第一王子の誓い
そうして彼に寄り添っていたら、コンコンと扉をノックする音が耳に届いて。
私は慌てて彼から離れれば、彼が扉の方を見て舌打ちしかけたのは……、気の所為ではないだろう。
そしてチラッと時計を見て言った。
「きっと君の家族に、君が帰ることを伝えたという爺からの報告だよ」
「!」
(殿下は執事さんのこと、“爺”って呼んでいるのね……)
そう呼んでいるということは気を許している証拠だわ、などと私が考えている内に、彼が不意に私の手を引いて扉に向かう。
その行動の意図が分からず、私は首を傾げた。
「で、殿下? 何故私の手を引いているの?」
「君を、連れて行きたい場所があったから」
「!? え、で、でも私が城の中を歩くのは……!」
お忍びで訪れているからあまり部屋から出ないようにしていたのに!
と私が抗議しようとすれば、その私の唇に彼の人差し指が触れる。 そして、彼は微笑みを浮かべて言った。
「大丈夫、僕を信じて」
「!」
そこまて言われてしまったら、私も反論することは出来なくて。
ガチャ、と扉を開けた先にいたのは、殿下の言う通り執事さんだった。
執事さんは殿下が私の手を引いていることに気付き驚いたような顔をしている間に、彼は先に口を開いた。
「伝令御苦労。 だが私は、まだやりたい事があることを思い出したから、彼女にもう少し付き合ってもらうよ」
「っ、は? ぼ、坊ちゃん!? 何処へ行かれるのです!? お、お嬢様を連れて行かれるなんて言語道断ですよ!! 聞いていらっしゃいますか〜!?!?」
「し、執事さんが困っているわ……」
「大丈夫大丈夫」
彼はそう悪戯っぽく微笑み、立ち止まるどころか私の手を引いたまま離してはくれない。
そんな彼に何処へ行くのかも分からないまま連れて行かれた場所は。
「!? で、殿下、私が出ては不味いのでは」
「大丈夫、爺から皆話を聞いている者達だから」
そう言って彼は、玄関ホールの階段の上からすっと息を吸うと、下に居た……、おそらく朝礼中であろう侍従の方々に向かって声をかけた。
「失礼する」
「! 第一王子殿下!?」
「如何して此処へ……」
その殿下の一言に、侍従の方々が一斉に殿下を見上げ、どよめきが広がる。
……そして、その後ろにいた私にも視線が集まって。
「っ、で、殿下、私」
「大丈夫、胸を張って。 君は僕の自慢の婚約者だから。 ……皆に、紹介させて欲しい」
「!」
(……そうか、だから彼は、私を此処へ連れてきたのね)
殿下の周りで働いてくれている侍従の方々に、私が婚約者だと紹介する為に。
「……良いの?」
「え?」
「私が……、貴方の隣に、立っても」
私は、この城の人達にどう思われているのか分からない。
元は第二王子の婚約者だった私が、婚約破棄されてからすぐ、こうして第一王子の婚約者になっているんだもの。
「! そんなの、決まっているだろう?」
彼は思わず躊躇ってしまった私に気付き、そっと微笑むと、私に向かって手を差し伸べた。
「というより、それを言うなら僕の方だ。
……この手をとって、僕の隣に立ってくれないか」
「!!」
そんな彼の真っ直ぐな言葉が嬉しくて。
不意に泣きそうになってしまう私に対し、彼は困ったように笑う。
私は慌てて目元を拭うと……、そっと手を取って頷いた。
「えぇ」
その言葉に、彼は破顔すると、私の手をそっと引いて隣に立たせ、凛とした口調で告げた。
「改めて、私の婚約者を皆に紹介させて欲しい」
そう言って、彼は私の背にそっと手を添えると、私に対し柔らかな微笑みを浮かべてくれながら口を開いたのだった。
「彼女は僕の婚約者の、ミシェル・リヴィングストン嬢だ。
ミシェルからも、挨拶出来る?」
「! えぇ」
彼の言葉にしっかりと私は頷き、皆に顔が見えるように少し前に出る。
それにより、皆の視線が私に集中する。
緊張から鼓動が早鐘を打ち、情けなくも指先が震えてしまう。
(っ、人前に立ってこんなに緊張するなんて、いつ以来だろう)
正直、第二王子殿下の隣に立つ時に、これほど緊張したことはなかった。
今迄で一番緊張したことと言ったら……、デビュタントの時と、それから……。
(今、こうして彼の隣に立っている時)
殿下は言葉では表せないほど、素敵な人。
真っ直ぐで、優しくて、温かくて。
(だから、私は)
前を向けるの。
私は震える自分の心を奮い立たせると、皆に向かって笑みを浮かべた。
彼のお陰で心からの笑みを浮かべられることに、感謝しながら……。
そして私は、侍女服の裾を摘み、淑女の礼をして口を開いた。
「改めまして、ミシェル・リヴィングストンと申します。
宜しくお願い致します」
そう私が口を開けば、彼が私の手をそっと取り、私の目線の高さくらいに持ち上げた。
(? 殿下……?)
その行動に驚いていると、彼は私に向かって目を細め、柔らかな笑みを湛えた。
思わずその表情に見惚れてしまっている私に対し、彼は今度は侍従の方々に目を向け、口を開いた。
「皆も知っての通り、彼女は第二王子である彼の婚約者だった」
「「「!」」」
その言葉に、侍従の方々の間でどよめきが起きる。
私もその言葉に思わず身を強張らせた。
それに気付いたのか、彼に取られた手に力が込められ、ギュッと私の手を握った。
そして、一拍置いた彼は、「だが、」と先の言葉を続ける。
「あらぬ噂が立っていたようだが、それは全て誤解だ。 彼女は何も悪くない。
だから私は、その噂の根源を突き止め、此処にいる彼女と共に無実を証明してみせる。
……皆に迷惑をかけることがあるかもしれないが、付いてきてくれたら嬉しい」
「「「!」」」
彼の言葉に、私は不意に泣きそうになってしまう。
(此処へ私を連れて来てくれたのは、私を婚約者として紹介するだけではなく、私の婚約破棄の際に流れた噂が事実無根であることを、証明すると誓う為、だったのね)
誰がこんなこと、予想しただろう。
両思いになって、彼の隣に立つことを許してもらっただけでも、思わず泣いてしまうほど嬉しかったのに。
“まだやりたい事があることを思い出したから”……、彼はそう執事さんに言っていたのが、私の為を思ってのこと、だったなんて。
(本当に、彼は……)
ギュッと彼に握られた手を握り返すと、それに気付いた彼が私を見、また視線を戻すと、今度は力強く宣言した。
「それから、私はどんなことがあろうと、この手を離すつもりはさらさらない」
「「「!」」」
「! ……エルヴィス、殿下……」
思わずその名を呟けば。
彼は私を気遣いながら繋いだ手を掲げるように前に差し出し、念を押すようにその先の言葉を紡いだ。
「私の婚約者は、今もこの先の未来もただ一人、ミシェルだけだ。
例え誰に何を言われようと、これだけは譲れない。
……未来永劫、君と共にこの先の未来を、歩んでいきたい」
「!! ……っ」
思わず、彼を見てハッと息を飲んでしまう。
まるで求婚のようなその言葉が、心に真っ直ぐと響き、そして最後の言葉は、私に視線を向けてから告げられたもので。
それを境に、留めていたものが溢れ出し、涙になって頬を伝う。
私はその涙を拭うことも忘れ、彼の方を向いてゆっくりと口を開いた。
「っ、私も……っ、貴方と、共に」
居たい。
そう言葉を紡ごうとした、次の瞬間。
「其処で何をしている!」
「「!?」」
その鋭い声を聞き、私は思わず殿下から距離をとる。
(っ、まさか!)
私と殿下、それから皆がその声のした方に視線を向ければ。
誰かがポツリと、震えるような声で呟いた。
「……だ、第二王子殿下……」
そう、それは他でもない、私の元婚約者である第二王子が、厳しい眼差しで私達を睨みつけていたのだった……―――




