芽生えた感情に蓋を
「ミシェル、本当に大丈夫なの?」
そうレティーに尋ねられ、私は頷き笑みを浮かべてみせる。
「えぇ、大丈夫。 泣いたらスッキリしたわ」
「殿下と喧嘩したの?」
「まさか! 違うわよ、そうではなくて、……っ」
「ミシェル?」
(何て説明すれば良いのだろう)
私だって理解が追いついていないと言うのに、人に上手く説明出来る自信がない。
婚約者が私ではなくエマ様だ、なんて言ってしまったら、またあらぬ噂を好き勝手に立てられるに違いないからだ。
(そうすれば、エルヴィスの評判が下がってしまいかねない)
頭の中でグルグルとそんなことを考え黙り込む私に、レティーは「色々あるんだね」と呟き微笑みを浮かべて言った。
「ごめんね、無理に聞き出そうとして。 言いたくないことは言わなくて良いから。
でも、そうやって一人で溜め込んでは駄目よ。 ミシェルは他者には親身になるのに、自分のことになると一人で抱え込んでしまうから心配だわ」
「! レティー」
「もし、何か言いたくなったらいつでも言って。 私では頼りないかもしれないけれど、少しでもミシェルの力になれることがあれば何でもしたいから」
ね? とレティーは念を押すように私の手を握って言うものだから、また不意に泣きそうになる。
「ありがとう、レティー。 そう言ってくれるだけで十分心強いわ」
「ふふっ、それなら良かった」
そう言って二人で笑い合っていると、ガチャッと生徒会室の扉が突然開いた。
驚き目を向ければ、その視線の先には私の大好きで、だけど今は会いたくなかった人の姿があって。
「エルヴィス……」
私がそう呟き黙り込めば、その空気を察したのかレティーは少し笑みを浮かべて言った。
「私、先に教室へ行っているわね」
「! ありがとう」
彼女の配慮に感謝しながら彼女が部屋から出ていくのを見送ると、部屋の空間には私とエルヴィスだけになってしまった。
エルヴィスは私の所まで歩み寄ってくると、指の腹で私の頬を拭って言った。
「泣かせて、しまったね」
「っ」
その言葉にビクッと肩を揺らせば、彼は私を不意に抱き寄せる。
そして、耳元で聞いたことがないほど掠れた弱々しい声で、「ごめん」と口にした。
「僕が浅はかだった。 弟の婚約者でなくなった今しかないと、考えなしに君に近付いて……、もっと慎重に行動すべきだった」
「っ、そんな! エルヴィスが謝るようなことではないわ。 私だってこうなることを予想していなくて、今も、頭の中で理解が追いつかなくて……」
「……ミシェル」
エルヴィスは私の頭を優しく撫でながら、でも力強く抱きしめてくれながら言った。
「君の考えている通り、多分あいつらにやられたんだ。
わざわざ隣国の方から此方側に縁談を持ちかけるようなメリットはないだろうし。 ましてやこの国の実態を彼方も把握しているはずだ。
女王も隣国も何を考えているかは分からないが、僕はエマを婚約者だと認めない。
だって僕の婚約者は、生涯君しか考えられないから」
「! エルヴィス」
その言葉に、思わずギュッとしがみつくように抱きしめる。
(この先どうなってしまうのかを考えると怖い。
少なくとも私は、ベアトリス女王に良く思われていないことだけは分かる。 それによってエルヴィスといられなくなってしまうかもしれないことを一番、私は恐れている。
だから今は、エルヴィスのその言葉だけに心が救われるわ)
「それに多分エマが此処に来たと言うことは、彼女自身も何かを企んでいるに違いない。
君は優しいから、エマの言うことを何でも聞いてしまいそうで僕は不安だ」
「そ、それは」
「否定しないよね。 はぁ、本当に次から次へと……、あいつらは懲りないな。
今すぐ息の根を止めてやりたいくらいだ」
「え、エルヴィス」
何だか物騒な言葉が聞こえたけど、と私が慌てて彼を見れば、怖いくらい爽やかな笑みを浮かべて「はは、冗談だよ」と言う彼の瞳が全く笑っていないことには敢えて突っ込まないでおこう。
そして彼は、「あぁ、それと」と口を開いた。
「エマの言うことは全て右から左で良いから。
あの人の言うことは大半が碌でもないことで、僕もそれは良く分かっているし、それにあの人のことだから面白がって僕の婚約者だと吹聴するに決まっているから……、また君を傷付ける噂が立ってしまうと思う。
エマはそれを聞いた君がどんな反応をするかを観察するのが趣味なくらいだから、あの人の言うことに振り回されてはいけない。
何かあればすぐに、僕を呼んで。
分かった?」
「え、えぇ」
私は凄い剣幕で話すエルヴィスに驚きつつ、疑問に思って口にした。
「聞いても良い? エマ様とエルヴィスは仲が悪いの?」
その言葉に、エルヴィスは苦虫を潰したような顔をして「あぁ」と頷いた。
「はっきり言って、僕はあの人は嫌い、というか苦手だよ。 さっきも言った通りタチが悪いんだ。
目を付けられたら面倒……、ってもうミシェルはつけられているかもしれないけど」
「!? わ、私が?」
「そうだよ。 だから多分、此処にいる間は君に構うかもしれないから適当にあしらって」
「そ、そんなこと出来るかしら」
エマ様は隣国の正真正銘の王女様。
私の言動一つで何が起こるか分からない。
「後ね、ミシェル。
もう一度言っておくけど、僕は彼女を婚約者だなんて認めていないから。
彼女はただの幼馴染、いや、腐れ縁なだけだよ。
……前にも言ったと思うけど、僕は君以外に何もいらない。 それだけは忘れないで」
「……!」
そう言ってチュッと私のこめかみにキスを落とすエルヴィスに対し、すぐに顔に熱が集中する。
エルヴィスはそんな私の反応を見て破顔し、「うん、やっぱりミシェルは天使だ」と何故か納得したように呟き笑う。
それはない、と全否定しつつ、その笑顔が眩しくて直視出来ないでいると。
「そろそろ時間、かな。 教室に行かないとね」
「! えぇ……」
エルヴィスの言葉に一気にまた不安に襲われる。
そんな私の頭をポンポンと撫でると、「大丈夫」と彼は顔を覗き込んで言った。
「取り敢えず僕に任せておいて。
後、今日は放課後一緒にリヴィングストン家に行ってこのことを説明しに行っても良いかな?」
「! 一緒に帰るということ?」
「そう。 いきなりで申し訳ないけれど、ことが事だから僕の口からしっかりと君のご両親に説明させて欲しいんだ」
「……ありがとう、エルヴィス」
エルヴィスは首を振り、「迷惑をかけてごめんね」と何処か力なく笑ったのだった。
エルヴィスと二人、教室へ向かって歩く。
私は少し先を歩いているエルヴィスの背中を見て何処か遠くに感じた。
(“迷惑をかけてごめんね”……、エルヴィス、悲しそうだった)
エルヴィスは私にはあまりそういう表情を見せない。
夏休みに二人で城下へ行って、秘密基地にも連れて行ってもらってより一層距離が近くなったように感じた、その矢先の出来事に多分私もエルヴィスも、今はついていけていなくて。
(それなのに、エルヴィスは大丈夫だよと言ってくれる)
間違いなく私はその言葉に救われているけれど、それと同時に少し寂しい気持ちにもなる。
(それに……)
エマ様はとても綺麗だ。
エルヴィスと二人で並ぶ姿も素敵だし、それにエルヴィスが本心をあらわにするほど気心も知れている。
幼馴染と言っていたから、きっとエマ様はエルヴィスのことを誰よりも知っているはず。
(今はエマ様のことを嫌いだと言い張っているけれど、もしエルヴィスが、本当にエマ様と)
「……シェル? ミシェル?」
はっと顔を上げれば、エルヴィスの顔が近くにあって。
私の心臓がドキッと跳ねる。
そんな私の動揺には気が付いていないようで、エルヴィスは「顔色が悪い」と心配そうに言った。
(いけないわ、いらぬ心配をかけてしまう)
私はその言葉に慌てて手を横に振った。
「大丈夫、その、少し緊張してしまっているだけだから」
「……そう、だよね」
(あ……)
ハッとした時には遅かった。
エルヴィスはまた先程も見せた悲しげな表情を浮かべ、曖昧に笑うと、再度「ごめんね」と謝り私の背中をそっと押してくれる。
(違う、貴方を責めているのではないの)
どうして上手くいかないんだろう。
心配をさせたらきっと、優しい貴方のことだから自分の所為だと責めるだろうから、余計な心配をかけまいとそう思っているのに、結果的に彼を傷付ける言動を取ってしまった。
(だからといって、今秘めているこの感情を口にすることもできない。 だって間違いなくこの感情は、私の我儘で一方的なものだから)
こんなの、矛盾している。
だから、今抱いているこの気持ちには、気が付かないふりをして蓋をしよう。
そうすればきっと、愛する貴方の重荷にはならないはずだから―――




