矛盾
二日後、十分に休息を取った私は学園へと向かった。
教室に入ると、多くの生徒に囲まれたエルヴィスが「おはよう」と微笑みながら挨拶をしてくれた。
私はそれに対して少し泣きそうになったけれど、「おはよう」と返せば、生徒達からきゃーっと悲鳴が上がる。
その悲鳴は、婚約者同士である私達が会話を交わしたことによって向けられたもののようで、エルヴィスと私は顔を見合わせて照れ交じりに笑い合った。
昼休み、エルヴィスと空き教室へ向かい、二人きりで話をした。
「ミシェルとなかなかこうして二人きりになれないのが辛い」
行きも帰りも監視付きで君と共に登下校することも出来ないなんて、と神妙な顔をして開口一番にそう嘆くものだから、私は思わず笑ってしまう。
「私はエルヴィスがこうして学園に来れるようになっただけでも本当に嬉しいわ。
二人でいられることが当たり前のように感じてしまっていたけれど、とても尊いことなんだって気が付かされたわ」
「そうだね。 ……僕にもまだまだ隙があるってことかな。 気を付けないと」
そう言って笑みを浮かべた彼が一瞬黒く見えたのは……、気のせいということにしておこう。
反応に困った私に対し、エルヴィスは話を変えた。
「君から母上の日記を受け取ってから、今読み進めているんだ」
その言葉に顔を上げれば、彼は窓の外を見つめたまま口を開いた。
「僕は今まで母上のことを肖像画でしか知らなかった。
けれど、君があの日記を見つけてくれたおかげで、今は彼女の人となりが分かってきた気がするよ」
「良かった」
私の言葉に、エルヴィスはこちらを向いて微笑みを浮かべると、「ただ」と少し戸惑ったような表情で言った。
「母上の書いていることが、良いことばかりしか書かれていないのが気になっているんだ」
「それはどういう意味?」
「日記というものは、悪口やマイナス思考なことを書かない人がいることは知っているけれど、母上の日記は一貫してそういう類のものが本当に書かれていないんだ。
……例えば、ベアトリスのこととか」
「お母様の日記にも、やはりベアトリス殿下のことが書かれているの?」
「うん。 ただ、僕が思っているベアトリスと母上の日記に書かれているベアトリスは、酷くかけ離れている気がするんだ」
「かけ離れている……?」
エルヴィスは頷くと、言葉を続けた。
「僕が知っているベアトリスは、少しでも気に食わないことがあると、罵詈雑言を浴びせたり手をあげることもあるような、短気で気位が高い女だ。
だけど、日記に書いてある母上から見たベアトリスはその真逆。
病気がちだった母上を常に労り、母上いわく彼女は良き理解者であり、話し相手にもなってくれて感謝している、というようなことが書かれているんだ」
「それは……」
確かに、日記に書かれているベアトリス殿下の人物像は、エルヴィスから聞いている話と私が会った時の彼女からしたらかなり違う印象を与える。
私は戸惑い口を開いた。
「エルヴィスが言ったように、その日記には良いことしか書いてないのではなくて?」
「その線も考えたんだけど、その割には頻繁にベアトリスの名前が出てくるし、その度に彼女を褒めているんだ。 そう考えると、日記に書いてあることも本当なのだとしたら……」
「……ベアトリス殿下はリマ殿下が亡くなる前後で性格が豹変した、ということ?」
「或いは、ベアトリスがずっと母上の前で良い人を演じていたかのどちらかだね」
その言葉に、私は黙ってしまった。
(エルヴィスから聞いていた話では、勝手な想像で元平民であるリマ様をベアトリス殿下が疎ましく思って、エルヴィスにも嫌がらせをしていたんだと思っていたけれど……、日記に書かれていることが本当なのだとしたら、ベアトリス殿下はリマ様のことを嫌ってはいなかったということ?)
「でも、以前ベアトリス殿下とお話しした時、言いにくいけれどベアトリス殿下はリマ殿下のことを嫌っているような感じだったわ」
「ベアトリスが母上のことを嫌っているのは、僕も間違いないと思う。
けれど、そう考えると日記でのベアトリスと辻褄が合わないのが気になるんだ」
そう口にしてエルヴィスも黙り込んでしまう。
私は少し考えた後、エルヴィスに向かって口を開いた。
「ねえ、エルヴィス。
もし出来たらで良いのだけど……、その日記、貴方が読み終わったら私に貸して頂けないかしら?」
「分かった。 読み終わったら君に渡すよ。
元はと言えばミシェルが見つけ出してくれたから、僕もこうして読むことが出来ているんだもの。 君にも読む権利があると思う。
僕の方でももう少しじっくり読んでみるよ。
もしかしたら、読み進めた先に何か書いてあるかもしれないし」
「えぇ」
私が頷くと、エルヴィスは「それに」と言葉を続けた。
「君は卒業生代表の言葉にも決まったんだろう?」
「えぇ。 私が休んでいる間に決まったみたいなの」
卒業パーティーの前に、生徒だけで集まる卒業式がある。
その時の卒業生代表の言葉に私が選ばれたのだ。
「至極真っ当な判断だと思うよ。
卒業生の中で最も優秀な成績を修めた生徒が、卒業式での代表の言葉に選ばれるというしきたりだからね」
「そう言われるととても緊張するわ……」
「大丈夫、君なら出来るよ」
「ありがとう」
エルヴィスの力強い声に勇気をもらい、「頑張るわね」と返してから思う。
(本当に、もうすぐ学園を卒業するんだわ……。
一ヶ月後、私はどんな道を歩んでいるのだろう)
「ミシェル、そろそろ教室に戻ろうか」
「えぇ」
エルヴィスの言葉に頷いて、彼の隣を歩き出す。
(卒業パーティーでどんな未来が待ち受けているか……、分からないけれど、でも、どんな道を歩んでいたとしても、彼の隣を歩けていたら良いな)
隣を歩く彼の横顔を見上げてから、真っ直ぐと前を見つめた。
そして、時は流れ三月、私達は遂に卒業の日を迎えたのである。




