交渉
揺れる馬車の中、頭に感じる重みと髪に触れる吐息……、静かな寝息が頭をくすぐる。
何度目かの休憩を終えてから馬車に乗り込んだ私達だったけれど、エルヴィスも眠くなったらしく、私の頭に少しもたれかかるようにしてすぐに寝息を立て始めた。
(うぅ、エルヴィスがあんなことを言うものだから私は眠れなくなってしまったわ……)
寝顔を見られるのも気恥ずかしいし……、と悩んだ末、エルヴィスを起こさないようにしながら持ってきた本を読んだり、移り行く外の景色を眺めたりして時間を潰した。
(でも、本当に穏やかな時間ね)
パタリと本を閉じ、少しだけ瞼を閉じる。
(……欲を言えば、私だってエルヴィスの寝顔を見たいのに)
私に頭を預けて眠っているせいで、頭を動かすことが出来ないのだ。
(もしかして、わざとやっていたりするのかしら)
エルヴィスのことだから、と思わず苦笑いしつつふと窓の外を見やれば、さっきとは打って変わった違う景色に思わず声を上げた。
「わぁ……!」
「ん……?」
声を押し殺したつもりだったが、その声でエルヴィスを起こしてしまったらしい。
慌てて「起こしてしまってごめんなさい」と謝れば、エルヴィスは首を横に振り同じように窓の外を見ると、あぁ、と口を開いた。
「海が見えてきたね。 冬だから氷が張っているけれど」
「海自体を久しぶりに見たけれど、この景色もまた素敵ね……」
私達の乗っている馬車の少し遠く、眼下に広がる海は、氷が一面に覆われていた。
その水面の部分が、キラキラと太陽の光を反射して輝いているのが見えて思わず目を細めると、エルヴィスが口を開いた。
「海が見えるということは、もうすぐ国王陛下のいる療養先……、王家の別荘に着くよ」
「別荘は海の近くにあるのね」
「うん。 海が見える場所に位置しているんだ」
その言葉通り、馬車がゆっくりと止まり、御者さんが扉を開けてくれる。
「では、行こうか」
「えぇ」
エルヴィスの言葉に頷き、彼の後に続きその地へ降り立つ。
「……此処に、国王陛下がいらっしゃるのね」
「あぁ」
私達の目の前には、高い頑丈な石の壁が聳え立っている。
別荘といえど高い外壁が周りを囲っており、中の様子は外からは全く見えない。
「外部からの侵入者を防ぐよう、厳重な警備がしかれているんだ。
だから、僕達もこの中に入るには門番に話を通してもらい、国王陛下の承諾を得るしかない」
エルヴィスはそう言って、高い外壁に沿って私の手を引いて歩き出す。
おろしてもらったところから少し離れた場所に門があり、そこには門衛が二人立っていた。
その二人が私達の存在に気付き、持っていた剣で警戒するように行手を阻んで言った。
「エルヴィス殿下、何度いらっしゃっても此処をお通しすることは出来ません。
城へお戻り下さい」
「こちらこそ、何度も言うようだけど、国王陛下の息子である私を突き返すような真似が許されるとでも思っているのか?」
エルヴィスのピリッとした応答に空気が一瞬にして殺伐とした雰囲気になる。
その門衛の内の一人がエルヴィスの後ろに控えていた私の存在に気付き声をかけられた。
「……そちらの方は確か」
私はギュッと服の裾を握りしめ、意を決して口を開いた。
「私はリヴィングストン侯爵が娘、ミシェル・リヴィングストンと申します」
その言葉に、門衛二人は顔を見合わせた。
「リヴィングストン家の御令嬢がどうしてエルヴィス殿下とご一緒に?」
「まさか、第二王子殿下の婚約者から外されたというのは本当の話だったのか」
門衛はヒソヒソとやりとりをしたつもりだったのだろうけど、しっかりと私達の耳にも届いている。
そしてその言葉を聞いたエルヴィスは怒ったように私の肩を抱き寄せ、口を開いた。
「今は私の婚約者だ。 彼女に対する無礼な言動は控えろ」
「エルヴィス、大丈夫よ、気にしていないわ」
私はそう返すと、彼の手から離れて一歩前に進み出て言葉を続ける。
「そのことで国王陛下にお話させて頂きたくこうして参りました。
せめて、国王陛下に私達が参上した旨だけでも、お伝え頂けませんか」
(先程聞いていた雰囲気では、門前払いをされておしまいな感じだった。
でも、此処まで来て私達も引くわけにはいかない)
その言葉に門衛達は顔を見合わせたが、内の一人が眉を顰めて言った。
「国王陛下の御体調が優れないため、何人たりとも中へお通ししないようにとの御命令です」
「……その命令というのはどなたが?」
「王妃殿下です」
私の質問に対しそう答える門衛に、エルヴィスは小さく「やっぱり」と呟いた。
(ベアトリス殿下の御命令だから、門衛達も独断で判断することが出来ない、というわけね)
私は少し息を吐き、もう一度口を開いた。
「王妃殿下の御命令といえど、最終的に私達にお会いするかを決められるのは国王陛下、または側近の方だと思います。
お話だけでも通して頂けませんか。
それでも国王陛下のご都合が悪い場合は、また出直しますので」
私の言葉に、門衛は苛立ったように声を荒げた。
「だから、それが出来ないと申し上げているのです。
私共は邸へは誰もお通ししないようにと命を受け、此処で見張りをしているのですから」
「……なら、強引に入ろうとすれば私も相手にしてもらえるのだろうか?」
「え、エルヴィス!」
彼は腰につけていた護身用の剣の柄に手をかける。
その手を慌てて止め、門衛に向かって言った。
「私達は本気です。
その気持ちを分かって頂くまで、帰らず此処で待ちます」
「ミシェル」
私は戸惑ったような表情を浮かべるエルヴィスに向かって頷くと、同じように動揺している彼等に向かって言葉を続けた。
「いくら王妃殿下の命令といえど、国王陛下と血の繋がっている家族のエルヴィス殿下がお会いすることが出来ないというのはおかしいと思いませんか。
私は、エルヴィス殿下だけでも国王陛下にお会いする権限があると思います」
「……ミシェル」
「話を通して頂くまで、幾らでもここで待ちます」
そう告げると、高い石の壁を背に立った。
エルヴィスも同じように、私の隣で腕を組み壁に背を預けた。
「……では、お気が済むまでそうなさっていて下さい」
戸惑ったように、でも意見は変えないようで、彼等は溜息混じりにそう言って踵を返した。
そんな彼等を見送ってから、私はエルヴィスに謝った。
「ごめんなさい、勝手なことを言って」
「いや、心からミシェルを連れてきて良かったなと思ったよ。
最終的には先程のように、実力行使に出るしかないかなと思っていたところだったから」
「そ、それは大事になってしまってお会いするどころではなくなってしまうと思うわ……」
「でも驚いたよ。 まさか、此処で待つだなんて言い出すとは思わなかった」
その言葉に申し訳なく思いながら言葉を続ける。
「咄嗟に思いつきで言ってしまったのだけど……、こうして何もせず立って待っているだなんて大変なことよね」
「それが良いんだと僕は思うよ。 上手くいけば同情を引けるかもしれないし。
まあ、一つ心配なことと言ったら君が風邪を引かないか心配だな。
天候も少し怪しくなってきてしまったし」
「あ……」
言われて気が付けば、先程まで明るかったはずの空にはどんよりとした雲が覆われ、太陽はすっかり隠れてしまっていた。
「ミシェル、とりあえずこれを着て」
エルヴィスはそう言って私の肩にパサッと温かな上着をかけてくれた。
「って、これはエルヴィスの着ていたものじゃない!
駄目よ、これではエルヴィスが風邪を引いてしまうわ」
「僕は暑がりだから大丈夫だよ。
それよりミシェルが風邪を引いてしまう方が僕は嫌だ」
「それは私も同じよ! エルヴィスが風邪を引いてしまったら嫌だわ!」
そんな押し問答を繰り広げている間に、ふわふわと雪が降ってきた。
「……降ってきてしまったわね」
そう空を見上げ呟けば、彼は持っていた上着を自分の肩にかけると、ぐいと私を引き寄せた。
「!」
気が付けば、その上着を共有するように二人で羽織っていて。
(っ、ち、近っ……!)
「こうしていれば、どちらも温かいでしょう?
僕は君とくっついていられるし、一石二鳥だ」
彼のそんな囁きにも似た甘い言葉が、耳を擽る。
(わ、私は心臓がもたない……!)
そう思いながらも、ここで距離を取ってしまったら私に上着を貸そうとしてくるに違いないと思い堪えると、エルヴィスがクスクスと笑い言った。
「賢明な判断だよ、ミシェル。
全部顔に出てしまうところも可愛い」
「こ、これでも私はクールで通っているのよ? エルヴィスが私の表情を崩すのが上手なだけで」
「それは光栄だね。 僕にしか見せない君の色々な表情を、もっと僕だけに見せて欲しいな」
「……っ」
エルヴィスの口から飛び出る甘い言葉の数々に顔が火照るのを感じていると、エルヴィスは「そうだな」と笑って言った。
「不謹慎だけど、こうして君とくっついていられるのならこの時間も楽しいなって思うんだよね」
「そ、それは駄目よ! 本来の目的はそこではないのだから」
「全く、私もその通りだと思いますよ」
「「!」」
私達の会話に入ってきた第三者の声に驚き見れば、そこには、片眼鏡をかけ、長髪の髪を一つに結いた男性の姿があったのだった。