手を取り合って
「……ふぅ」
パタンと本を閉じ、思い切り伸びをする。
「お嬢様、お勉強は終わられましたか?」
「えぇ、明日からの試験、とても楽しみだわ」
「と、とても楽しみ……、試験でそう仰るのは、お嬢様くらいでしょうね……」
メイはそう苦笑いした後、ポンと手を叩いた。
「そうそう、お嬢様。 お勉強が終わり次第、応接室へ来るようにとの奥様からの御伝言です」
「? 応接室……? お母様が?」
「はい」
「何故……?」
「それは、私にも分かりません」
彼女はそう言って首を横に振った。
(お母様から応接室へ呼び出しなんて……、あまりないことだわ。
メイは知らないみたいだし、何だろう?)
「取り敢えず、行ってみましょうか」
「はい」
私は疑問に思いながらメイと共に、応接室へと向かう。
そして、応接室の扉をノックしてみたけれど、返事はなくて。
「……? 入っても良いかしら?」
「大丈夫、だと思いますが……」
私は不思議に思いながら、ガチャっと扉を開け……、驚き目を見開く。
「っ、あ、え……」
私は驚きのあまり、間抜けな声が飛び出てしまう。
私の視界に映ったのは、応接室のソファに座り、本を読む人物の姿で。
そして、その人はさらりと金色の髪を揺らしながら顔を上げ、私の方を向いたその瞳は、綺麗なアイスブルー。 その顔に、朗らかな笑みを湛えて彼は口を開いた。
「ミシェル」
「っ! え、ええエルヴィス殿下!?」
「! だ、第一王子殿下がお呼びだったんですか!?」
メイも私の後ろから覗き、驚いてそう声を上げた。 そんな私達を見て、彼はははっと困ったように笑う。
「あれ、驚かせてしまったかな? ……まあ、無理もないか」
「い、いつからいらっしゃっていたの?
……まさか、私が勉強を終わるまでずっと、ここで待っていてくれたということ……?」
「あぁ、そんなことは気にしないで。
僕も君を待っている間に勉強していたしね。
……少し、話をしないかと思っただけだから」
彼がそう朗らかに笑って言えば、何故かメイは嬉しそうに口を開いた。
「では、邪魔者はお暇致しますね! ミシェル様、ファイトです!」
「は!? メイ、何言っ……」
私がメイの言葉に慌てて振り返ったが、その間にパタンと扉が閉まる。
一部始終を見ていた彼は、耐えきれないとばかりにククッと吹き出して笑った。
「はは、君の侍女が気を利かせてくれたんだね。 面白い」
「! ……ふふっ、そうね」
少し恥ずかしかったけれど、それによって殿下の笑顔が見られたと、私の気持ちは温かな心地が広がっていく。
「ミシェル、此方に座って」
「! ……え?」
彼にそう言われ、私は少し戸惑ってしまう。
それは、彼がポンポンと自身が座っていた長椅子の横を叩いたからだった。
「っ、え、えっと……」
「あれ? ミシェルは、僕の隣に座るのは嫌?」
「……っ、そ、そんなこと言うなんて……、ずるい」
「! ははっ、ミシェルは本当に可愛らしいね」
ほら、おいで。
そう柔らかく、何処か甘い声で言う彼に導かれるように、隣に座れば。
(……って、思ったより近い……!)
近い距離にいる彼の視線から極力逃れるように俯いていると、彼はそんな私を見て少し笑みをこぼしてから口を開いた。
「ごめんね。 試験前日なのに来てしまって」
「っ、そんなこと! ……わ、私はその……、貴方に会えるとはまさか思わなくて……、嬉しかった、から」
「! はは、ミシェルは嬉しいことばかり言ってくれるね」
「!」
そう言って、彼は私の銀の髪をさらりと撫で、指先で軽く弄ぶようにしながら言った。
「……本当は、話す用なんてなくて此処へ来たと言ったら……、君は怒る?」
「え……?」
彼の言葉に思わず顔を上げれば、彼は困ったように笑って言った。
「君の顔がただ、見たかっただけなんだ。
……無性に君に会いたくなって、我慢できなくて……、気が付けば、此処へ来てしまった」
「!! わ、私に……?」
「うん。 ……なんて、明日学園で会えるのに変だよね」
「へ、変なんかじゃないわ!」
「!」
思わず私の口から大きな声が出てしまい、彼も私自身も二人で驚いてしまう。
私は慌ててコホンと軽く咳払いしてから口を開いた。
「わ、私も、その……、貴方に会いたかったから」
「! ……〜〜〜」
「? エルヴィス殿下?」
「……どうして君は、そんなに可愛いの……?」
「へ? ……っ」
刹那、私の体は温かな温もりに包まれる。
それは、彼に抱き締められたからで。
「……ミシェル」
「っ」
甘く、いつもより低い声音で、私の耳元で吐息交じりに囁く。
「……最近格好悪いところばかり見せてしまっているね。 すまない」
「! ま、まだそんなこと、気にしていたの?」
「!? するに決まってるだろう!」
「っ、え……?」
ぐいっと体を離され、彼のアイスブルーの瞳が私の瞳をじっと見つめる。
そして、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「……好きな子の前では、格好つけたいから」
「!! ……で、でも、私は、」
彼の言葉に対し、私の思いが伝わるようはっきりと告げる。
「貴方が言う、“格好悪い”所も全部含めて、貴方が好きだから」
「!? え……」
「というか、貴方がそういう所を隠してしまったら、私のことばかり貴方に何でも知られてしまっている気がするわ。
それはそれで不公平だと思わない?
私が……、貴方に守ってもらっているのと同様、私だって、貴方を守りたいのに」
「! ……ミシェル」
「言ったでしょう? この前……、私にもっと甘えて欲しいって。
だから……っ」
その言葉の続きは、言えなかった。
それは、彼の唇が私の唇に重ねられたからで。
その一瞬の出来事に、私は固まってしまう。
「……っ!?」
「……君がもっと甘えて欲しい、なんて言うものだから、つい」
そう言って彼は、ペロッと自分の下唇を舐める。
その一連の動作をようやく理解した私は……、多分これ以上ないというほど顔が赤くなるのが分かって。
「〜〜〜そっ、そ、そういう意味で言ったんじゃない!!」
「え? 違うの?」
「っ、そ、そんな顔をしても駄目! ……というかエルヴィス殿下、元から貴方はそういうことに関しては甘すぎると思うわっ!!」
「えー、だって、」
「っ!」
ミシェルが可愛すぎるのが悪い。
そう彼は、私の髪を耳にかけそっと呟くものだから、私はせめてもの抵抗をと、彼の胸を軽く叩いてみる。
そんな私に対し、彼は楽しそうに笑った後、ふっと笑みを消し、私を慈しむように見て口を開いた。
「……甘えて良いなんて人から言われたの、初めてなんだ」
「え……」
「だから、どう甘えれば良いのか……、分からなくて」
「! ……っ」
その言葉が、私の胸に深く突き刺さって。
思わず私は、そんな彼に向かって手を伸ばしていて……。
「! ミシェル……?」
「……っ」
私は立膝になって、彼の頭を抱きしめた。
そして、驚いて私の名を呼ぶ彼の金色の髪をそっと撫でる。
(っ、こういう時に限って、如何して言葉が浮かばないんだろう)
エルヴィス殿下はいつだって、私の欲しい言葉をかけてくれるのに。
それなのに私は、こういう時にかけるべき言葉を……、彼を励ましてあげられる言葉を、見つけられない。
(……不甲斐ないわ)
こういう時こそ、今迄勉強してきたことを役立てられれば良いのに。
「……ミシェル」
「……!」
そう私の名を呼んだ彼の声が、微かに震えているのが伝わって。
そんな彼は、私の腰に手を回すと……、ギュッと強く、私を抱きしめた。
そしてそっと、小さく口にした。
「ありがとう」
「!」
私はその言葉に首を横に振り、一筋涙が頬を伝ったのだった。
「顔だけ見て帰るつもりが、長く居座ってしまってごめん」
「そんなこと! ……貴方と話せて、嬉しかったわ」
私がそう笑みを返せば、彼も笑みを返してくれる。
そして、私の手を取ると立ち上がった。
「さて、そろそろ帰らなければね。 名残惜しいけれど」
「っ」
「明日から試験だしね」
彼はそう言いながらも、歩き出そうとはしなくて。
「……殿下?」
そう彼を呼べば、彼はゆっくりと私に向かって噛みしめるように言葉を紡いだ。
「……明日の試験、僕は君の為に頑張るよ」
「え……」
「何て、変かもしれないけれど。 ……でも君と一緒に、この学園を卒業したいから。
だから……、見ていて。 必ず、それを証明して見せる」
「! えぇ、勿論! お互い、頑張りましょう」
私はそう言って、手を差し出す。
彼は大きく頷き、その手を握ったのだった。
そうして再び手を取り合った、星々が輝く試験前日の夜。




