“エル”と城下
少し長めです。
そうして二人で話しながら歩いておよそ十分後、私達は城下に着いた。
「! これが、城下……」
私はそう思わずポツリと言葉を零した。
先程も言った通り、城下には来たことがなく、どんな場所だろう、とずっと想像していたけれど……。
私の目の前に広がる、活気に溢れ、多くの人々が行き交う町は、私の目にとても新鮮に映る。
「凄い……、皆楽しそうだわ」
「あー、今日はまた一段と混んでるね。
はぐれないようにしないと」
「!」
そう言って、彼はギュッと私の手を握り直し、私に尋ねた。
「どう? あまり来たことがないと言っていた城下は」
「とっても、素敵な場所に見えるわ」
私は思わず、そう言って笑みをこぼした。
本当に、その通りだった。 行き交う人々は皆、笑顔で溢れている。 そんな、当たり前のようで当たり前でない、尊ぶべき日常……、彼等の生活が窺い知れて。
「……君の目に、そう映っているなら……、良かった」
「え?」
「ううん、何でもない。 ……さあ、行こうか、ミシェル」
「! えぇ!」
私達は二人笑い合うと、城下のメイン通り、ともいえる大きな道を、人波に沿って歩き始めたのだった。
エルヴィス殿下……、いや、此処では“エル”の彼と暫く町の中を散策した後、昼食をとることにしたけれど、どのお店もお昼時で混んでいた為、私達は持ち帰り用にサンドイッチを包んでもらい、それを持って広場を訪れた。
「はい、汚れちゃうかもしれないからこれを敷いて」
「! え、で、でも……」
「気にしなくて良い、万が一こうなるかもと思って用意していたから」
そう言って、ベンチに腰掛けると、彼にポンポンと隣に敷いたハンカチの上に座るように促される。
(……た、確かに、このお洋服は彼から貰ったもので、汚したくない……)
「あ、洗って返すわね」
「えぇ、良いのに」
そう言って、私が彼の隣に座れば、殿下は笑って答えた後、すぐに口を開いた。
「というよりその前に、レストランを予約しておいた方が良かったね」
すまない、そう申し訳なさそうに謝る彼に対し、私はブンブンと首を横に振る。
「そ、そんなこと! 私はこうして貴方と並んで外で食べられるの、とっても嬉しいわ!
……本当に、新鮮だわ」
そう言って、立ち並ぶ建物の間から覗く広い青空を見上げ、息を吸った。
(こんなこと、お父様達が知ったらどう思うかしら。 やはりはしたないと、怒られてしまうのかしら。
けれど……)
「……本当に、楽しい」
「!」
ふふっと自然と笑みを零せば、彼は「本当に君は」とつられて笑みを浮かべてくれる。
そして二人で笑いあった後、彼がサンドイッチが入った紙袋を開けてくれながら言った。
「さ、冷めないうちに食べよう」
「えぇ!」
私は戴きます、と手を合わせてからまだ温かいサンドイッチを頬張っていると。
「美味しい?」
「えぇ!」
「ふふ、それは何より」
「!」
そう言って、彼は私の頰をそっと撫でる。
そして離れた彼の指の先には、私が食べていたサンドイッチの具である卵が付いていて。
「!? ご、ごめんなさい」
いつの間に付いていたのだろう。 恥ずかしくて思わず俯く私に、彼はあろうことか、その指先に付いていた卵を……、食べた。
「ん、美味しい。 君が頰張るのも分かる気がする」
「!?!? 〜〜〜エルヴィ、じゃなくて〜〜〜っ」
「あれ、名前を呼んでくれないの?」
「い、い今はそれどころじゃ……っ」
私は羞恥で悶え苦しむのに対し、彼は「あはは」と楽しそうに笑う。
「〜〜〜え、エルの意地悪っ!」
「! ……だから、そういう時に君はここぞとばかりに僕のツボを心得てるよね……」
「や、やられっぱなしは嫌だものっ」
「そう? 大概僕の方がやられっぱなしだと思うよ? ……君がこうして側に居るだけでね」
「〜〜〜!? そ、そんな風には見えない!」
きっと真っ赤になっているであろう私に対し、彼はそう言ってクスクスと笑う。
「ほら、食べないと冷めてしまうよ?」
「だ、誰のせいだと……っ」
「あれ、僕のせい?」
「っ、も、もう知らないっ」
「ふふ」
私は彼が悪戯っぽく横で笑うのを横目に、サンドイッチを夢中で食べ進めるのだった。
今日二人で歩いて分かったこと。
それは、彼が改めて心から温かい人であり、何より……。
「エル、久し振りだねえ! どうだい? 調子は」
「お陰様で、この通り元気ですよ」
彼が道を歩いていると、お店の先々でこうして声を掛けられる。
最初は彼が王子だとバレていないのか、将又バレないかとハラハラしていたが、そんな心配は無用だったらしく、彼は臆することなく笑顔を浮かべて気さくにそれに対して答える。
(こんなに彼が、城下の人々にも慕われているなんて)
知らなかった。
そんなことを考えていると。
「あれ、エルお兄ちゃん、お隣にいる女の子はだぁれ?」
「!」
不意に私に話が振られる。
見れば、まだ幼い女の子が私をじっと見上げていた。
「あ、え、えーっと」
(ま、まさか此処で話を振られると思わなかった……!)
軽くパニックを起こしてしまう私に対し、口を挟んだのは紛れもなく彼で。
ぐいっと肩を抱き寄せられた後、彼はその子に向かって柔らかく口を開いた。
「僕の一番大切な人、だよ」
「「!!」」
「あら、まあ! エルにも春が来たのねえ!」
「あんなに小さかったエルが遂に女の子を連れてくるようになるとは……」
彼の言葉を聞いていたのは女の子だけではなかったらしい。
そのお店にいた方々が口々にそう言い、これはお祝いだ、などと言って私達に色々な物を渡そうとしてくれるが、それを彼は言葉で制した。
「気持ちだけ、有り難く受け取っておきます。
……今は彼女とデート中なので」
「!」
そう言って、彼にするりと手を取られ、その手の甲に口付けを落とされる。
私が思わず恥ずかしさから身悶えそうになったが、それより先に悲鳴を上げたのは女性の方々で。
「では、これで」
「お、お騒がせ致しましたっ」
何とかそれだけ口を開いた私に対し、殿下に手を引かれ足早に去る間際に聞こえたのは、何て可愛らしい女性だ、あの子には勿体無いくらい素敵な方だ、声まで可愛いなどと聞こえる。
「……ごめん、まさかここまで大事になるとは思わなかった」
「わ、私は、う、嬉しかった、けれど……」
「! そっか、それなら良いや」
そう何処か幼く少年のように笑う彼を見て、私は先程彼に向かって声を掛けていた男性の言葉を思い出す。
「そういえば……、エルは城下のこともよく知っていて、街の方々に慕われているけれど、幼い頃からよく此処へ来ていたの?」
“あんなに小さかったエルが”、そうおじさんが言っていたから、エルとして良く此処へ来ていたから街の方々とこんなに親しいんだ、そう思った私に対し、彼は……。
「!」
「? エル?」
「っ、うん、そう。 ……君の言う通り、幼い頃から僕は此処へ来ていた。
勿論、身分を隠してね」
「! ……そ、そうなのね」
(……聞いては、いけなかったわ)
だってそう言った彼の表情は、
何処か悲しそうで、
何処か遠くへ行ってしまいそうな、
いつかも見た、そんな暗い表情をしていたから。
そう勘付いた私は、思わず彼に繋がれた手をギュッと握ってしまったらしい。
私の様子に気付いた彼は、慌てたように言った。
「っ、ごめん、君にそんな顔をさせたくないと思ってたんだけど……、っ、いや、そうじゃなくて」
「! エル?」
やがて彼は、人がいない路地裏で立ち止まると、私の手を繋いだまま、意を決したように……、でも心なしかアイスブルーの瞳を揺らしながら、私に向かって言った。
「……僕のこと、もっと君に知ってほしい。
だから……、このデートの最後に、きちんと話をさせてほしい」
「! ……良い、の? 無理していない?」
「!」
私は思わず、そう言葉をかける。
彼の話とはきっと、今まで私に話さなかった彼の過去に関することだと思う。
私に話したがらない程の、彼が背負う過去。
それがどんなに辛いことだったか、彼の表情を見るだけでも痛いほど感じてしまう。
そんな私の言葉に、彼は少し間を置いた後、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「……正直、怖い。 君にこんな話をするのはって、何度も……、思った」
「っ、エル」
「だけど、やっぱり聞いて欲しい。
……君のことが、大好きだから。
ミシェルには、知って欲しい」
「! ……エル」
私はそっと彼と繋いだ手の上から、もう一方の手を乗せ、ギュッと包むように握り、それに驚いて目を見開く彼の、アイスブルーの瞳を見つめて言った。
「……聞かせて、欲しい。 話したくないことは、話さなくて良いから。
どんなに些細なことでも、良いの。
ただ……、私はもっと、エル……、貴方のことが知りたい」
「! ……ミシェル」
「私は、貴方の味方だから」
少しでも、私の気持ちが伝われば。
彼の心に、寄り添うことが出来るのなら。
そう祈るように言葉にした私に対し、彼はやがて、漆黒の髪から覗くうっすらと綺麗なアイスブルーに涙を湛えて言った。
「有難う、ミシェル」
そう彼は言うと、私の手を引き口にした。
「その前にもう少し、付き合って欲しい場所があるんだ。
付いてきてくれる?」
「! えぇ、勿論!」
貴方となら何処へでも。
そう口にすれば、彼はまた私の大好きな笑みを浮かべてくれたのだった。




