侯爵令嬢の気遣い
その後も時間が許す限りエマ様の案内を続けたものの、学園が広いために全てを周ることは不可能で。
「エマ様、案内しきれず申し訳ございません」
「良いのよ、全然! それよりもミシェル様もお忙しいのにごめんなさいね、我儘を言って」
「そんな、お役に立てて光栄です」
首を振ってそう答えれば、彼女はふふっと上品に笑って言った。
「残りの場所は自分で散策してみるわ。
貴女の説明が分かりやすかったから、ある程度の場所は把握出来たし」
「それは良かったです」
私は「それと、」とあらかじめ用意してきていたものをポケットから出し、エマ様に差し出した。
「? これは」
「学園内の地図です。 手書きなので分かりにくいところもあるかと思いますが……」
「まあ! 私昨日案内を頼んだばかりよね?
まさか、昨日の内に作って下さったの?」
「は、はい。 簡易ではありますが……」
エルヴィスが帰ってから何か出来ることを、と考えながら生徒会選挙のプログラムを作っていたらふと思いついたのだ。
案内を任されたは良いものの、昼休みだけでは周りきれないだろうし、全ての場所を覚えることは大変だと思ったから。
「余計、だったかもしれませんが。 不要でしたら捨てて下さって構わないです」
「捨てる!? 勿体無いわ!
それにしても貴女、本当に凄いのね。 尊敬するわ」
エマ様はそうまじまじと私が描いた地図を見ながらいうものだから、何だか恥ずかしくなって「な、何か分からないことがありましたらお尋ね下さい」と慌てて言うと、彼女は大きく頷いて見せる。
そして、教室へ戻りましょうと歩き出した私に、彼女は「あの」と口を開いた。
「もし宜しければ、お互いタメ口で話さない?」
「え?」
私は思いがけないエマ様からの提案に戸惑うが、エマ様は、「駄目?」と私の手を握り尋ねる。
私より身長が少し低いエマ様の上目遣いに、同性でも可愛い、と思ってしまうが、慌ててぶんぶんと首を横に振り答えた。
「で、でもそれは失礼に値するのでは」
「……私、実は男性の幼馴染はいても女性のお友達と言えるお友達はいないのよ。
それこそ、タメ口で話すような方は、誰一人いないわ」
「え……」
少し寂しそうに笑う彼女の目を見て、それが嘘だとは思わなかった。
それに、納得せざるを得ない。
彼女は一国のお姫様で、いつだって特別な存在だ。
だから、気を許せる友達だって作ることはきっと、容易ではないだろう。
(エマ様の頼みだし、本当なら了承するべきなんだろうけど……)
「……あの、提案なんですが、私がエマ様にタメ口を聞くのは何となく気が引けるので、エマ様が私の名前を呼び捨てにする、というのはどうでしょうか」
「! え、良いの!?」
「は、はい、それでしたら多分、大丈夫かと」
あまりにも嬉しそうに言うエマ様に対し、少し気後れしながら頷けば、彼女は急にガバッと私に抱きついた。
「ありがとう、ミシェル! 嬉しいわ」
「! ……え、エマ様に名前を呼び捨てされるのは何となく緊張します」
私の言葉に、エマ様は「実は私も慣れていないからそう感じるわ」とクスクスと笑う。
にこにこと嬉しそうにしているエマ様を見て、私も穏やかな気持ちになっていると。
「此処に居たのか」
そう声がして振り返れば、そこにはエルヴィスの姿と、何故か後ろにはニールの姿もあって。
エルヴィスはともかくどうしてニールが一緒に、と思っていれば、エマ様は嬉しそうに言った。
「まあ、私を探しに来てくれたの?」
その言葉に、私はズキリと胸が痛むが、エルヴィスは「勘違いするな」とそれを冷たく一喝し応えた。
「ニールがミシェルのことをたまたま探していたから、一緒に探しに来ただけだ。
エマは勝手に迷子になっていれば良い」
「相変わらず人の扱いが雑ね。 ミシェルとは大違い」
エマ様の言葉に、エルヴィスの眉間に皺が寄る。
それと同時に場の空気が一瞬にして凍てついたように感じ、私はえ、と驚いていれば、エルヴィスはエマ様に向かって口を開いた。
「……何故君がミシェルの名を呼び捨てにしているんだ」
「あら、彼女に許可を頂いたのよ。 何か文句でも?」
その言葉に、エルヴィスは目を見開き、私に「そうなのか!?」と尋ねる。
(あ、あれ、許可してはいけなかったのかしら)
私は恐る恐る頷けば、彼は何故か頭を抱えるような仕草をする。
まずかったかな、とオロオロしていれば、黙って聞いていたニールが口を開いた。
「お取り込み中のところ申し訳ないですが、会長に今日中にお尋ねしたい件が御座いますので宜しいですか」
「! ご、ごめんなさい。 生徒会の件よね」
「はい、時間もないので教室に向かいながらお話ししても?」
「えぇ、そうしましょう」
私は慌ててエルヴィスとエマ様に対して淑女の礼をする。
そうすることで、その場に二人きりにさせてしまうことに後ろ髪を引かれながらも、ニールの話を聞くのだった。
(エルヴィス視点)
(結局ニールにミシェルを取られた……)
エマの案内をしているミシェルのことが気になり探していたら、丁度ニールも生徒会の仕事でミシェルを探しているというため、ニールを口実にミシェルを探し出せたは良いものの、二人きりで話すことが出来なかった。
(しかも、いつの間にかエマはミシェルを懐柔しているし……)
そう恨めしく思い隣にいるエマを見れば、二人の背中を追っていた彼女と視線が合い、僕の嫌いな笑みを浮かべて言った。
「ふふ、まさか貴方とあろう方が嫉妬ね」
「……君は一体何がしたいんだ」
エマは僕の言葉には答えず、黙って何かを差し出した。
内心警戒しながらもその差し出された紙を開けば、それは丁寧に分かりやすく描かれている学園の地図だった。
「ミシェルが私にくれたのよ。 手書きで昨日書いてくれたらしいわ」
「!? こんなことまでやらせたのか!?」
「私は頼んでいないけれど、あの子が気を遣ってくれたらしいわ」
「ただでさえ生徒会が忙しいというのに……」
ミシェルは本当にお人好しだ。
……そこが彼女の良いところでもあり、好きなところでもあるが。
「そうそう、一応伝えておくけど、先程ブライアンに会ったの」
「ミシェルも一緒にか!?」
「えぇ。 それから、チャイルズ男爵家の令嬢の方にも」
「……ブライアンの婚約者か」
(くそ、やっぱりついて行けば良かった)
そう思いつつ、エマに尋ねる。
「何かブライアンが言っていなかったか」
「……ミシェルのこと、“つまらない女”と言っていたわ。
彼女は黙っていたけれど」
「……」
(やっぱり……)
ぐっと拳を握りしめれば、エマは「まあ私は」と口元に手を当てて言った。
「彼女のことをとても気に入ったから、つまらない女だなんて思わないけれど」
「当然だ」
エマの気に入った、という言葉には嫌な予感しかしないからやめてほしいと思ったものの、ミシェルがつまらない呼ばわりされるような女性ではない、という意味を込めて言えば、エマは驚いたように目を見開いた後、クスクスと笑って言った。
「本当に彼女のことを気に入っているのね。
ふふ、そんな彼女と折角お友達になれたことだし、これからが楽しみだわあ」
そう言って笑うエマに、僕はうんざりして構うことなく歩き始める。
(ミシェルが今はまだ楽しそうにしているから良いけれど……、エマが関わるとろくなことにならないから、ミシェルとエマが接触している時は用心しよう)
そう心に決めたのだった。




