愛すること
陛下の御好意によって別邸に泊まることになった私達は、侍従の方に案内されて隣同士になっている貴賓室で一晩過ごすことになった。
夕食とお風呂まで頂いた後、エルヴィスに呼ばれて彼の部屋を訪れた。
(……ちょっと緊張する)
彼に言われた通り、温かい格好をして部屋を訪ねれば、エルヴィスは私を部屋に招き入れると長椅子に座るよう促した。
長椅子に座ると、彼はいつもとは違い何故か向かいの一人席に座った。
不思議に思って首を傾げれば、彼は自らポットからカップに注いでくれながら言った。
「この時間に二人きりというのは良くないから、せめて距離だけでも少し取ろうと思って。
……言ったでしょう? 僕をあまり刺激しないでって。
だから、そんなに見つめないで」
「!? ご、ごめんなさいっ」
慌てて目を逸らせば、エルヴィスはクスクスと笑い、ホットミルクの入ったカップを手渡してくれる。
私はそれを「いただきます」と言って口にすると、温かな甘さが口に広がった。
「美味しい」
「ふふ、それは良かった」
そう言って微笑みを浮かべるエルヴィスに、ずっと疑問に思っていたことを尋ねた。
「エルヴィス」
「ん? 何?」
「こんなことを聞いて良いのか分からないけれど……、ベアトリス殿下がエルヴィスに辛く当たっていたということ、陛下はもしかして」
「うん、知らないよ」
何でもない風に口にするエルヴィスに対し、私は思わず息を呑む。
そんな私を見て、エルヴィスは「大丈夫」と言うと、ミルクを一口飲んでから言った。
「ベアトリスは証拠を隠滅するのが得意だからね。
だからといって告げ口するような真似はしたくない。
それに、ベアトリスの耳に万が一入ってはいけないからね。
この邸にだって、ベアトリスの手下がいるかもしれないでしょう?」
「確かに……」
「うん。 だから、しっかりと証拠を揃えて全てを明らかにするのは、卒業パーティーの時だと決めているんだ。
それまで、陛下には余計なことは言わないよ」
「……」
黙ってしまう私に対し、エルヴィスは「そんな暗い顔をしないで」と困ったように笑った。
「もう少しの辛抱だ。
……もう少しで、全てに決着がつく。
だから、君は僕の側にいて欲しい」
「っ、勿論。 私はずっと、貴方のそばにいるわ」
「うん。 君のその言葉だけで十分だ」
エルヴィスはそう言って笑うと、自身の左手の薬指に光るお揃いの指輪を見て言った。
「これでやっと、君を正式な婚約者にしてあげられた」
「……えぇ。 やっと、エルヴィスのものになれた」
「っ、ミシェル、だからそういうのは反則なんだって」
顔を赤らめるエルヴィスに、私は少し悪戯っぽく笑ってから、同じように薬指で光る指輪を見つめて言った。
「本当に、エルヴィスの婚約者になることが出来たと思うと、嬉しくて」
「うん、僕も。
今日のこと、全てミシェルのお陰だ」
「そんな、エルヴィスがいたからよ」
「ううん。 君が一緒にいてくれたからだよ。
だから僕は今日こうして、父上とも向き合うことが出来たんだ」
彼はそう切ると、私を真っ直ぐと見つめて言葉を続けた。
「先程も言った通り、僕は父上のことを許せなかった。
幼いながらに捨てられたんだと、そう思っていたこともある」
「……っ」
「だけど、君という希望を見つけて、僕は生きてこられた。
君は、僕の大切な子。
初めて、愛するということを教えてくれた子だから」
その言葉に、私の目からは涙が溢れて止まらなくなってしまう。
「っ、それは、こちらの台詞だわ……」
疑問に思っていた。
愛するとは、何だろう。
ブライアン殿下に婚約破棄された時に訪れた衝撃は、恋をしていたからではなく、虚無感を覚えたからだった。
そんなことを感じて思った。
私は、一生恋愛というものが出来ないのではないか。
ずっと一緒にいた婚約者ですら、愛することは出来なかったのだから。
だけど、エルヴィスの真っ直ぐすぎる愛情を受けて、最初は戸惑ったけれど、そんな彼の自由さに心が惹かれていった。
エルヴィスが見せてくれる世界は、今まで見てきたどんな世界よりずっと、輝いて見えた。
「……私に、愛することを教えてくれてありがとう、エルヴィス。
大好き」
そう言って笑えば、エルヴィスは突然「あーっ」と叫んだ。
え、と驚き涙を浮かべたまま目をパチリとさせれば、エルヴィスは顔を赤くさせて言った。
「やっぱり無理。
ねえ、近くに行って、抱きしめても良い?」
「!?」
いつもとは違う雰囲気を纏った彼に、ドキッと鼓動が跳ねる。
返事を返すことが何となく恥ずかしくて、態度で示そうと私自身も顔を赤くしながら手を伸ばせば、彼は立ち上がると私の隣に座り、ギュッと抱きしめた。
苦しくなるくらい強く抱きしめられて、私も精一杯答えると、エルヴィスは「もう」と吐息混じりに言った。
「ミシェルが悪い。
刺激しないでって言ってるのに……、やることなすことが可愛すぎる。 今すぐ食べたくなるくらい、本当に可愛い」
「ま、待って、それ以上言われたら、心臓が壊れそう」
その言葉に、エルヴィスは腕を少し緩めて「それは困る」と口にすると、額を合わせ、至近距離で言った。
「でも、僕の言っていることは決してお世辞なんかじゃないんだよ。
君がいなかったら、父上のことを許すことだって、向き合うことすら出来なかったと思うんだ」
「……エルヴィス」
「ありがとう、ミシェル」
その言葉に、涙がまたこぼれ落ちる。
そんな私の頬に伝った涙を、彼は指で優しく拭ってくれた。
「君に出会えて良かった」
その言葉に返す間もなく、ふわりと優しく唇が重なったのだった。
翌日、太陽が昇り始めるより少し前に、私達は邸を後にした。
馬車の中、二人で誓い合った。
どんなに困難なことが待ち受けていたとしても、もう離れないと。
そのためにも、残りの学園生活を有意義に過ごすことを決めた。
そうして、二人でいられる明るい未来の兆しが、ようやく見え始めた。
……そう、思っていたのに。
私達に最悪の事態が訪れたのは、その後すぐのことだった。




