“好意”の“利用”
「……〜〜〜私が貴方の婚約者だなんて聞いてないわっ」
ガタン、と思わず私は椅子から立ち上がれば、彼はははっと笑いながら、優雅に足を組んで口を開いた。
「それは、言ってなかったからね」
「! ひ、開き直った……!」
私達は今、保健室にいる。
それは何故か。
答えは、始業式を放り出し、彼に横抱きにされたまま有無を言わせず連れて来られたから……!
「……それにしても嬉しいな」
「はい?」
「僕の一言一言で、クールな君の表情が崩れるところ、本当に可愛い」
「っ!?」
その言葉に思わず私は赤面する。
(っ、確かに彼の前では淑女の仮面を被る暇がない、けど……っ、可愛いとか、そんな)
「やっぱり、君の家にお邪魔して良かったなあ」
完璧な君を育てた家族も、温かい方々ばかりだと知れたのも良かったしね、という彼の言葉に、私は嫌な予感が脳裏を過り、口にした。
「まさか……、私が貴方の“婚約者”ということは……」
「うん、もう御家族には許可を得てるよ」
後は君がサインするだけだ。
そう爆弾発言を告げながらにこやかに笑う彼は……、間違いなく。
「っ、何という策略家……」
「お褒めに預かり光栄ですってね」
胸に手を当て、わざと恭しく頭を下げてみせる彼に対し、私はばっさりと「褒めてないから」と冷ややかな目で見下ろせば、彼はふふっと笑って言った。
「だから言ったでしょう?
君への“好意”を“利用”すれば良いって。
僕はそれを証明しただけ。 それが一番、手っ取り早くあんな馬鹿から君を解放する唯一の方法だったんだ」
「!」
私は驚いて彼を見た。
そんな私の視線に気付いた彼は、「どうしたの?」と首を傾げた。
「どうして……、貴方は私をそこまでして、此処に引き止めたいの?」
「!」
その言葉に、彼は一瞬固まった。
だけどすぐに笑みを浮かべて口にする。
「言っただろう? 僕は君のことが好きだと」
「っ、その言葉は……っ」
私が紡ごうとした言葉は、彼によって阻止される。
それは、彼が私の顎をぐいっと持ち上げ、彼の瞳と至近距離で交わったからだった。
驚き言葉を失う私に対し、彼は私の心を読んだように代わりにその言葉を紡いだ。
「“冗談”だと言うの? ……まあ、君はついこの前まで弟の婚約者だったから、僕の気持ちを受け止められないのは無理もない。
でもね、言っておくけど。
僕は好意を持っていなかったら、此処までこんなに時間を割く程暇ではないよ?」
「……っ」
彼の薄い青の瞳が、私を捉えて離さない。
それはまるで、獲物を捕らえる獣のような、射抜くような瞳で私をじっと見つめる。
その瞳と至近距離で交わり、私が固まってしまったことに気付いた彼は、ハッとしたような顔をすると……、距離を取っていった。
「とにかく、僕は君を守る為に最善の選択をしたし、これからもするつもりだ。
君が僕の婚約者だと牽制したことによって、よっぽどの馬鹿でない限り、迂闊には手を出して来ないだろう」
「よっぽどの馬鹿……」
私が彼の言葉を思わず反芻すれば、彼はポケットの中から何かを取り出し、それを私に手渡してきた。
「……!! こ、れは……」
彼が私の手に乗せてきたもの。
それは。
「婚約者の、証……」
第二王子の婚約者であった時も付けていたから知っている。
この国には、古くから伝わる王家の風習が幾つかある。
その中に、王家の血筋の方と結婚する婚約者のみが付けることを許される、“ピンバッジ”がある。 この国の紋章の下に、婚約者の名前が彫られているそのピンバッジは、正真正銘の一点物。
「わ、たしに……、これを?」
わざわざこの為に作ったと言うの?
私の疑問に対し、彼は「勿論」と頷いて言った。
「君は僕の“婚約者”だからね」
「……っ」
私はその言葉に、思わずそのピンバッジと彼を交互に見た。
すると、彼は苦笑いをして口を開く。
「本当はまだサインを交換していないし、正式な“婚約者”ではないのだけれど……、気が変わった。
僕の気持ちだ、付けなくても良い。
君に持っていてほしい」
御守り代わりだ。
そう言って彼は、私が手のひらに持っていたピンバッジの上からそっと私の手を握る。
そんな彼の、私より一回り大きな手を見て……、私の心臓がトクンと高鳴る。
(この人は……、私を、裏切らない)
何の根拠もないけれど、そんな気がした。
そんなことを考えている私に、彼は言葉を続ける。
「もし……、君の気持ちが少しでも、僕に向いてくれたら。
その時は……、君が弟の婚約者であった時と同じように、校章の横に僕の婚約者である“証”を付けてくれたら嬉しい」
「……!」
私は思わず彼を見る。 そんな私を見て、彼は微笑みを浮かべた。
「だから、婚約状のサインも、君が本当に……、僕と居たいと思ってくれたら書いて、僕に渡して欲しい。
ただこの学園にいる間だけは、婚約状にサインをした、僕の正式な婚約者ってことにしておいてね」
でないと、僕が君を守ると言う約束を果たせなくなるから。
彼が「分かった?」とアイスブルーの瞳でじっと私を見つめる。
そんな彼の言葉に、気が付けば私は頷いていて。
思わず惚けてしまっていた私に対し、彼は何をするかと思えば……、ふっと笑い、私の頭を撫でて言った。
「よし、良い子だ」
「……っ」
子供扱いされてる。
そう思ったけれど、彼の柔らかな表情を見て私は、何故か……居心地が良いと感じてしまって。
彼は私の頭から手を退けると、今度は白の制服の胸ポケットから折りたたまれた紙を取り出し、私に渡してきた。
「後これ。
明日から君は、僕と同じクラスだ」
「……! これって、今年の教室の……」
折りたたまれていたその紙には、私と彼の名前の他に、同学年の生徒達の名前が記されていて。
「そう。 君は明日から、僕を支持している側のクラスに入ってもらうことになるから。」
(エルヴィス殿下を、支持している側……)
この学園には、見えない派閥がある。
第一王子のエルヴィス殿下を応援する派と、第二王子のブライアン殿下を応援する派。
その派閥を元にして、1学年約60名の生徒達を2クラスに分けるのが、無駄な派閥争いを避ける学園側の考慮だ。
「ということは……、ブライアン殿下とは別のクラス、ということですか」
「うん、勿論」
あんな奴とはもう、君が一緒にいる必要はないからね。
そう言って彼は……、黒い笑みを浮かべた。
私はその表情に、思わずふっと息を吐く。
「貴方は……、凄いわ」
「……そんなことないよ」
彼は何故か一瞬言葉を詰まらせ、ふっと自嘲気味に笑った。
そんな彼に向かって私は口を開く。
「あら、どうして? 私は凄いと思うわ。
……だって、私一人ではとても……此処まで出来なかったもの」
私は婚約破棄された時のことを思い出して……、思わず拳を握り締めた。
そんな私にエルヴィス殿下が口を開く。
「……元はと言えば、僕がいけないんだ。
彼と向き合わず、何をされても耐えて目を瞑ってきた。
その結果君を……、傷付けることになってしまった」
「……っ」
私の髪を一房手に取り、そっとその髪を撫でる彼の瞳が……、悔しそうに揺れていて。
私はそんな彼の頰にそっと手を伸ばしていた。
「!」
それに驚いたのは、彼の方で。
私は一瞬、無礼だと思ったけれど……、それでも、その手を引っ込めることは出来なかった。
その代わり、私は彼の瞳を見上げて……言葉を紡いだ。
「私は……、嬉しかった。 貴方が私の、味方でいてくれたこと」
皆の前で、見せしめのように一人糾弾されて、心細くて。
逃げ出してしまいそうだったところを、エルヴィス殿下は私を信じて、私を守るとまで言って引き止めてくれた。
だから。
「有難う」
「……!」
私の言葉に、今度は彼が目を見開いた。
そのアイスブルーの瞳は、相変わらず何を考えているか分からない。
ただ私のこの気持ちが……、感謝の気持ちが少しでも伝われば良いと。
私はその意味を込めてじっと、彼の瞳を見つめたのだった。




