第一王子の願い
「!」
驚き目を見開けば、温かな温もりの正体は、彼が白制服の上着を脱いで、私の肩に掛けてくれたからで。
お礼を言う間も無く彼は、私の両脇に手を添えると、ヒョイっと私の体を持ち上げた。
その一瞬の行動に目を瞬かせた私だったが、ハッと我に帰り慌てて口を開いた。
「え、ええエルヴィス殿下!?」
「君は……、凄いよね」
彼はそういうと、私をストンと濡れていない噴水の淵に座らせた。
そして私の髪を撫で、言葉を紡ぐ。
「……説明しなくて良い。 事の始終は分かっているから」
「!? み、見ていらっしゃったの!?」
彼は「すまない」と口にして言った。
「君がまさか、助けに入るとは思わなかったから」
「……私も、助けに入るつもりはなかったのよ。
だけど……、此処は学園であり、私は生徒会の会長だから。 皆のお手本になるべき存在なのに、私情を挟んで見なかったことにすることは、出来なくて」
ギュッと、複雑な思いをぶつけるように拳を握り締める。
私はそのまま言葉を続けた。
「それに……、婚約者の証は、大事なものだから」
あのピンバッジが……、どれだけ大切なものか。
第二王子の時の婚約者のピンバッジはもう捨ててしまったけど、私にとって“今”、婚約者のピンバッジは……。
私がそんな思いを胸に俯いていると、彼は少し溜息を吐いて言った。
「……僕だったら、捨て置くの一択なんだけど……、そうだね」
「! ……ごめん、なさい」
私がそう謝れば、彼は首を振って笑った。
「もしかして、僕が怒っていると思ってる?
……あぁ、まあ君がこんな冷たい水の中を、あんな奴等の為に探して風邪でも引かせたら……、彼等にはこの怒りをどうぶつけてやろうかとか、色々と考えているんだけど」
「っ」
(か、風邪は意地でも引かないようにしましょう。
目、据わってるもの)
私がそう焦ったのを見て彼はふっと微笑むと……、私の目の前で立ち膝をついてしゃがんだ。
そうしてエルヴィス殿下と向き合う形になると、彼は笑みを称えたまま言った。
「言っただろう? 僕は君の味方だって。
君が決めたことに、僕も異論はないよ。
……それに……、君のそういう真っ直ぐな所に、僕は惚れているんだから」
「っ!」
不意にそう言われ、私の心臓が大きく脈打つ。
エルヴィス殿下はそんな私を見て悪戯っぽく笑うと、「さてと」と何をするかと思えば立ち上がり、又私に近づいて来て……。
「っ、きゃ!?」
突然、彼の力強い腕が、私の膝裏に回る。
そしてそのまま、私を横抱きにした。
「お、おお下ろして!」
「だーめ。 僕を心配させた罰」
「や、やっぱり根に持ってるじゃない……!」
私はそう声を上げれば、彼は耳元で囁いた。
「黙って」
「っ」
耳にかかった吐息交じりのその言葉に、思わず思考回路が停止する。
そして大人しくなった私を見て、彼は「良い子だ」と微笑み口にした。
「安心して、僕に任せれば良い。
残りの時間は、僕がエスコートしよう」
「!? そ、そんな悠長なことを言っていられないわ!
私、婚約者の証を探し出さないと」
「大丈夫だから。 僕に任せて。
……考えがあるんだ」
彼のアイスブルーの瞳が、月明かりに照らされ幻想的な色を醸し出す。
そんな瞳に捕らわれ、私の冷えた体がじんわりと熱を帯びる。
(……不思議ね。 何の根拠もないけれど、彼がそう言うと何か、力が湧いてくる気がするわ)
私はそんな彼の瞳を真っ直ぐと見て頷いた。
彼はそれを見て笑みを浮かべると、私を抱き抱えたまま颯爽と、会場の方へと向かって歩き出したのだった。
そして彼が着いた先は会場……ではなく、生徒会待機用部屋の隣の、誰も使っていない部屋だった。
「え、エルヴィス殿下、如何して此処に?」
「話は後。 入れば分かるよ」
彼はそう言ってその部屋の扉をノックすれば、中から出てきたのは……。
「!? メイ!? 貴女如何して此処へ……」
学園にはあまり来たことのないメイで……しかもよく見れば、淡い黄色のドレスを来ている彼女の姿を見て、私が思わず仰天していれば、殿下はグイグイと背中を押しながら言う。
「はいはい、話は後だよ。
それじゃあ、ミシェル嬢を宜しくね」
「はーい! お任せを!!」
「え!? ちょっと二人共!? 説明が圧倒的に足りていないのだけど!?」
私の背中をグイグイ押す殿下と、私の手を引っ張るメイに対し抗議の声を上げるが、まともに取り合ってはもらえず、殿下は部屋を後に、メイにはあっという間に濡れていた私の制服を、まるで剥ぎ取られるように着せ替えられてしまう。
そして彼女が私に着させたものは。
「っ、こ、これはどういうこと!?」
「あぁっ、お嬢様落ち着いて下さい。
髪が結えませんっ」
「ご、ごめんなさい。 ……ってそうではなくなくて!
どうして私、白制服からドレスに着替えさせられてるの!?」
私は上機嫌なメイに対し鏡の前で声を上げる。
そしてその鏡に映る自分の姿を思わず凝視してしまう。
今迄に着ていた(というよりブライアン殿下の趣味だった)夜会時に着ているマーメイドドレスとは違い、プリンセスラインと呼ばれるドレスには、散りばめられた無数の宝石が光り輝きを放つ。
そして問題は、その色だった。
「……ねえ、これって、もしかしなくても……」
私がそう恐る恐る尋ねれば。
メイは嬉々とした表情で元気よくその先の言葉を紡いだ。
「はい! エルヴィス殿下からの贈り物です!」
「……やっぱり……」
私はもう一度、そのドレスを鏡越しに見る。
そして、その淡い水色……、まるで彼の瞳を模したかのような、何処か眩しいくらいのアイスブルーを見て呟いた。
「……これは一体、どういうこと?
メイまで連れて来て、何故殿下は今日着るかも分からないドレスを用意してくれていたというの?」
私の言葉に、メイは「それは、」と考えてから口を開く。
「……エルヴィス殿下が仰っていました。
“ミシェル様にも学園行事を楽しんで欲しい”と」
「! 彼が、そんなことを?」
私がそう問えば、メイは「な、内緒ですよっ」と慌てたように言いながら、少し下を向いてく 言葉を続けた。
「私も……、お嬢様だけでなく、まさか私にまでこのようなドレスを、殿下が準備して下さっているとは思いませんでしたが……、きっと殿下は、着る着ないを抜きにして、ただ純粋に、お嬢様にも楽しんで欲しいとそう心から願って、ドレスを用意して下さったのではないかと思います」
「! ……確かに、彼なら……そう考えそうだわ」
「お嬢様? ……っ」
彼女は鏡越しに私を見て、何故か息を飲む。
そんな彼女に向かって私は立ち上がると言った。
「有難う。 パーティーが終わるまでの残りの時間も、私に付き合ってくれるかしら?」
「! はいっ! 勿論です!」
メイの満面の笑みに、わたしも思わず笑みを零す。
そして、部屋を後にしようとしたが、思い立って彼女の方を振り返ると口にした。
「そのドレス、貴女にとても良く似合っているわ。 素敵よ」
「……! こ、こここ光栄です!!」
そう言った彼女に微笑みを浮かべてから、そっとドアノブを回せば……、向かいの壁にもたれかかっていた人物とカチリと目が合う。
「「っ」」
そしてその瞬間、時が止まったような感覚に襲われた。
……何時もの白制服とは違う、王家専用の正装を身に纏った彼。
その特徴的なアイスブルーの瞳が、私をじっと見つめていた。
「……ミシェル嬢?」
「っ、はい」
彼の言葉に我に帰り、慌てて一拍遅れて返事を返した私に対し、彼は歩み寄ってくると……、私に向かって手を伸ばしかけた。
それに驚き目を見開けば、彼は慌てたようにその手を引っ込め、黙ってしまう。
「……あの、エルヴィス殿下?」
「っ、す、すまない」
彼は私の呼びかけに対しそう謝ってから……、やがて破顔した。
その笑みにドキッとしてしまう私に対し、彼はそのまま口を開いた。
「そのドレス、とても良く似合っている。
やはり、僕の目に狂いはなかった」
「っ、そ、それはどういう」
「あ、でも。 やはりそれだけでは何か寂しいよね」
彼はそう言うと、胸ポケットの中から何かを取り出した。
そして、私に後ろを向くよう言う。
訳が分からなかったがとりあえず後ろを向いた私に対し、彼の手が私の首元に回った。
「!?」
それに驚いたのも束の間、彼は「はい、これでよし」と私をもう一度半回転させ、満足気にアイスブルーの瞳を細めて笑った。
「うん、やっぱり君には良く似合う」
「っ! な、にが……っ」
私は首元に感じるひんやりとした感触にそっと手をやれば。
カチャリ、と金具が指先に触れる。
見れば、そこには大小様々なダイヤモンドが付いていて。
私はそれを見た瞬間、さぁっと血の気が引いて慌てて口を開く。
「で、ででで殿下!?
こ、これは流石に私が身に付けるべきではないと思うわっ!
お、お返ししますっ」
「良いから受け取って。
第一、僕がそんな女物のネックレスを持っていたって意味がないでしょう?
君のような素敵な女性が付けてこそ、価値があるというものだ」
「っ、そ、そんなこと……」
「あるよ」
彼はそうきっぱりと断言する。
思わず怯んでしまう私に対し、彼はふっと笑みを零し、私の髪をそっと撫でて口を開いた。
「……君は、綺麗だ」
「っ」
すごく。
彼はそう言って、チュッと軽く、手に取った髪にそっと口付けを落とす。
思わぬ言動の連続に、私が固まってしまったのを見て、彼はふはっと今度は吹き出したように笑うと……私の好きな、柔らかな笑みを讃え、「あ、そうだ」と今度はポケットから何かを取り出し、私の手に渡す。
「……あっ」
それを見て思わず声を漏らし彼を見上げれば。 その反応は予想通り、と言った風に微笑み口にした。
「……さて、もう少し僕にお付き合い頂けるかな?
お姫様」
「! ……勿論ですわ、王子様」
私がそう返せば、彼はその返答は予想外だった、と笑い、私の手を取り歩き出したのだった。




