元婚約者と侯爵令嬢
「だ、第二王子殿下……」
誰かの呟きに、侍従の方々は慌てて礼をする。
その光景を見て、私はエルヴィス殿下の後ろに寄り、同じように礼をした。
(今の私が此処に居ることがバレては不味い。
幸い、変装をしているからパッと見では分からないとは思うけれど、もし此処に来られてしまったら……!)
私は唇を噛み締め、頭を下げ続けた。
そんな私達に対し、エルヴィス殿下は私を庇うように前に立つと、階下にいるブライアン殿下を見下ろして口を開いた。
「こんな朝っぱらから何の用だ、ブライアン。
お前がわざわざ来るような場所ではないだろう」
エルヴィス殿下から包み隠さず発せられる怒気と、言葉の裏に隠された早く出て行けオーラに、思わず冷や汗が流れる。
それに対し第二王子は、そんな彼に挑発するように口を開いた。
「見舞いに来たんだよ、エルヴィス。
勉強なんて慣れないことをするからだ。
好い加減、諦めたらどうだ」
「……!」
(この人、この前のでもまだ懲りていないの……!?)
今すぐにでも反論したい気持ちをぐっと堪えれば、エルヴィス殿下はポツリと捨てるように言葉を吐いた。
「っ、誰のせいでこうなったと思ってるんだ……っ」
(……エルヴィス殿下……?)
ギリッと拳を握り締めてそう小さく吐いたその台詞に違和感を覚えていると。
「……おや? 何だか見慣れない使用人が居るようだが」
「!」
その言葉に、私は思わずひゅっと息を飲む。
そうブライアン殿下が言葉を発した矛先は、間違いなくエルヴィス殿下の後ろにいた私に向けられたもので。
ブライアン殿下は不躾にも、従者の方々を押し退け、靴の踵を鳴らしながら階段を登ってくる。
(っ、もう駄目……!)
ギュッと、侍女用の制服のエプロンを握り締め、俯いている私に、ブライアン殿下は近付き、その腕を伸ばして……。
――……バチンッ
刹那、その手が払いのけられる。
その音に、私は思わず顔を上げると。
「「!」」
エルヴィス殿下が私の盾になるように前に立ち、ブライアン殿下を睨みつけていた。
その行動に思わずエルヴィス殿下を見つめてしまっていたのも束の間、視線を感じてハッとすれば、真正面からブライアン殿下が私を見ていた。
「……っ」
品定めでもするようなそんな不躾な眼差しに、元婚約者であるといえど気持ち悪さを覚え、思わず視線を逸らしてしまう。
そしてその行動にすぐに後悔した。
(っ、いけない! 今此処で視線を外して仕舞えば、私がミシェルだということがバレる……!)
もう終わりだ、そう思って目を瞑った、その時。
ブライアン殿下から発せられた言葉は、驚くべきものだった。
「……はっ、随分とその女がお気に入りのようだな、エルヴィス」
「!?」
私はその言葉に、思わずを目を見張った。
(っ、この人、もしかして……)
――私だと、気付いていない……?
「何処の風の吹きまわしだ。 侍女なんて、付けたことがないだろう。
それともなんだ? 婚約者がいるというのに、この女がお気に入りというわけか?」
「!!」
私はその言葉に、酷く驚き……、傷付いている自分がいて。
(何年も……、ずっと、この人の婚約者をしていたのに……、この人は一体、私の何を見てきていたというの……?)
別に、ブライアン殿下に対して好感を持っていたわけでも、好意を抱いていたわけでもなかった。
政略結婚だから、当たり前。
そう自分に言い聞かせ、家族の為に、彼の為にだって、命令に抗ったことも、努力を怠ったこともなかった。
……でも、それは。
(ずっと前から、分かっていた。 ブライアン殿下にとって私は所詮、ただの彼を着飾る為の“装飾品”に過ぎなかったんだって……)
「……ふふっ」
「!? 何がおかしい」
自然と、私の口から飛び出たのは、乾いた笑いだった。 それを聞いたブライアン殿下が眉間に皺を寄せる。 すると、声をあげたのはエルヴィス殿下だった。
「……っ、ふざけるな……」
「は? 何だって……っ!?」
「っ、エルヴィス殿下っ!!」
怒気を孕んだその口調に、私が慌てて彼を止めようとした瞬間。
エルヴィス殿下はブライアン殿下の胸倉を掴み、ドンッ!という音ともにブライアン殿下の背中を壁に打ち付けた。
そして、ギリギリとその首を、締め上げるように胸倉を掴んだ手を持ち上げる。
それを見て、私は思わず彼の腕を掴んだ。
「……っ、やめて、エルヴィス」
「「!!」」
私はそう、彼の名を呼んだ。
心臓の鼓動が速く、体は勝手に震えてしまっていて。
「大丈夫、だから」
私がそう自分にも言い聞かせるように口にすれば、エルヴィス殿下はそっと手を下ろし、私を見つめた。
それにより、ブライアン殿下は解放され、苦しげな顔をしながら咳をし、呼吸を整えた。
「……まだ、気が付かないのか」
エルヴィス殿下は私の様子がおかしいことに気が付いたのだろう、私の代わりにブライアン殿下に向かって口を開いた。
そして顔を上げたブライアン殿下の前で、私は無言で茶の髪を引っ張った。
「……!? み、ミシェル!?」
その茶の髪の下から現れた私の銀色の髪を見て初めて、ブライアン殿下がそう名を呼んだ。
私は思わず、その声を聞いて口を開く。
「気安く名前を呼ばないで」
「!」
自分でも驚くほど、私の口から冷たい言葉が飛び出る。 そんな私に対し、ブライアン殿下は押し黙ってしまった。
それもそのはず、彼に対してこんなに冷たい口調で制したことなど、今迄の私ならあり得なかったから。
そんな彼に向かってゆっくりと、私は言葉を紡いだ。
「……まさか、私に気が付かないだなんてね。
一体貴方は、婚約者でいた私の何を見てきていたのかしら。
所詮貴方は、婚約者のことをただの“飾り”だとでも思っているのかしらね。
……マリエットさん、だったかしら。 貴方の婚約者になるなんて、哀れな方ね」
「……ミシェル」
私の言葉を聞いて口を開いたのは、ブライアン殿下ではなくエルヴィス殿下だった。
私はそんな気遣わしげに私を見る彼に向かって、苦笑交じりに笑って見せてから、またブライアン殿下に視線を向けると、笑みを消して口にする。
「好い加減にして。
……もう私の名を気安く呼ばないで。 それから私達に関わってこないで。
もう貴方とは、赤の他人そのものよ。
……それから、これは最後に、私からの忠告よ」
私はすっと息を吸うと、ブライアン殿下の顔を覗き込み、強い口調で言った。
「貴方、その態度を改めないと、その内誰からも見向きをされなくなるわ」
「……!?」
彼は心底、驚いたような表情を浮かべる。
私は息を吐き……、くるっと踵を返して言った。
「……貴方にはがっかりだわ」
そう口にしてから……、言いようのない酷い虚無感を覚える。
(……婚約破棄されたときのことを思い出してしまったわ)
私は軽く首を振ると、エルヴィス殿下の指をそっと掴み、口を開いた。
「……行きましょう、エルヴィス。
これ以上は時間の無駄だわ」
「! ……あぁ」
失礼する、そうエルヴィス殿下は侍従の方々に向かって言い、私も彼に続き淑女の礼をする。
そしてブライアン殿下には何も言わず、過ぎ去ろうとした時、エルヴィス殿下のアイスブルーは無言で彼を睨み付け、そして私の手を強く握ると、その手を引いて足早に歩き出す。
私はそんな彼の後ろを歩きながら……、堪えていた涙が止まらなくなってしまうのだった。




