隣国の姫と侯爵令嬢の昼休み
次の日。
誰かに昨日のことを聞かれるかもと少し身構えながら学校へ行ったものの、その心配は無用だった。
(エルヴィスの言葉は絶大ね……)
多分、生徒間では噂になっていてもおかしくないが、誰一人聞いては来ない。
レティーでさえもいつもと変わらず振る舞ってくれている。
エマ様もあれから何も目立った言動はしていないようで、休みの度に数名の方々に囲まれ、柔らかな笑みを讃えているだけだった。
そして昼休みになると、エマ様が私の席にいらっしゃって言った。
「ミシェル様、学園を案内して頂けるかしら」
その言葉に初めて教室がざわついたような気がしたけれど、私はそれに気がつかないふりをしてにこりと笑みを浮かべ、「はい、喜んで」と席から立ち上がると、エマ様は嬉しそうに手を叩き、教室を後にする。
私もその後に続こうとしたが、ふと視線を感じ振り返れば、エルヴィスが心配そうに私を見ていた。 彼に大丈夫、と少し微笑んでみせてからエマ様の後に続いた。
「まずは何処から案内して貰えば良いのかしら」
教室を出てからそうエマ様が困ったように笑う。 私は「それなら」と口を開いた。
「私に任せて頂けますか。 普段使うと思われる場所から順にご案内も出来ます」
「そうしてもらおうかしら。 その方が分かりやすいだろうし」
エマ様の言葉に、私は「お任せ下さい」と笑みを浮かべてみせたのだった。
先ずは授業で使う教室から先に案内することにした。
この学園では授業で使う教室は別棟にあるため、そこから案内した方が教室の場所は網羅しやすい。
実験室や調理室などを案内し、時折分からないことがあったらエマ様は質問をしてきて、私がそれに答えるの繰り返しをしながら案内は進んだ。
教室の場所を全て周り終えると、学食のあるカフェテリアを案内した。
そして、今度は学食を食べる時だけ利用できるバルコニーへと向かっていると、エマ様は少し笑みを浮かべて言った。
「私ね、自慢ではないけれど幼い頃から方向音痴なの」
「そうなんですか?」
「えぇ、それはもう。 従者にもエルヴィスにもいつも笑われていたわ」
突然出てきたエルヴィスという名に一瞬ドキッとしたものの、それには触れずに言葉を返す。
「人には得手不得手がありますし、それを言うなら私だって運動は大の苦手です」
「ミシェル様でも不得意なものがあるのね」
「えぇ、それはもう。
後、今では大分変わったと言われるようになったんですが、私は感情を表に出すことが苦手でした」
その言葉に、エマ様が驚いた後、「あぁ、でも」と腕を組んで言った。
「確かに、今の貴女と夜会でお会いしていた時の貴女とでは、雰囲気が変わったような……、何かきっかけがあるの?」
「それは、……」
私は説明しようとして、ハッと気付く。
(いけない、エルヴィスの名を出すところだった! エマ様の前でエルヴィスの名を出せば、張り合っているという風に取られてしまうかしら)
「ミシェル様?」
エマ様が首を傾げたのを見て、私は慌てて「そう」と口を開いた。
「“ある方”に出会って、それを指摘されて。
初めて自分が押し殺してきた感情というものが多かったことに気付いたんです」
そう言って、何処までも続く青空を見上げる。
「元々、感情を表に出すことは許されないと思っていました。
感情に左右されず、いつも凛とした佇まいで振る舞う。
今思えば、それが私が目指していた淑女の姿だったのかもしれません」
(第二王子の婚約者の時はずっとそう思っていた。 彼は感情を露わにするから、よく人に八つ当たりをしていた。 私は数度注意したことがあったけれど、彼は余計に反発するものだから、結局私は諦めて、彼をこれ以上怒らせないようにとか、機嫌を損ねないようにするので精一杯だった)
「でも、“あの方”と出会ってから私は、気が付かない内に飾らないようになったんです。
……その方の前だと、淑女の仮面を被ることを忘れてしまうような。
最初はそんな自分に戸惑いましたが、それでもその方は、私の色々な表情が見れて嬉しいと言ってくれたんです。 それで漸く、ありのままの自分で良いんだと思えるようになったんです」
「……」
話し終えると、エマ様は黙って私をじっと見つめていた。
その視線に気付き、慌てて頭を下げる。
「も、申し訳ございません、話が長くなってしまって」
「あぁ、いえ、違うのよ。 貴女はその方にとても愛されているんだなと思って」
「あ、愛!?」
「あら、だってその方は男性でしょう?
貴女の表情を見ていたら分かるわよ」
そう言ってエマ様はクスクスと笑った。
男性だと分かるのならエルヴィスのことだということもバレているかも、と私は顔を赤くすれば良いのか青くすれば良いのか分からず、返答に困っていたその時。
「……あ」
私は思わず声を上げる。
エマ様もそんな私の声に気付き、目を向けてから……、少しピリッとした空気を纏ったのは気のせい、だろうか。
私達の視線の先にいた人物、それは。
「久しぶりだな、エマ」
「あら、お久しぶりね、ブライアン」
そう、私の元婚約者・ブライアン殿下だった。
その後ろには、今の婚約者のマリエットさんの姿もある。
(二人とも呼び捨て……、ということは、ブライアン殿下とエマ様もまた幼馴染、なのかしら)
何となく二人の間に口を挟むのは躊躇われて、挨拶を出来ずにいると、ふとブライアン殿下は視線を私に向けてからエマ様に向かって口を開いた。
「何故そいつといるんだ」
「あら、誰といようが私の勝手じゃない。
彼女には学園の案内を頼んでいるのよ。
それに、何その口の聞き方は。 元婚約者に向かって“そいつ”呼ばわりは失礼じゃない?」
「え、エマ様」
私をまるで庇うように言うエマ様に向かって私は慌てて止めようとすれば、案の定ブライアン殿下は突っかかてくる。
「はっ、そいつはもう婚約者ではない、ただのつまらない女だ」
「!」
(つまらない、女……)
思わず一瞬たじろいでしまった私に対し、今度はエマ様が目を向けたのはブライアン殿下の後ろにいたマリエットさんだった。
「それで、その次は後ろにいる女性を婚約者にした、というわけね。
貴女、お名前は?」
エマ様の言葉に、マリエットさんはビクッと肩を震わせたものの、淑女の礼をして言った。
「私は、マリエット・チャイルズと申します」
「チャイルズ……、男爵家の方ね」
エマ様はそう呟いてから、「覚えておくわ」と告げる。
その言い方に少し棘があるような気がして違和感を覚えたものの、エマ様は間髪入れずににこりと微笑んで口を開いた。
「お時間があったら一緒にお話したかったところだけれど残念ね。
お昼休みは短いし、まだ学園を周りきれていないからもう行かなければいけないわ。
では、ごきげんよう」
ミシェル様、行きましょう。
そう言ってエマ様は踵を返す。
私は慌ててエマ様の隣を歩き出しながら恐る恐る尋ねた。
「エマ様も、ブライアン殿下とは幼馴染なんですよね」
「えぇ、そうなるわね。 ……ちなみに、マリエットさんはどう言う方なのかご存知なの?」
エマ様の言葉に、私は少し考えた後、「あまり良くは知りませんが、」口にした。
「私が2年生の時から良くお二人が一緒にいる、という話は噂で持ちきりだったそうです。
私はその頃生徒会の仕事が忙しく、そう言った噂にも疎かったので、後から聞いて知りましたが」
「そんなに生徒会って大変なの?」
「大変と言われれば大変ですが、その分やりがいがありますよ。 今月でお役目が終わるのが、少し寂しいくらいです」
(その生徒会に入ったのも最初は彼に命令されたからだったけれど……、それでも、生徒会の仕事をすることで自分に自信が持てるような、そんな気がして)
エマ様は「素敵ね」と微笑んでくれた。
その言葉が心にじんと来て、私も笑みを返した。
そうして歩いている内に、私が一番好きな思い出の場所に辿り着いた。
「此処がローズ学園で私が一番好きな場所です」
「まあ、綺麗! 薔薇がたくさんあるわ!」
そう、それは忘れられない思い出の場所でもある、ローズ学園パーティーの会場にもなる広大な庭だった。
「5月には毎年恒例のパーティーがあるのですが、その時期の薔薇もとても綺麗なんですよ。
卒業生も多くいらっしゃるので、来年観に来られても楽しめると思います」
「素敵な催しね。 是非来てみたいわ。
……良い匂い」
エマ様はそう言って、一輪のバラに顔を近付ける。
その姿も画になるエマ様の姿に思わず見惚れてしまう。
そして私も、薔薇が咲く広大な庭を見渡す。
(……此処に来ると、思い出すわ)
エルヴィスと、両思いになれた場所。
そして……。
「? ミシェル様?」
「っ、あ、いえ、何でもありません」
(ファーストキスのことを思い出しちゃった……!)
私は慌ててぶんぶんと首を横に振り、心を落ち着かせるために薔薇の香りを体いっぱいに吸ったのだった。




