店主と侯爵令嬢
「さて、何から話そうかしら」
何から聞きたい? と笑うマリアさんに、私は気になっていたことを尋ねた。
「マリアさんとエル……が出会った頃の話を聞かせて頂けますか」
「ふふ、任せて」
マリアさんは「そうね」と当時を思い出すように口を開いた。
「私がエルと出会ったのは、今から8年前……、彼が10歳の時、かしらね」
「10歳……」
(10歳は私が丁度、ブライアン殿下の婚約者に決まった年だわ)
「初めて会ったのは、今日みたいな雪の日だったわ。
小さいのに一人で街を彷徨い歩いている姿を見かけて、孤児かと思って声をかけたのが始まりね」
「ひ、一人で歩いていたんですか?」
「えぇ」
私はその言葉に驚いてしまう。
(王子一人で歩くのは危ないけれど……、でもきっとその時から、あの小屋に訪れていたのかもしれない)
私がそんなことを考えている間に、マリアさんは話を続ける。
「声をかけた時の第一印象は、本当に子供なの?と思うくらいの落ち着きというか、幼い顔立ちの割に酷く大人びていてね。
今では考えられないほど無口だったわ。
あ、こんなことを言ったらエルから怒られてしまうかしら」
「いえ、彼からもそう聞いているので大丈夫です。
続けて下さい」
「それは良かった。
まあ、そんな感じで、きっと警戒していたのもあるんでしょうけど、何を聞いてもなかなか答えなくてね。
とりあえず一人で雪の中を歩かせるのは心配だからって、半ば無理矢理私が店に招き入れたのよ」
「す、凄いですね」
私が先程マリアさんにしてもらったような感じかな、と想像していると、マリアさんは笑って言った。
「その後が面白いのよ。
エルはお腹空いていたのに気が付いていなかったみたいで、私が温かい料理を出したら、それを何も言わずに物凄い速さで食べたのよ。
そうしたら、何て言ったと思う?」
私が首を横に振れば、マリアさんが答えた。
「“僕もこんな風に美味しいものを作れるようになりたい”って。
初めてそう口にしたのよ」
「ふふ、エル可愛い」
10歳のエルの姿を想像して思わず笑みを浮かべる私に、マリアさんも「本当に可愛かったのよ」と笑って言う。
「声も高かったし、あの通り顔立ちも整っているから、よく女の子と見間違えられていたこともあるくらいよ。
そうそう、エルはその後すぐ此処で働くことになってね。
最初はお手伝い程度だったんだけど、みるみるうちに大きくなってね。
すぐに美男子だって噂が広がって、うちの看板息子的な存在だったわ」
「凄い……。 でも、彼が人気なのも頷けます」
「前にも言ったかもしれないけれど、それでもエルは女の子に靡くことはなかったわ。
で、問いただしたら……」
「……わ、私が好き、だったんですよね」
「そうそう! 貴女に初めて会ったとき、見る目があると思ったわ。
どんな子なんだろうとずっと気になっていたから、容姿端麗で性格も素敵な方だと知れて嬉しかったわ」
その言葉に、私は恥ずかしくなって紅茶を一口飲む。
そんな姿を見て、マリアさんは「本当に」と遠くの目をして言った。
「初めて会った時と今とでは考えられないほど、あの子は明るくなったわ。
それもきっと、貴女のお陰なのよ。
貴女の存在が、あの子を変えたんだわ」
「……そうだったら嬉しいです。
私も、彼と出会えたから今の自分があるんです」
エルヴィスは、ブライアン殿下から婚約破棄された私の心を、一瞬で掴んだ。
最初は何を考えているのか分からない彼に、振り回される自分は何なんだろう、と考えたりもしたけれど。
そんな彼の自由なペースに振り回されるうち、毎日が楽しいと思えるようになって。
彼と一緒にいたら、世界が輝いて見えた。
「……彼に出会ってから、私も変わることが出来たんです。
家族にも、よく笑うようになったねって言われるようになって。
本当に楽しくて、幸せで……」
そんなことを考えているうちに、不意に彼に会いたいという感情が込み上げる。
数日前、彼と会うことが出来て嬉しいと思ったのも束の間、考えてしまうのは彼のことばかりで。
今、彼は何を考えているんだろう。
あの塔の部屋に一人でいるのは、心細いのではないか。
寒さで震えていたらどうしよう。
「……っ、会いたい」
気が付けば、そう口に出してしまっていて。
ハッとして慌ててマリアさんを見れば、マリアさんは驚いたような表情をした後、やがてふっと微笑んで言った。
「……そうね。 私も、その気持ちが痛いほど分かるわ」
「え……」
マリアさんはそう言って、左手の薬指を私に見せる。
そこには、指輪が光っていて。
結婚相手がいるんだ、と思った私に、マリアさんの口から出たのは驚きの言葉だった。
「私の旦那はね、お人好しというか、世話焼きだったの。
私と結婚したっていうのに何日も帰ってこないと思えば、ふらっと帰ってきたりね。
それもこれも、彼の職業柄なんだけどね。
……彼は医者だったのよ。 それも国を跨いで貧しい人々を救う医者ね。
人を救うためだ、というのが彼の口癖でね」
そんな彼女の言葉が気になり、思わず口にする。
「あの……、今、その旦那さんは、どちらに?」
「……十年前、ちょうどエルヴィスと出会う頃くらいにね。
流行り病にかかって亡くなったのよ」
「……!」
「名も知らないほど遠くの街に診療に行った際に、その病が流行っていたらしくて。
治すために奔走していた彼自身が亡くなってしまったの」
「そんな……」
あまりの衝撃に言葉を失う。
彼女は寂しげに微笑み、視線を左手に映した。
「今でも、ふらっと帰ってくるんじゃないかって錯覚するの。
それはなくても、近くで見守ってくれているんじゃないかなって」
「マリアさん……」
「だからね、何が言いたいかって、私は貴方達に後悔してほしくない。
貴方達はきっと、私に隠し事をしているでしょう?」
「!」
思わずビクッとしてしまう私に対し、マリアさんは苦笑して言った。
「それを聞き出すような真似はしないわ。
……ただ、忘れないでほしい。
私達に神様から与えられた時間は限られている。
その間に、自分に何が出来るか、何がしたいか。
貴方達が後悔しない道を、信じた道を突き進みなさい。
私はいつでも、貴方達の味方よ」
「……! マリアさん」
その時、ガチャッとお店の扉が開いた。
恰幅の良い男性が、額に流れた汗を拭って雪かきが終わったと口にした。
その言葉を聞いて、マリアさんは礼を言うと、私に向かって言った。
「さあ、もう行く時間ね。
エルに次会った時は宜しく言っておいて。
いつでも良いからちゃんと顔を出しにきなさいって」
「はい、伝えます」
私がそう言って頷けば、彼女は笑い、私の髪を不意に撫でた。
驚く私に、にっこりと笑い、最後に軽く背中を叩いて言った。
「さ、頑張っておいで!」
「はい! ありがとうございました」
私は深く頭を下げると、マリアさんに別れを告げ、雪が捌けられて歩きやすくなった路地裏を歩き始めたのだった。




