感謝と甘い我儘
「……ふぅ」
火照った体を冷ますように、バルコニーの手すりに体を預け、小さく息を吐けば、隣に居たエルヴィス殿下が柔らかな口調で私に言葉を掛けた。
「お疲れ様、ミシェル嬢」
「有難う。
……でも、それを言うなら貴方の方だわ。
この短時間の間に、どうやってあんな小さなピンバッジを、噴水の中から見つけられたの?」
その言葉に、彼は「あぁ、あれは」と何ともないという風に笑って言った。
「学園の設備なんて幾らでもいじれるからね、噴水の水を止めるくらいわけはないさ」
「……な、成る程……」
(そんな簡単に学園の設備をいじれるものかしら……? というよりこの方、本当に良く学園のことを知っていらっしゃるのね……)
「それに、僕には頼りになる“協力者”が居るからね。
設備は僕が弄って、後はその人に頼んだと言うべきかな」
「協力者……?」
「まあ、それはいずれ話すとするよ」
そう言って彼は、夜空に浮かぶ金色の月を見上げる。
私はそんな彼とは対称的に、少し俯き加減で口を開いた。
「ごめんなさい」
私の言葉が耳に届いた彼が、驚いたように私を見て口を開く。
「? どうして謝るの?」
「っ、だって……、私、貴方に助けられてばかりだから」
私は視界に映る淡い水色のドレスの裾をギュッと握って言葉を続けた。
「このパーティーの準備だけではなく、当日の仕事も、その上第二王子の婚約者の証まで噴水の水を止めてまで探させてしまった。
私自身もそれで濡れてしまった時には、こんなに素敵なドレスを、私にもメイにも用意してくれていて……、私は、貴方に此処までしてもらっていて、何も返せていないのに、どうして……!?」
私のその後の言葉は紡げなかった。
それは、彼に強く抱き締められたからで。
突然の出来事に驚き黙ってしまう私に対し、彼は抱きしめる腕に力を込めながら、私を諭すように口を開いた。
「前にも……、君に言ったでしょう?
僕は君に好意を抱いているから、自分の好きなように動いているだけだって。
君はその“好意”を“利用”すれば良いだけだよ。
……まあ、君はそういうことをするような人ではないと、僕は知っているんだけどね」
彼はそういうと、そっと体を離し、今度は私と視線を合わせてその先の言葉を紡ぐ。
「僕の行動は、君の為だけではなく、僕自身の為でもあるよ」
「……例えば?」
「! ……ふふ、そう来たか」
彼はそうだな、と考えてから口を開いた。
「君が着ているそのドレス。
その色、僕の瞳と同じ色だとは思わなかった?」
「! ……お、もったわ」
「はは、だろうね。 だってそのドレスの色も素材も形も、全て僕がデザインしたものだから」
「!?」
彼の言葉に、私は思わずドレスを見る。
その反応に彼は悪戯っぽく笑い口にする。
「君にはマーメイドドレスなんかより、お姫様みたいなドレスの方が似合うと思った。
……着る着ないは関係なく、君にもただ、制服姿ではなくドレス姿で、この学園の生徒が楽しむ会に、君が参加したらどんなに素敵だろうって」
「! ……エルヴィス殿下」
「僕の願いは、ただ一つ」
彼はそう切ると、私の頰にそっと手を添える。
そして、ふっと瞳を細めて口にした。
「君が……、ミシェル嬢が、笑顔でいること」
「……!」
彼はそう言って笑うと、今度は私の胸元で光るダイヤモンドが散りばめられたネックレスに触れた。
「……君には、話しておこうか」
「……?」
私はその言葉に、彼を見上げれば、エルヴィス殿下は少し逡巡した後、「もう吹っ切れているんだけどね、」と前置きをしてから口を開いた。
「このネックレスは……、僕の母親の形見なんだ」
「……!? え……」
彼の言葉に、私は思い出す。
(そうだわ、エルヴィス殿下を産んだこの国の本妻であるお妃様は、私が生まれた年くらいに亡くなったと、お母様が言っていたわ)
「その母の形見は、殆ど残っていない。
だけど、幾つかは僕の部屋に、まるで隠すように大切にしまってあったんだ。
……手紙と一緒に」
「……手紙?」
私の言葉に彼は頷き、そっとネックレスのダイヤをなぞりながら口にした。
「“貴方の、大切な人に贈って”と」
「……!」
私は思わず、息を飲んだ。
そして彼を見上げれば、アイスブルーの瞳がじっと私を見つめていて。
昼間とは違い、夜闇の中で浮かぶ月の光が彼の横顔を妖艶に映し出す。
そして驚く私に彼は苦笑いをして言った。
「……ごめん。 こんな重い話、言うつもりはなかったんだけど……、君が僕にとって、どれだけ大事に思っているか、少しでも伝わって欲しかったんだ」
「! ……」
私は、思わず言葉を失ってしまう。
それを心配した彼が、私から離れると口を開いた。
「ごめん。 そんなに深く考えなくて良いよ。
僕が勝手にしたくてやったことで、君を苦しめるつもりは……っ」
私はそんな彼の言葉を聞いていられなくて……、気が付けば、ギュッとその背中を抱き締めていた。
「!? み、ミシェル嬢?」
いつも落ち着いている彼の焦ったような声を聞きながら、私はその背中に顔を埋めて口を開く。
「違うの、重いとかそういうことではなくて……、嬉しくて」
「!」
亡くなったエルヴィス殿下のお母様の、数少ない形見。
私が受け取って良い物なのかは分からないけど、そんな大切な物を私に付けてくれて。
“やっぱり似合う”と微笑んでくれて。
「……貴方は……、素敵な王子様だわ」
皆の前で発言する彼の横顔、堂々とした立ち居振る舞い、幾度となく差し伸べられた手。
その全てに、どれだけ救われたことか。
「……“ごめんなさい”では失礼ね」
私を信じて、真っ直ぐに思いをぶつけてくれる。
そんな貴方に、私が掛けるべき言葉は。
「有難う」
「……!」
何度紡いでも足りないくらい、感謝しているから。
私は笑みを浮かべ、彼にそう口にすれば。
エルヴィス殿下はハッとしたように小さく何かを呟いた後、私の手を取って言った。
「ねえ、ミシェル嬢。
僕の我儘を一つ、聞いてくれる?」
「! えぇ、貴方の望みなら何でも」
突然の言葉に少し戸惑いながらも頷けば、今度は彼が驚いたように目を見開き……口にした。
「……“貴方の望みなら何でも”なんて……、やっぱり、君はずるいな」
「? どうして……っ」
疑問に思ってそう尋ねた私の言葉は、また彼によって遮られる。
でも今度遮られた時には、その距離が彼に腕を引かれたことによって一気に近くなって……、不意に頰に柔らかな感触が訪れる。
「〜〜〜!?」
それが彼の唇だと気付いた時には、彼はふっと妖艶に笑っていて……、私の唇にそっと人差し指を置いて口にした。
「……君と想いが通じ合った時まで、唇にはしない。
その代わり、せめて今日だけは僕のことで頭をいっぱいにして。
僕の可愛い愛しの婚約者殿」
「っ!?」
彼の吐息交じりの声が、耳元で甘く擽ぐる。
その声に思わず足から力が抜けそうになったのに気付いた彼が、私の腰を支えて見下ろす。
その表情は、何処か妖艶にも、悪戯っぽくも見えて。
彼の言葉通り……、いや、彼の言葉以上に、私は暫くその言葉と表情が、頭から離れないことになるのだった。
こうして波乱の、新入生歓迎パーティーの幕は無事(?)に、静かに閉じたのであった。




