侯爵令嬢と殿下付き執事
その後、殿下は執事さんが持ってきたお粥を数口食べ、薬を飲んだ後、すぐに再び眠りについてしまった。
その顔色は相変わらず悪かったけれど、先程のようには魘されてはおらず、小さな寝息を立てて眠っている彼を見て良かった、と私は一先ず安堵していると。
「……ミシェル様がお越し下さり良かったです」
「え……」
私に向かってそう言葉を発したのは、他でもない執事さんだった。
私が驚きの声を上げたのに対し、執事さんは時計を見て言った。
「……そろそろ、お医者様がいらっしゃるお時間ですね。
宜しければミシェル様、隣室へ移動して私の独り言を、聞いて頂けませんか?」
「……独り言……?」
首をかしげる私に対し、執事さんは「えぇ」と頷き、殿下をそっと窺い見た。
その行動に何となく勘付き、私は口を開いた。
「でも……、殿下に、怒られてしまいませんか?」
「! ……ふふ、大丈夫ですよ、貴女様なら。
それに、私も殿下の御心は心得ているつもりでおりますから、私の口から申し上げられるのは、あくまでミシェル様への“助言”だけ。
御安心を」
「……それなら」
私はそう言って立ち上がり、執事さんの案内された隣室へと案内されるのだった。
案内された隣室は、応接室のような所で。
私が座ると、執事さんは簡易式の調理場で紅茶を淹れてくれ、コト、と私の目の前に置いてくれる。
「有難うございます」
「いえ、こちらこそ。 お坊ちゃんの為に来て下さった上、こんな爺の独り言に付き合って頂き感謝致しますよ、ミシェル様」
「いえ、そんな」
謙遜したようにそう言われ、頭を下げる執事さんに対し、私は慌てて言葉を返す。
「私は、その……、大したことは、しておりませんから。
逆に、救ってもらってばかりにいるのは、こちらの方なんです」
「!」
私はそう呟くように言い、紅茶の入ったティーカップを手に持つと、「冷めないうちに戴きます」と言って口を付ける。
温かい紅茶が、喉を通ってそこから温かさが胸いっぱいに広がる。
「美味しいです」
私がそう言って笑みを浮かべれば、執事さんは「それは良かった」と、笑みを返してくれる。
そして、執事さんは口を開いた。
「……お坊ちゃんが、ミシェル様に心惹かれたお気持ちが、分かるような気がします」
「!」
「ミシェル様は、第二王子殿下の婚約者でいらっしゃった時から、お坊っちゃんが貴女様を気にかけていたことは、御存知ですよね?」
「っ、は、はい」
(し、執事さんにまでバレていたのね……)
そのことをいざ言われると、恥ずかしさが込み上げてきて。
私は思わず紅茶を見つめながらそう返せば、執事さんは少し笑ってから口にした。
「私は、坊ちゃんの幼い頃から……、そうですね、それこそ亡き母君に坊ちゃんのことを直接頼まれた身ですので、私はお坊ちゃんとの付き合いは、この城で一番長いのです」
「……!! 亡き、お母様から……」
私は思わず驚いてしまえば、執事さんは頷き、懐かしむようなに言った。
「そう、エルヴィスお坊ちゃんの亡き母君である正妃殿下が、私をお坊ちゃんの世話係にと任命して下さったのです」
「……そう、だったんですか」
「えぇ。 ……私には妻はおりますが、子供はおりませんので、その命を受けた時はとても不安でした」
そう言って、執事さんは胸に手を当てそっと目を閉じ、思い出すように言った。
「その不安は案の定的中してしまったのです。 私は、そのお言葉通り、生まれた時からお坊ちゃんの世話役を任されたものの、しっかりと出来た試しはなく……、結局、私の妻がいつも支えてくれておりました」
「……エルヴィス殿下は、幼い頃はどういう方、だったのですか」
私の質問に対し、執事さんは笑って答えた。
「それは、なかなかに難しい質問ですね。
……何故かって、下手なことをお嬢様に申し上げてしまえば、お坊ちゃんに怒られてしまいそうだからです」
「た、確かに……」
(さっきも執事さんの言葉は右から左に、なんて言われたばかりだわ)
脳裏でそんなことを思い出し苦笑いすれば、執事さんは「いや、」と口を開く。
「何も、お嬢様が心配されるような、お坊ちゃんは野蛮だった、とかそう言うわけではありませんよ。
……寧ろ、その逆です」
「逆……?」
「えぇ。 ……あまり私の口からは言えませんが……、そうですね、お坊ちゃんは良い意味でも悪い意味でも、手のかからない方でした」
(手の、かからない……)
執事さんの意図は分からないけれど、そう言った執事さんの表情は何処か、憂いを帯びているように見えて。
それは決して、良いことなのではなく、執事さんにとって悪いことなのだと勘付いた時、「ですが」と執事さんは私を見て口を開いた。
「そのお坊っちゃんがある日、何処か生き生きとした表情を浮かべたのです」
「? ある日って……」
「それは、貴女も御存知だと思いますよ」
「? ……っ、まさか……」
私は一つ思い当たることを思い出し、執事さんを見れば、それに対し頷きながら執事さんは言葉を続けた。
「第二王子殿下の御婚約者を決めるパーティー……、そう、貴女様がそのパーティーで選ばれた、あの日のことです」
「!!」
執事さんのその言葉に、私は……、思わず言葉を発してしまう。
「で、では、その、殿下が生き生きとした目をしていた、というのは……、彼が私を、見つけたから、ということですか……?」
震えそうになってしまう声でそういえば。
執事さんは首を縦に振った。
(で、殿下の言っていたことは……、第三者が見ていても分かるように、その時から私の存在を、彼が意識していたということ……?)
「……私は、貴女にずっとお礼を申し上げたかったのです」
「え……」
「彼を、選んで下さってありがとうと」
「……!」
そう言って執事さんは、私を見てにこりと微笑んだ。
その心からの笑みに対し、私は持っていたカップをギュッと握り、口を開いた。
「それを言うなら……、私の方です。
第二王子殿下に婚約破棄をされ、学園まで追い出されることになった私は、留学を決意しました。
ですが、それを止めてくれたのは殿下だった」
今でも覚えている。
あの日、自らお忍びでと私の家にまで足を運んでくれて、彼に突きつけられた。
“君はそれで良いの?”、“逃げていることと同じなんだよ”と。
「……その時私は、初めて気が付いたんです。
第二王子殿下の婚約者でいる為に、私はずっと、自分の本当の気持ちを押し殺して生きてきたんだと。それが当たり前の“淑女の嗜み”だと思っていたから。
……お恥ずかしながら、それをエルヴィス殿下に言われて初めて気が付いたのです」
「……ミシェル様」
俯きがちに言った私を心配するように、執事さんが声を掛けてくれる。
私は「でも、」と顔を上げ、微笑んで見せた。
「彼は何度も、そんな私に言ってくれたんです。
“自信を持って”、“僕は君のそういうところが好きだから”って。
……いつも、側にいてくれて……、私が、欲しい言葉を掛けてくれて。
いつだって、勇気をくれたのは、あの方だったのです。 でなければ、今私が此処に居ることだって、絶対になかったでしょう。
だから……、お礼を言うのは、私の方なんです。
そして、今度は私が殿下の側で、その気持ちを伝えていけたらと思って、今こうして此処に居るんです。
……かなり、冒険、してしまいましたが」
(まさか変装してメイドの格好をしてお城にいる、なんて言ったら、お父様にきっと叱られるわ。
……お母様とメイは別だけれど、お城の方にも迷惑をかけてしまっていると思うし)
そう言って、苦笑しながら茶の髪を持ち上げて見せれば。
執事さんの瞳が、少し潤んでいるように見えて。
驚いた私に、執事さんは「いいえ、」と口にして言葉を続けた。
「ミシェル様がこうして来て下さったこと、私は本当に嬉しく思います。
それは、エルヴィスお坊ちゃんとて同じでしょう。
……あんなにお坊ちゃんが楽しそうにしているところを見るのは……、本当に、久し振りで。
私共は嬉しいのですよ、ミシェル様」
「! ……それなら、良かったです。
無茶をした甲斐がありました」
そう言って少し笑って見せながら、私は頭を下げた。
「もう少しの間だけ……、エルヴィス殿下のお側に居させて下さい。
宜しくお願い致します」
そう私が告げたのに対し、執事さんは「こちらこそ、宜しくお願い致します」と頭を下げたのだった。




