていないか確認したはずの選挙ポスターはビリビリに破かれ、所々その断片が廊下に無惨に散らばっている。
しかも、見渡せる範囲では全てのポスターがその状態で。
思わず力が抜けてその場に座り込んでしまう。
(どういうこと……、この一晩で一体何が)
その時、後ろからポンと肩を叩かれた。
ハッとして見上げれば、そこにはエルヴィスの姿があって。
「エル、ヴィス……」
エルヴィスは「どうしたの? こんな所に座り込んで」と笑みを浮かべたが、様子がおかしい私を見て視線を廊下に映し……、ハッとしたように目を見開いた。
「っ、これは……」
エルヴィスも一瞬言葉を失ったが、思い立ったように立ち上がり口を開いた。
「ミシェル、生徒会室へ行ってみよう。
此処がこの状態だったら、もしかしたら生徒会室も」
「!」
エルヴィスが最後まで口にする前に、私は鞄をそのままに廊下を走り出す。
生徒会長として廊下を走るのは言語道断だけれど、今はそんなことを言っている場合では無い。
そうして辿り着いた生徒会室をバンと開け放てば。
「……ミ、シェル」
「! レティー、レイモンド」
そこには青褪めた顔のレティーとレイモンドの姿があって。
そしてその室内は、昨日とは明らかに様子の違う光景が広がっている。
「此処も……」
机の隅にまとめておいたはずの資料は机の上から雪崩のようになって床に落ち、棚に積み上げてあった段ボール箱は横向きになっているせいで中身が出てしまっている。
私が呆然とそう呟けば、レティーは涙を溢して訴えた。
「っ、わ、私達が来た時にはこうなっていたの……っ」
「し、信じて……」
レティーとレイモンドの尋常で無い様子に、私自身も震える体を叱咤して言う。
「大丈夫、貴方達を疑ったりするわけがない。 取り敢えず、落ち着いて。
……今は犯人探しをするより、生徒の皆にいらぬ心配をかけないようにする必要がある。
二人とも、協力してくれる?」
「「勿論」」
彼等はぐっと拳を握りしめて頷くと、私も頷きを返して指示をする。
「レティーとレイモンドは取り敢えずこの部屋の片付けをお願い。
……考えたくはないけれど、大事な資料や生徒会選挙で必要な資料が無くなっていないかの確認も。
私は廊下の片付けをしてくる!」
「分かった!」
(生徒が来るまで後一時間……、一人では片付け終わる作業じゃない。 取り敢えず生徒が登下校時に使う廊下から片付けよう)
そう思った私が廊下を走れば、向かいから「ミシェル!」と淡い金の髪を揺らしてエルヴィスが駆け寄ってきた。
「取り敢えず、生徒の目につく場所にあるポスターは片付けた」
「あ、ありがとうエルヴィス」
(……本当に、エルヴィスにはいつも助けられるわ)
彼がいることがどれだけ心強いか。
改めて感謝していると、エルヴィスは「後もう一つ」と声を顰めて口にした。
「庭にある噴水の中にも大量に紙が投げ込まれていた」
「!!」
「ニールがいたから確認したら、君が作った選挙当日のプログラムだと言っていた」
「そんな……」
(プログラムは生徒の人数分ホッチキス留めをして生徒会室に保管しておいたはず。
それを持ち出されたということ……?)
「そちらは今ニールが回収してくれているから、僕達は廊下のポスターを回収しよう」
「っ、ありがとう、エルヴィス」
エルヴィスはその言葉に微笑んでくれたのだった。
その後はただ黙々と、ポスターを剥がす作業に徹した。
エルヴィスも手伝ってくれたおかげで半分以上を剥がすことが出来た。
後もう少し、そう思っていた私達の耳に声が届く。
「ミシェル会長、僕達も手伝います」
「!? る、ルイ君!? それにエリク君も!
どうして此処に……」
私の驚きに二人は手を動かしながら口を開く。
「僕達も選挙の準備で早めに登校したんですけど、来てみたらこの状況で」
「誰の仕業か分かりませんが、悪質ですよね」
エリク君、そしてルイ君はそう言って唇を噛み締める。
(次期生徒会役員候補の二人……、落ち着いている風を装っているけれど、内心はこんなことがあったら怖いと思うに決まっているわ)
「……ごめんなさい、二人とも。
私が不甲斐ないばかりに」
「! 何を言っているんですか、会長!」
「そうですよ、ミシェル会長が謝るようなことではありません」
そう言ってくれる二人に私は黙って首を横に振りながら、作業の手を止めずに考える。
誰が何のためにやったことなのか分からない。
私達に向けられたものか、それとも候補者を恨んでの行動か。
どちらにせよ、やり方があまりにも残酷で許されざるものであることは確か。
そう考えている私の脳裏に、ふと以前の嫌がらせを思い出す。
(そういえば以前にもこういったことがあった)
そう、忘れもしないローズ学園パーティーの準備中に起きた、生徒に配る薔薇の本数の数を間違えた件。
まるでレイモンドに罪をなすりつけるようにして起きたあの事件も、結局犯人が見つかっていない。
(もしかして、あの事件と犯人は同一人物……)
「会長〜! 此処は全て外せましたー!」
「僕達はこれから床に散らばった紙片の片付けを行うので、先輩方は他の場所をお願いします」
ルイ君の指示に、エルヴィスが「任せた」と頷くと、私の手を引いて駆け出す。
そして、エルヴィスは彼等の姿が見えない位置で不意に立ち止まると、私の方を振り返りポケットから何かを取り出した。
「ただでさえ混乱しているから見せるのを迷っていたんだけど……、これ」
「……! これは……」
エルヴィスが折り畳んで胸ポケットに入れていた一枚のポスター。
そこには、エリク君の似顔絵と……。
「“生徒会選挙を中止しろ”……」
赤字のペンキのようなもので走り書きされたその言葉に、私もエルヴィスも思わず言葉を失う。
何とか頭を回転させて私は口を開いた。
「どうして……、去年はこんなことは起きなかったのに」
「分からない。 けれど、彼も言っていたがそんなことのためだけに悪戯という言葉では済まないようなことをするなんて。
……ミシェルが、生徒会皆がどれだけの仕事をしてこの学園生活が守られているか、知りもしないで……っ」
「……エルヴィス」
私は彼の頬に手を伸ばし、そっとその頬を撫でる。
安心させるように笑みを浮かべて見せると、「大丈夫」と口にした。
「貴方がそう言ってくれるだけで、私はとても救われているのよ。
……以前は何が起きても、一人で対処しなければならないと思っていたのだから」
生徒会長になって、生徒会をまとめることがどれだけ大変かを知った。
自分一人が幾ら万全の準備を整えていても、予想外なことは幾らだって起こる。
だからいつも気を張っていなければならなかった。
「だけど、今は違う。
私は気が付かない内に、多くの人に支えられているんだということに気が付いたの。
それを教えてくれたのは他でもない貴方なのよ、エルヴィス」
「! 僕が……?」
「えぇ。 ……まだ話したいことは沢山あるけれど、時間がないから私にも充電させてね」
「ミシェ……っ!」
私はほんの少し、彼の制服のタイを引っ張る。
そして背伸びをして、近付いた彼の唇にそっと自分の唇を重ねた。
一瞬の出来事に、エルヴィスはアイスブルーの瞳を大きく見開く。
私はニッと笑って「充電完了!」と大きな声で言うと、踵を返したのだった。




