側妃の罪
陛下の言葉に私が頷くと、ベアトリス殿下もまた目を見開き、震える声で口にした。
「どうして……、そんな物がまだあるの?
間違いなく彼女の物の中にそんなのはなかったはずなのに……っ」
その言葉に口を開く。
「これは、リマ様が良く使っていた場所に隠しているかのように置いてありました。
それを私が見つけたのです」
「間違いない、その手帳は以前リマがよく手にしていた物だ……」
リマ様がこの日記を持っているところを見たのであろう陛下が、少し涙ぐんだように言って頷いた。
それを見てベアトリス殿下はぐっと唇を噛み締めた。
そんな彼女の様子を見ながら口を開く。
「この日記には、リマ様の日常が綴られていました。
日常で起きた些細な出来事から心情まで……、彼女の目に映るものを書き記しているこの日記には、陛下や貴女のことも書かれていました」
「「!」」
その言葉に、二人は目を見開く。
そして、私の後ろから歩み出て来たエルヴィスが言葉を引き継いだ。
「読み進めていくうちに、私は疑問に思いました。
どうして、ベアトリス殿下……、貴女のことについて、母上は良いことばかり書いているのだろうと」
「っ」
その言葉に、ベアトリス殿下は僅かに唇を噛み締めた。
その様子を見ながら、エルヴィスは言葉を続ける。
「私から見た貴女が到底そういう優しい人だとは思えなかった。
……私にしてきたこととは、あまりにもかけ離れている事柄ばかりだったから。
母上が良いことしか書かない人なのではないかと疑いもしたが、どうやらそうではないのだと、ミシェルと結論付けたのだ」
「そして、この日記の後半で、初めてリマ様が後ろ向きな発言をしているのです」
私はそのページをめくると、その文を読んだ。
「“城内では私と彼女のことが噂されているみたい。
私が此処に来たことで、彼女にもまた迷惑をかけてしまっている。 何とかしないと”」
「母上の日記にはこう書かれていました。
その噂というものも、貴女ならご存知のはず。
母上が……、貴族ではない平民である母上が嫁いだことで、王家に良からぬ噂が流れていたことは、皆が周知の事実なのですから」
その言葉に、会場にいた貴族の方々がざわつき始める。
リマ様が平民の出であること、それから、リマ様が亡くなったということは、公の場で話さないようにとのお触れが出ていたのだから。
エルヴィスはベアトリス殿下をじっと見つめ言った。
「単刀直入にお聞きします。
母上亡き後、母上の話をしないようお触れをだしたのは貴女ですよね? ベアトリス殿下。
何故そんな真似をしたのですか」
エルヴィスの声は静かだったが、その声音は低く、怒気が孕んでいるのが分かって。
彼に寄り添おうとした私の耳に、ベアトリス殿下の声が届いた。
「そんなの、決まっているじゃない。
……あの女が憎かったからよ」
「「「!」」」
ベアトリス殿下の酷く冷めた口調に、その場の空気が凍りついたのが分かる。
ベアトリス殿下は拳を握りしめて言った。
「私はね、あの女の何もかもが嫌いなの。
天真爛漫で、無垢で、真っ直ぐで……、何の苦労も知らない、身体が弱いだけで周りからチヤホヤされるあの女が大嫌いだった。
……私が努力をしてやっと手に入れられそうだったものを、ポッと出のあの子がいとも簡単に奪って行ったのが許せなかった」
(それって……)
「……恋心、ですか」
「え……?」
「っ」
私の呟きに反応したのは、エルヴィスとベアトリス殿下だった。
ベアトリス殿下は僅かに息を呑むと、次の瞬間、ポロポロと涙を零し始めた。
そして、ポツリと呟いた。
「……そうよ」
そう肯定したかと思うと、叫ぶように言った。
「そうよ! 私はずっと、陛下のことだけを思っていたのに!!
陛下は私ではなくあの女を選んだ……っ」
「! ベアトリス……」
陛下は驚いたように目を見開き、彼女を見た。
そんな視線から顔を背けるようにしながら、彼女は言葉を続ける。
「私は、いずれ陛下の隣に立つことを期待されていた。
家柄だった申し分はなかったはずだった。
そうして幼い頃から、陛下のことだけを想って努力してきたのに……、彼が自ら選んだのは、彼女だった。
周囲の反対を押し切ってまで結婚した彼らに、まるで横槍を入れるかのように、私はその周囲から期待されて半ば強制的に結婚するという形になった……っ」
その言葉に、彼女の悲痛な叫びが胸に痛いくらいに響く。
そして、彼女は泣きながら言葉を続けた。
「彼女は一番で私は二番目。
側妃という肩書き自体が私を傷付けたけれど、周囲はそんなことはお構いなしだった。
そして、彼女はエルヴィスという忘れ形見を残してこの世を去った。
本当に、あの女はどこまでも勝手だと思ったわ。
やっと忘れられると思ったのに、そんな彼女とそっくりの、しかも第一王子となる息子を産んで自分はいなくなるんだから……!」
「……つまり貴女は、僕が母上と似ているから今まで散々嫌がらせをしてきたと?」
「そうよ」
ベアトリス殿下は言葉を続けた。
「本当に貴方は母親そっくりだわ。
その瞳も髪も性格も。 あの女にそっくりで虫唾が走る」
「……でも、貴女はリマ様に嫌がらせをしたことはなかった」
「!」
私の言葉に、ベアトリス殿下の挙動が止まった。
その姿を見て、静かに尋ねる。
「何故ですか」
私の問いに、彼女は息を吐いて言った。
「何度……、何度嫌がらせをしてやろうと思ったかは分からないわ。
けれど彼女は、そんなことを考えさせるのも馬鹿馬鹿しくなってしまうほど無垢で……、それに、彼女を傷付けたら誰よりも陛下が悲しむと思った。
だから、彼女に危害を加えるような真似は、出来なかった」
ギュッと、彼女は腕を握りしめた。
怒りと悲しみが入り交じっているような表情を浮かべ、俯く彼女を見て私は口を開いた。
「リマ様は貴女に感謝していました」
「……え?」
「日記には何度も……、慣れない城での生活で、ベアトリス殿下の存在が支えになっていると、そう書いてありました」
「っ」
ベアトリス殿下は虚を突かれたように言葉を失った。
私は言葉を続ける。
「リマ様は、噂のことをご存知だったはずです。
正妃の座には貴女が相応しいと言われていたことも。
全てを知っていたからこそ、リマ様に対して優しくしてくれることへの感謝を何度も、この日記に綴っているのではないかと思います」
「! ……どうして、あの子はいつも……」
ベアトリス殿下はそう言って、今度こそ顔を覆って泣き出した。
その姿を見て、静かに告げる。
「……それから、日記にはエルヴィスに加えてお二人に宛てた手紙が、それぞれ添えられていました」
「「!」」
陛下とベアトリス殿下はハッとしたように顔をあげる。
私がその二通の手紙をエルヴィスに渡すと、彼は頷き、二人のいる壇上へと上がってそれぞれに差し出した。
それを受け取ったのを見て、エルヴィスがベアトリス殿下に向かって口を開く。
「私達は読んでおりませんので、中に何が書かれているかは分かりません。
読むか読まないかは、貴女にお任せ致します」
ベアトリス殿下は、それに対して何も言わなかった。
ただ、黙って手紙を見つめていたかと思うと、静かに言った。
「……ブライアン。 私を、連れて行って」
「! ……」
ブライアンは何も言わなかった。
ただ黙って頷くと、衛兵を呼び、彼女は数人の衛兵と共に会場を後にした。
その背中を見て、何とも言えない感情が渦巻いた。
(彼女は、周りから認めてもらえなかった。
愛を求めたのに愛されることはなくて、孤独を感じ、愛に飢えていたから暴れたんだ……)
思わずギュッと、両腕を握ったのだった。




