出会いと思いがけない真実
エルは私の手を引いたまま、人目につかないよう慣れた足取りで路地裏を歩く。
「ごめんね、疲れていない? 路地裏の方はまだ十分に道が舗装されていないから、足元に気を付けて」
「あ、有難う」
幸い、今日は歩きやすい、ヒールでない靴を履いてきていた為、内心良かった、と思いつつ、石畳の凸凹とした階段を転ばないように気を付ける。
(確かにメイン通りと比べて階段が多いけれど、慣れてしまえば此方の方が人目につかなくて良いかもしれない)
もし私も可能であれば、後で城下の地図が欲しいなと思った。
(あまり此処へは来れなくても……、地図を頭に入れておけば、また少し、彼……、“エル”に近付ける、そんな気がするから)
「ミシェル、着いたよ」
「!」
目的の場所に着いたらしい。
彼が立ち止まった場所は、路地裏の中にある可愛らしい青色に塗装された木の扉の前だった。
「此処は……」
「裏口からでごめんね。 此処は大衆食堂……、僕が街へ来る度に訪れている場所だよ。
表通りに位置しているけれど、今人に会うとまた囲まれてしまうといけないから、此処から入ろう」
「! 勝手に入ってしまって良いの?」
躊躇いなく彼がドアノブに手をかけたのを見て慌てて止めれば、彼は少し幼くも見える笑みを浮かべ、「大丈夫、許しは得ているから」と言ってドアノブを回せば、簡単にドアが開く。
キィッと軋むような音がして開いたドアの先には、薄暗い廊下が続いていて。
「……本当に、怒られない?」
そう私が再度尋ねれば、彼は「ふふ、大丈夫だよ」と私の頭をポンポンと軽く叩いてから、先導するように繋いだままの私の手をそっと引く。
そんな裏口から入ると、同じく暗い廊下の先から漂ってくる美味しそうな匂いに、ご飯を食べ終えたばかりなのに空腹を覚える。
「美味しそうな匂いがするね」
「うん、後でまた紹介するけれど、此処の料理はとても美味しいんだ。 ……僕も良く、お世話になっていて」
「!」
そう言った彼の言葉に、私は思わず口にする。
「……大切な、場所なのね」
「! ……ミシェルは何でもお見通しだね」
「ふふ」
私はその言葉に嬉しくて思わず笑いを返せば、彼もまた笑みを浮かべてくれる。
そうして廊下を少し歩いた先に広がっていたのは、暖かな温もりを感じる、明るく可愛らしいお店だった。
丸い円形の机と椅子が円形状に並べられ、カウンター席もある。 そのカウンター席の奥は、どうやら厨房のようで。
「あれ、厨房に居るのかな?」
私が店内を見回している間、殿下はカウンター席から厨房を覗くようにして口を開いた。
「すみませーん」
そう言ってから、何処か悪戯っぽく私にウインクしてみせる彼に、私は少し驚いていると。
彼の言う通り、奥からドタドタと慌ただしく足音が聞こえた。
「お客さん、もう昼食の時間は終わり……、って、!?」
そう言って店の奥から顔を出したのは、お母様と同じ世代くらいの、すらっと身長が高く、胸辺りまでの茶の髪を無造作に一つに束ねた女性の方で。 頭には頭巾をかぶり、エプロン姿の彼女を見て、このお店の店主なのかな、と直感した私に対し、その女性は……。
「……エーーーールーーーー!!!」
「!?」
突然、鬼のような形相で彼の名をそう呼び捨てにした。
その女性は驚いている私には気が付いていないようで、目の前で尚もにこにことしている彼に向かって、掴み上がらんばかりの勢いで口を開く。
「貴方は本当に進出鬼没だねぇ!! また勝手に裏口から入ったの!?」
「駄目だよ、マリアさん。 幾ら安全といえど鍵をかけずに開けっ放しにしたら」
「忙しかったから閉め忘れたの!
ってそんなことより、お願いだから表から入ってと言っているでしょう……! 」
「いや、僕達人気者みたいで、ちょっと目立ち過ぎたから裏から回ってきたんですよ」
「僕達? ……!?」
エルがクルッと私を振り返ったのを見て、漸く女性は私の存在に気が付いたらしい。
彼等のやり取りに思わず唖然としてしまっていた私は、慌ててペコっと頭を下げれば。
「っ、ま、も、もしかして……、貴方の例の意中の彼女っ!?」
「!?」
「!! ま、マリアさん!」
(い、意中の彼女!?)
私の驚きに対し、殿下は慌ててしーっとマリアさんに向かって人差し指を口の前に立てて抗議する。
「そ、それ以上はお願いだから言わないで下さいね! 格好がつかないから!」
「あら、やっぱりそうなのね!! 半信半疑だったのよ、エルが“彼女にあげる薔薇が欲しいからいつもより働かせてくれ”なんて言い出すから……」
「!? 薔薇……?」
マリアさん、と殿下が呼んだその女性の言葉に、私が思わず口を開けば。
マリアさんは今度は私に目を向けると、制そうとした殿下より先に口を開いた。
「貰わなかったかい?
確か……、5月あたり、だったかな?
凄い数の薔薇を彼女に贈りたい、とか何とか言って一生懸命頼み込んできたと思えば、いつも以上に働くもんだから……、って、あ、あら?」
「! ミシェル?」
そう名を呼ばれ気が付けば、私の目から涙がこぼれ落ちていて。
二人の息を飲む音が聞こえて、私は慌てて口を開いた。
「……っ、ご、ごめんなさい、その……、嬉しくて……っ」
「! ミシェル……」
そっと、私が被っていた帽子を彼が取り、頭を撫でてくれる。
(……まさか……、あの薔薇は彼が……、此処で、自ら働いたお金で買ったものだったなんて)
それも王族である彼が、働いたお金で……。
薔薇の花束、そして5月といえば、紛れもなくローズパーティーの“薔薇の縁結び”で貰った、365本の薔薇のこと……
―――元々その話を聞いた時から考えていたことだよ。
その花、僕が買えないかなって。
あ、お金は自分で払ったから安心して。
そう彼が、さらっと何とでもない風に言っていたのを聞いて、自分のお金? と疑問に思っていたけれど……。
「……高かった、でしょう」
「! ……そんなことないよ。 元々貯金していたお金もあったし、そこに少し足りないくらいだったからまた働いただけだよ」
そういつものように笑って答える彼に対し、口を挟んだのはマリアさんで。
「ちなみに、エルは元々此処でよく働いてくれていてね。 多分貯金っていうのもそのお金だよ」
「マリアさん……」
それ以上何も言ってくれるな、と言わんばかりの目でマリアさんを見ながら、心なしか耳が赤い彼に対し、私はマリアさんに向かって口を開いた。
「教えて下さって、有難うございます」
「っ、あぁ、もう!」
言わないで欲しかったのに!
と、今度こそそう言って真っ赤になってマリアさんに向かって抗議する彼に向かって口を開く。
「エル」
「?」
「ありがとう」
「……っ」
私がそう改めてお礼を言って笑みを浮かべれば、彼はこれ以上ないほど顔を真っ赤にして、私に見られないようにするためか、私の目を大きな手で覆い隠す。
「み、見えない」
「っ、見なくて良い」
そんなやりとりを私達が繰り広げていると、あははとマリアさんが大きな声で笑った。
「まだ子供だと思っていたエルが、まさかこんなに可愛らしいお嬢さんを連れて来るなんてねぇ! 薔薇の花束なんてキザなこと言うと思ったら……、こんなに容姿も心も素敵なお嬢さんのハートを掴むには、それくらいでなきゃね!」
よくやった、エル!
と、マリアさんはバシンッ! とカウンターから身を乗り出して殿下の背中を叩く。
「い"っ!?」
「え、エル大丈夫……?」
(かなり痛そう……)
そう私が小声で尋ねれば、彼はうっすらと涙目になりながら、私には大丈夫、と言ったものの、マリアさんに向かって文句を言う。
「少しは加減して下さいよ……」
「大したことないでしょう。 男なんだからシャキッとなさい!」
「そんな言い分ないですよ」
そんなことを言いつつ、殿下の瞳はこの前城にいた時よりずっと、生き生きとしているように見えて。 私は改めて思う。
(“エル”として街の中にいる彼はずっと……、城の中より自由なんだわ)
まるで家族と会話をしているかのようなマリアさんと話す、何処か幼くも、格好良くも見える彼の横顔を見て、心の奥に温かく、穏やかな気持ちが胸いっぱいに広がるのだった。




