あの日と同じ会場で
4月末に行われる、新入生歓迎パーティー。
それは、学園に入って来た新入生を歓迎する、大切な社交パーティーのことである。
その日は学園はお休みで、生徒全員、陽が沈む夜までに、制服ではなく各々のドレスを着て学園内にある大広間の会場へと向かう。
私は生徒会役員の為、それより少し早めの昼過ぎ頃に学園へと赴く。
勿論、私は白制服のままだ。
「……今日が……、あの日以来久し振りのパーティーになる」
私はそう呟き、舞台を見上げた。
あの日……とは、卒業記念パーティーのこと。
嘗ての婚約者様に勝手に悪女呼ばわりをされ、婚約破棄され、挙げ句の果てには学園を追放されかけた、忘れられないあの日のことである。
「……気を、引き締めないと」
あの日と同じ会場、あの日のことを知る方々……当の元婚約者様も被害妄そ……いえ、元婚約者様の婚約者の女性もいて。
……それでも、今私がこうして、この場に胸を張って立っていられるのは。
「御機嫌よう、ミシェル嬢」
「……!」
ハッと、その声に顔を上げる。
驚き見上げた視線の先には、ステンドグラスから差し込む陽の光が明るく照らし出す舞台。 その舞台上には、私が良く知る男性の姿があった。
金色の髪を肩に流し、その前髪から覗くアイスブルーの瞳を柔らかく細め、綺麗な笑みを浮かべる彼の名は。
「……エルヴィス、殿下」
「どうしたの? 緊張している?」
彼はそう心配気に私に向かって尋ねてくる。
(どうして……、貴方がここに)
私はその言葉よりも、彼がこんなに早く此処へ来ていることに驚き、言葉を失ってしまう。
それに気付いた彼は、ふっと笑って口にした。
「言ったでしょう? 僕も出席するから安心してって。
……それに、やっぱり心配だったから。
君は、芯のある強い女性だということは良く知っているけれど、君をこの場所まで連れてきたのは、僕がしたことだから」
「!」
彼はそう言って、舞台へと続く大きな階段を真っ直ぐに降りてくると、私に向かって手を差し伸べた。
「……君がこの日まで努力してきたこと、僕は一番近くで見てきたから知っている。
何も臆することはない。
君を阻むものは何もないよ、ミシェル嬢」
「……っ」
(……そう、私が此処にこうして胸を張って立っていられるのは)
「……貴方の、お陰なの」
「え? ……っ」
私は、差し伸べられた手にそっと、自分の手を重ねる。
そして、彼の瞳を真っ直ぐと見つめ……、今自分に出来る限りの精一杯の笑みを浮かべて口を開いた。
「私は、貴方がいてくれるから何も……、怖くない」
「……! ミシェル嬢」
アイスブルーの瞳が、大きく見開かれる。
私は少し気恥ずかしくなってもう一度笑みを浮かべてから、彼より先に階段を上がった。
「い、急がないとあっという間に時間になってしまうわ。
先ずは舞台から会場の飾り付けの最終確認を行って、それから人員の確認もしなくては」
「! ……うん、何処までも僕は付き合いますよ、お姫様」
「っ」
そう言った彼の言葉が、じんわりと、熱を持って心の中に広がって。
その熱が頰にまで集中しているのはきっと、気のせいではないだろう。
……それに、不意に涙がこみ上げてきたことも。
彼に気付かれていないことを祈りながら、私は陽の光を浴びて輝く舞台の上へ、彼の手を取り階段を上がるのだった。
無事に準備が整い、陽が沈み夜を迎えた会場で、もうすぐ新入生歓迎パーティーが始まろうとしていた。
私の出番である生徒会長からの始まりの挨拶は、王子二人の紹介の後である。
だから、必然的に舞台裏で王子二人……、勿論元婚約者様と顔を合わせることになる。
(……うん、私は大丈夫。
彼が、エルヴィス殿下が居てくれるんだもの)
そう自分に言い聞かせ、深呼吸をすると、よしと気合を入れて生徒会用の待機部屋から外に出れば。
「「わっ」」
開いた扉の先にはエルヴィス殿下と……、その横にブライアン殿下の姿もあって。
驚く私に対し、彼はブライアン殿下をチラッと見てから、私に向かって笑みを浮かべて口を開く。
「驚かせてごめんね。
もうすぐ始まるから一緒に行こうと思って来てみたんだ」
「……けっ」
その後ろでそう気持ちが悪い、というような顔をしたブライアン殿下に向かって……、彼は今度は私に向ける笑みとは違う笑みを浮かべて言った。
「ブライアン、その態度は何?
どうして君は、そうやって失礼な態度ばかり取るのかな? 礼儀作法という言葉を何処に置いて来たの?」
「え、エルヴィス殿下、行きましょう。
時間もあまりないことだし」
私は二人の間に不穏な空気が流れ始めたのを察知して、慌てて彼に向かって言葉を発せば、彼はアイスブルーの瞳をこちらに向け、「あぁ、そうだね。すまない」とにこやかな笑みを浮かべ……、私に手を差し伸べる。
その手に驚けば、彼は口を開いた。
「生徒会長である君を、会場で独り占めする事が出来ないんだから、せめて会場までのエスコートはくらいはさせて欲しいな。
だって君は、僕の婚約者だし」
「「っ」」
その言葉に息を飲んだのは私だけではなかった。
何故かブライアン殿下も……、驚いたように彼を見ていて。
私は思わずそんなブライアン殿下の様子に驚き見れば、その視線に気付いた彼は露骨に舌打ちをして足早に去って行く。
それを見たエルヴィス殿下は、反吐が出るね、と眉間に皺を寄せ口にしてから……、私に向かって口を開いた。
「ごめんね、僕の愚弟が君に失礼なことばかりして」
「い、いえ……」
(私の所為で……、彼等の仲を悪くさせてしまっているのかな)
私は思わずそんなことを考えてしまうが、彼はそれに気付いたのか曖昧に笑って言った。
「……僕とあいつはいつもあーいう感じだから、君は気にしなくて良いよ。
ただの兄弟喧嘩だと思ってくれれば良い」
「そう……」
(それだけには……、見えないのだけれど)
私とお兄様の喧嘩とは随分違う。 二人の間には、決定的な確執があるように思えるのもまた、私の気のせいなのだろうか。
「さ、僕達も行こう」
「えぇ」
(彼が私に何を隠していたとしても……、今は差し伸べられたこの手を、信じる)
私はそう思いながら彼の手にそっと自分の手を差し出せば。
エルヴィス殿下はその手を軽く握り、私をエスコートするように歩き出す。
その時ふと、彼の服装を見て思わず顔を見上げて聞いた。
「あの、エルヴィス殿下」
「? 何?」
「どうして貴方まで……、学園の制服なの?」
そうなのだ。 何故か彼も、生徒会ではないのに私と同じ白制服を着ていて。
そんな私の言葉に、彼は口を開いた。
「どうしてって……、だって君がドレスを着ていないのに、僕だけが正装姿でいなければならないの?」
「! でっ、でも貴方は王族で、行事の際のドレスコードは王家の正装を」
「そんなの誰が決めたの? 愚かだね」
「っ」
彼はそう強い眼差しで私の瞳を真っ直ぐと見つめた。 その言動に思わず固まってしまった私に対し……、彼はさらっと私の頭をポンポンと撫でながら言った。
「……婚約者である君の隣で、正装姿でのほほんとなんてしていられるものか。
誰が何と言おうと、私は君がその格好でいる限り、正装姿にはならない」
「……!」
“誰が何と言おうと”
彼の言葉が、ズンと心の奥深くに入り込む。
「……ミシェル嬢?」
彼のそう言い切った言葉が、瞳が。
「格好良いのは……、貴方の方だわ。
エルヴィス殿下」
「!」
いつか彼に言われた言葉を口にして、私は握られていた手をそっと握り返して微笑んでみせたのだった。
そして、学園の鐘がパーティーの始まりを告げる。
その音が鳴り響いた数分後、司会者に名を呼ばれた私は、舞台へと上がった。
舞台の中央へ向かい、淑女の礼をしてから周りを見渡す。
そこには、色々な瞳で私を見上げる人々の姿があった。
新入生のキラキラとした目、好奇の目、睨みつけるような目で見る方々もいる。
(でも、それは当たり前だわ)
私は第二王子の元婚約者に悪女呼ばわりをされ、婚約破棄された。 今周りから何も言われないのは、第一王子である彼が、私を“婚約者”と称し、守ってくれているから。
(いつまでも、彼に甘えてばかりではいられない)
ギュッと拳を握り、同じく舞台の上に設置された玉座に座っている彼の姿をチラリと見れば、アイスブルーの瞳を柔らかく細め、私に笑みを向けている。
その表情に私も……、気が付けば、自然と笑みを零していた。
そうして前を向いた私に、会場が一瞬にしてシンと静まり返る。
そんな中、私はすっと息を吸うと、言葉を発した。
「生徒会会長、ミシェル・リヴィングストンです。
本日は新入生歓迎パーティーにお越し頂き、有難う御座います。
このような会を設けさせて頂いたのは、新入生の方々も在校生の方々にも交流して頂きたいという、理事長、並びに学園長の御配慮によるものです」
その言葉は、去年と大体同じ。
……だけど、今回はその言葉に加えて、私自ら考えたことを口にする。
「……ですがそれだけではなく、私ごとでは御座いますが、私は今年最後の学園生活となります」
「!」
例年とは違う私の突然の言葉に、皆が驚いたように目を見開く。 私は胸にそっと手を置き口を開いた。
「これまでの学園生活では、色々なことを経験しました。
楽しいこと、学ぶこと、辛いことや苦しいことも……、時にはありました。
ですがどれも素敵な思い出です。
新入生の皆様は今日初めて、この学園での行事を参加することになりますが、生徒会一同、この日の為に皆様に楽しんで頂けるよう、精一杯準備を致しました。
どうかこの一年、それからこれからの学園生活を、充実した日々を過ごせるよう祈っております」
彼等がこの言葉で何を感じ、何を思うかは分からない。
けれど、どんなことがあってもこの学園で過ごす時間を大切にして欲しい。
「そして二年生、三年生の皆様にも、残りの学園生活を、悔いのないよう大切に過ごして頂きたく思います」
それは、私自身への言葉でもある。
第一王子の手を取り、この学園に残ることを決めた私へ。
残りの一年で私に出来ることは何でもしていくつもりであることを、此処に改めて誓う。
「長くなりましたが、今宵は皆で過ごすこの時間を楽しんでお過ごし下さい」
そう言って淑女の礼をし、その場を後にする。
何時もとは違い、会場内は酷く静かだった。
私が舞台裏に姿を消した瞬間……、止まっていた時がまるで動き出したかのように、これもまた何時もにはない拍手が沸き起こった……。
こうして、新年度最初の学園行事の夜が、幕を開けたのである。




